0019:何かヤバい事かと思ったらそんな事もなかったぜ
雅沢女子学園。
東京都との県境にあり、内陸部の森林地帯を切り開き、外部と隔絶した環境に作られた、幼稚園から大学までを内包するエスカレーター式の一貫校である。
言うまでもないが、男子禁制。
ごく一部の教職員や警備員を除いて、学園敷地内で男性を見る事はほとんどない。
学部の節目で中途入学する生徒や転入してくる生徒はいるが、およそ半数の生徒は幼年部から無菌状態で大切に純粋培養されている、という事になっている。
広大な敷地には緑が多く、地面は綺麗に舗装され、汚れ一つ落ちていない。
幼年から小、中、高、大学の校舎はおよそ学校らしくなく、簡素だが小洒落た外観になっており、その内部は貴族の御屋敷もかくや、という設えになっている。
そこで生活するお嬢様方も、楚々としてたおやか。控え目で、美しい花一輪といった佇まいの少女ばかり。
雑談することで生まれるざわめきも、誰かを呼んだりする大声も無く、多くの生徒が生活しているにもかかわらず、そこで聞こえてくる音と言えば、風が木々の葉を揺らす音だけ。
清浄で清廉で、止まったようにゆったりと時が流れている。
学園は、そのような場所だった。
文字通り、表向きの風景ではあったが。
「ごきげんよう、荒堂様」
「ごきげんよう」
小さな運河の脇道を、学園高等部の生徒会長の荒堂美由と二人組の女子がすれ違う。
一回一回立ち止まり、僅かに膝を折って、軽く会釈する。これでも略式の挨拶だ。
なお、基本的に『ごきげんよう』と言うのも礼儀だが、上級生の場合は言わなくても、特に不作法とはされない。
雅沢女子の生徒は、幼年組からこの挨拶を徹底させられている。外部入学の場合は、入学前のガイダンスで、一週間かけて最低限学園内で過ごすのに恥ずかしくない作法を叩き込まれてるのだった。
言い換えると、マスターしないと入学させてもらえない。
生徒会長であり、学園内でも多くの羨望を集めるお姉さまである荒堂美由は、当然その辺りの振る舞いは完璧だ。
家柄は数百年続く名家。幼年組から雅沢女子に入った生粋のお嬢様。成績優秀、容姿端麗、人当たりも良く、人望も厚く、教師からの信任もある。
そんな超お嬢様な荒堂美由には、ほとんどのヒトには言えない秘密があった。
学園全体では裏庭に当たる、小さな運河に沿って歩いた先に、立派な塀に囲まれている、これまた立派な武家屋敷が存在していた。
水のせせらぎ、木々のざわめき。それに混じって、激しくも美しく響く鐘の音のように、乙女達の勇ましい声が聞こえてくる。
雅沢学園、剣道場。
『剣道』と看板は掛けてあるが、実際には柔道、合気道、薙刀、そして弓道までをも実践出来る総合的な施設となってる。それもまた、乙女の嗜みというワケだ。
それに、古めかしいのは見た目だけ。板張りや畳敷きの道場は、全面床暖房。空調、シャワー施設完備。とにかく金がかかっている。
通常の授業が終わり、現在は部活動が行われている時刻。
剣道場の中では乙女達が技を磨き、そして外からは、制服姿の女子生徒達が胴着姿で汗を流す少女達へ熱い視線を注いでいる。頬を仄かに赤く染め、ひそひそと友人同士で内緒話の最中だった。
「はぅー……豊巳先輩、ステキですぅ…………その竹刀でお尻叩いてくださいぃ」
「いえお待ちいただけます? その理屈はおかしいですわ」
「狛多部長、カッコ良くないですか……!? くっはー、たまりません! 抱かれてぇ!!」
慎ましやかな淑女の顔も、一皮むけば普通の少女である。加えて女子高という環境は、同性に対する憧れや恋愛感情といったものを助長し易い。
それに、運動や格闘技に限らず、何かに打ち込む人間というのは魅力的に見えるものだ。
「ッ胴ぉおおお!!」
「キャァアア! 武倉さま!?」
「武倉さまスゴーイ!!」
竹刀が防具の胴を叩いてけたたましい音を立てると、見物している女子生徒から黄色い歓声が舞い上がる。
胴着袴の生徒に混じり防具を身に付けた生徒もおり、彼女達は穏やかさとは無縁の激しい打ち合いを演じていた。
それだけでも、この静かすぎる学園の中では見るべきモノがあった。
「はー……武倉さん、お見事ですわ」
「剣道部のエースですものね。一年と言っても、小等部から剣道をやってらっしゃるんですもの。部長より歴は長いんですのよ」
たった今練習試合を終えた女子生徒が面を外すと、押し殺してはいるが、外の女子達からは一際トーンの高い歓声が上がる。
しかし、それも止む無き事か。
額に玉の汗が浮き、肌を上気させている剣道少女は、長い髪を大きなポニーテールに纏め、整った美貌を凛々しく引き絞めていたのだから。
「……でも、武倉さんも相当泣かせているという噂よね」
「あー…………」
「演劇部の部長と誰か…………」
「鏡山さんって言ったわ」
「取り合いになったから、剣道部では手出し厳禁なんですって」
「部活、止まりますものね。そんな事になったら」
「でも、最近はほら…………」
「えー!? ホントに…………??」
「だって、ここのところ毎日ですもの………生徒会長の荒堂様が――――――――――――」
「わたくしが、どうかしまして?」
それまで道場の中の様子とおしゃべりに夢中だった面々は、不意に意識の外からかけられた声に、仲良く一斉に飛び上がっていた。
噂をすればなんとやら。彼女らの背後には、穏やかな微笑で首を傾げた生徒会長が佇んでいた。
お嬢様校と言う事もあり、基本的に6時には部活動、クラブ活動は終了するのが規則となっている。帰宅が遅くならないように、というのが理由であるのは言うまでもない。
しかし、本日の部活動終了時刻を過ぎても、剣道場にはただひとり、竹刀を持った生徒が残っていた。
彼女は軽く軸足を引き、竹刀を正面中段に構えた姿勢をとり、もう10分以上もそれを維持している。
「…………ねー士織、いつまでそうしてるのー?」
残っていた剣道女子、武倉士織へ詰まらなそうに言うのは、剣道場の入口から顔を覗かせていた生徒会長の荒堂美由だ。
荒堂美由もまた、ギャラリーが全て帰って行った後も、ひとり残って武倉士織を見つめていた。
その表情や口ぶりは、他の生徒達がいた時とはガラリと変わっている。
穏やかで優しそうな微笑は、退屈さを隠しもしない顔色に。口調も幾分雑になっていた。
そんな豹変の生徒会長に驚くでもなく、剣道少女の武倉士織は正眼の構えのまま微動だにせず、軽く目を伏せ集中を続けていたが。
「あ、そうそう。土曜の交流会、彼女達来てくれるって。学校に連絡があったそうよん」
イタズラっぽい笑みで陽気に言いながら道場に入る生徒会長に、やや憮然として剣道少女は振り返った。
「どうなっても知りませんよ、そんな挑発的な事をして」
竹刀を床に立てて半眼で言う剣道少女に、壁に背を預ける生徒会長は全く悪びれない様子で舌を出す。
「だってー、本当にそうだって確信出来たのは、会ってからだったんだもーん」
「『出来た』のならすぐに名乗れば良かったではないですか。あのような意味ありげな言い方をしたら、お二人を警戒させてしまったのではないですか?」
「えー? どーせならもっと面白い場面でバラしたいじゃん」
相手のリアクションも面白かったし、と堪え切れない様子で口元を押さえる荒堂美由に、武倉士織は心底呆れたように溜息をついていた。
「まぁまぁ。士織だって、話をするならここの方が都合良いって言ったじゃんよー。あの物騒な黒アリスちゃんと、ラブラブな秋山なんとかちゃん――――――――――――」
「生徒会長が正体に心当たりがあると仰るから、特別な事情を持つ者同士で話をするのは良い事かも、とは申し上げました。彼女達の訪問の理由も不明でしたし……。ですがどうでしょう? 彼女……あるいはもう御一方が……思い余って過激な事をして来なければよいのですがね…………」
この外面生徒会長の言葉を、相手がどう受け取ったか。
正体を知られたと怯えているか、何か対処方法を考えているか。
変な含ませ方などしてしまい――――――生徒会長が――――――、防波堤で逢った黒アリスのヤバい魔法を思うと、猛烈に危機感が高まって来る剣道少女である。危険なのは黒アリスの魔法ではなく、使い手の人格の方だったが。
「……問答無用で撃ち殺されない事を祈りましょう」
「……嫌な事言うのね、士織」
頬を引き攣らせる生徒会長に、「自業自得です」と素気無く言い放つ剣道少女。
その、まるで他人事な態度に頬を膨らませる生徒会長は、唐突に剣道少女の背中に取り付き、
「なっ! 何です生徒会長!!?」
「大丈夫よー、悪い娘達には見えなかったしさー。それよりいい加減もう帰りましょうよー。シャワー浴びてから」
「い、言われなくても切り上げるつもりでしたが!」
カラダを密着させた生徒会長は、全体重をかけて強制的に剣道少女を前進させる。向かうはシャワー室。
これには剣道少女も慌てる。
「ま、前にも言いましたが生徒会長までシャワーを浴びる必要はないのでは!? 別に汗をかいてないでしょう!?」
「何を仰るうさぎさん。誰かさんのイケてる姿を見てて濡れる!! てな感じだし、こうして粘ってれば実は脱いだらスゴイ巨乳剣道少女のあられもない姿が堂々と拝めるという寸法で」
「もう黙ってください!!」
剣道に打ち込む少女は当然の如く力は人並以上だったが、生徒会長も実は只者ではなく、関節を取られて成す術もなく連行されてしまう。
こうして剣道少女、武倉士織の危惧はセクハラ生徒会長によって有耶無耶にされてしまったのだが、事実それは、彼女の取り越し苦労や考え過ぎなのではなかったりする。




