0011:童心には見られない場所で帰るべきかと思われ
幼い頃に制服姿の婦警さんに憧がれ、持ち前の正義感と真面目さもあって、将来は警察官になるべく、学生時代はひたすら学業に打ち込んでいた。
高校を出てすぐに警察学校に行きたかったが、成績優秀な彼女を、高校2年生当時の担任教師も両親も、口を揃えて大学に行くよう説得。彼女もその頃には漠然とした憧れではなく、彼女なりに警察官としての理想を持っていたので、勧められるままに大学への進学を決める。
それも、この国の最高学府へ、だ。
申し分ない学歴を経て、国家公務員試験一種も一発で合格。その後の進路は勿論警察庁を希望し、晴れて問題なくキャリア警察官となった。
そして、現実が理想に燃える彼女を襲う。
絶対的に警察官の男性比率が高い警察組織は、当然の如く男社会だ。
また、絶対的な階級社会でもある。
そして彼女は現役で大学を卒業後、優秀な成績でキャリアとなった生粋の若きエリート。
女性として軽んじられ、新米エリートとしてベテランや先輩に嫌味を言われ、セクハラやパワハラを受けても、組織の中では正当性より折り合いをつけるのを求められる。
だが、それだけならまだ良い。どうせ自分ひとりの事なのだから。
組織内で横行する『政治』。警察官としての正義や使命は二の次どころか遥かに下に置かれ、あらゆる案件、事件、不祥事が出世の為や利益を生む道具とされていた。正義とは、その結果得られるかも知れない、副産物の様なモノに過ぎなかった。
解決するよりも政争の具とされ、利用価値が無くなれば面倒事としてタライ回しにされる事案の数々。
それでも、砂を噛む思いで出来る仕事を真面目にこなし、キャリアという事で早々に階級を上げ、かつての同期からはやっかまれ、上司からはデリカシーの無い扱いを受け、ストレスの溜まる接待に精を出し、そんな事をしているうちに5~6年が過ぎ去ってしまう。
かつての情熱は燻ぶる程度に勢いを無くしてしまい、日々を組織人として心を殺してやり過ごすうち、気が付けば三十路前と呼ばれる歳に。
最近は仕事の為に仕事をするような有様。しかもそれが、どういうワケだか器用に板に付いてしまい、おかげ様で20代にして階級は警視である。
そしてフと思う。
自分がなりたかった警察官とは、こんなものだったのか、と。
「最近はー……部長と実家のダブルお見合い写真攻撃ですよ……。断ると昇進に響くしー、同じ事ならー、もう警察官やめて田舎に帰っちゃおうかなーって」
「そうかい……。まぁ、それもいいんじゃないかな? 京ちゃんが警官に未練が無いと言うなら…………」
お酒を飲みながら気兼ねなく話せる相手は同期や同僚におらず、飲む時は専ら自宅でひとり。勿論、接待はそこに含まない。
独身貴族でそこそこ良い給料を取っている警視様は、特に飲みたいワケでもない高価目なボトルと高級おつまみで晩酌し、日々の仕事の憂さを頭から追い出している。
この日も、そんな物悲しい家飲みの筈だった。
「無いワケじゃー、ないんれふ……ホントは。ホントは……あれー、どんなだったっけー」
「ちょっと飲み過ぎやしてないかね、京ちゃん。明日も仕事だろうに」
「えー…………? じゃぁ、ちょーさんも飲んで下さいよぉ……。いつも『まこっちゃん』で課長の愚痴聞いてあげてるじゃないですかー……。録画で見てて知ってるんだからねー」
アラサーの警視が自宅のホームバーで管を巻く相手は、横浜東警察署のベテラン刑事、『ちょーさん』だ。なお、『まこっちゃん』とはちょーさんと上司の課長がよく飲みに行くスナックの店名である。
ただし、それは月曜から金曜の夕方4時から再放送している、刑事ドラマの中での話だ。
テレビの中の人物が、自分の横で話を聞いてくれている。
明らかに異常な光景だったが、深酒が極まり完全に出来上がってしまっているアラサー警視は、その異常に気が付かない。
「わたしもー、ちょーさんみたいに足使ってー、地道に捜査してー……誰かの為に事件を解決する、思いやりのある刑事さんになりたかったなー」
「京ちゃんは警視様じゃないか。普通の刑事には出来ない事だって、出来るんじゃないのかね?」
「無理ですよー。そもそもわたしー、捜査には出られないし、やりたい事なんて何も出来ないんですー…………」
警視と言っても、彼女は事件の捜査方針を決めたりする立場にはない。
それなりのエリートの地位に就いてしまった彼女は、より高い地位の人間から命令され、その方針通りに捜査を仕切る立場だ。
どんなバカな捜査方針でも、その通りに下の人間を動かさねばならない。それで案の定捜査が躓けば、即座に別の人間が彼女の代わりに据え置かれて、責任を取らされる。
キャリアのエリートであるアラサー警視は、基本的に責任を取らされる事が無く、守られる存在である。
それは決して彼女個人を守る為ではない。キャリアがお互いに庇い合うというシステムに例外を作らない為の、キャリアが自分達を守る為の行為だ。故に、よほどのヘマをしない限りは、放っておいても昇進はしていく。
何の為に自分がいるのだろうと、アラサーの警視は思う。この国の治安を守る警察機構のトップが、そこにあるのは政治と出世と権力だけだ。
「もう……何の為に警官になりたかったか、思い出せなくなっちゃった」
年代物のブランデーに、氷が解けて靄を作っている。
自嘲気味に笑う警視は、額を冷やしていたグラスの中身に口を付けた。
一気に流し込まれる深い琥珀色の液体が、甘い香りと共に彼女の脳を痺れさせる。
「ほら、もう止めときなさい」
「あーん……」
父親の様なベテラン刑事が、悪い飲み方をする警視のグラスをやんわりと奪い取った。
その代わりに渡されたのが、ブランデーに使っていた氷の入った冷たい水だ。
「捨鉢になっちゃいかんよ、京ちゃん。今日まで頑張って来たんだろう。その若さで警視殿。立派なものじゃないか」
「ちょーさん…………」
顔に深い年輪を刻むベテラン刑事のちょーさんが、労うように疲れ切ったアラサー警視の肩に手を置いた。
ヒトの手の暖かさと重みが、ひどく懐かしく思える。
「京ちゃん、あんたが今まで築き上げて来た物は、なにも無駄なんかじゃないんだよ。やり直す事だって、今からやり方を変える事だって出来る。あんたには、なりたい自分になれるだけの力と意思があるんだから」
柔らかいクセに力強い手の平。
そして、どん詰まりの自分を癒してくれる憧れの刑事の言葉に、アラサー警視は涙が止まらなかった。
夢でも良い。励まして、力付けてくれるなら。
「なりたい自分になりなさい。わたしが京ちゃんの助けになるから」
「ちょーさん……うぇえええええ…………」
「ゆっくり、思い出してごらんなさい。京ちゃんは昔、どんな警察官になりたかった? どんな自分になりたかったんだい?」
人情あふれる親身な言葉が、アラサー警視の遠い記憶を呼び起こした。
まだまだ幼く、世の倣いの欠片も知らない、純真無垢な頃。
彼女は制服姿の優しい婦警さんに憧れたワケだが、そもそも何故、婦警さんに憧れるに至ったのか。
地味だがカッコいい制服姿で、横断歩道で自分達にかけてくれる声はハキハキとして凛々しく、痴漢や暴漢、違法駐車を許さない。
その姿は、日曜朝8時のテレビアニメに出てくる、正義の魔法少女を連想させており。
「ちょーさん……笑わないで聞いてくれます?」
そこから、どこをどうしてそうなってしまったのか。途中までは良い話風だったが、所詮は酔っ払いの会話であった。
幼い頃の魔法少女への憧れが、後の婦警さんへの憧れとなり、今現在の自分がいる。
ではこれから実際どうしようという話になった筈だが、アルコールでまともに脳の働いていないアラサー警視の要望は支離滅裂を極め、出来上がったのが警察官とのミックス魔法少女である。
翌朝、起床した二日酔いのアラサー警視は、当然のように自分の正気を疑った。
身長は140センチ程度に縮み、それなりに成熟していたカラダも全くのお子様体型に。
真っ直ぐ切り揃えていたミディアムボブの黒髪は、大ボリュームなプラチナブロンドの縦ロールに。
顔立ちもふっくらとした瞳の大きい美少女へと変わり、声も少女らしい高いモノへと変わっていた。
そして、標準で用意された衣装がまたそれらしく、オレンジ色のワンピースはパニエの入ったフワフワのフレアスカート仕様。その上に身に着ける、真っ白なマント。手足の手袋とブーツは、警備部で見た事があるような色と形状。極めつけが、プラチナブロンドを纏める花のように広がった黄色いリボン、と。
完璧に、思い描いて忘れていた自分の魔法少女像が、そこにはあった。
仕事上のストレスが、ついにこんな幻覚を見せるに至ったか。
姿見を前に呆然とし、当然その姿では出勤も出来ず途方に暮れるアラサー警視。間違ってもこんな姿、誰かに見られるワケにはいかない。
しかし、その直後。
「今度こそ、なりたい自分になりなさい。京ちゃん」
「ハッ…………!? え? ウソ!? ちょーさん!!? でもそんな筈――――――――――――」
誰もいない筈の自宅で声をかけられ、魔法少女のままアラサー警視が振り返る。
そこに居たのは、前夜に自分を慰めてくれた、ベテラン刑事の『ちょーさん』だ。
だがそんな筈は無い。
ちょーさんはドラマの中の架空の人物だし、第一、『ちょーさん』を演じた俳優は、5年も前に亡くなっている。
魔法少女な自分に、既に亡くなった俳優と同じ顔の人物。いや、実在しない筈の、本物の『ちょーさん』。
自分が警官である事も、相手が不審者である事にも思い至らず硬直するアラサー警視だったが、
「三条京警視!」
「はッ! はいッッ!!」
ベテラン刑事の一喝に、ちんまりした姿のままで、背筋を伸ばしていた。
それから、『ニルヴァーナ・イントレランス』という存在が、アラサー警視の三条京に魔法少女としての能力を授けた経緯と詳細、それにちょーさんの正体について、改めて――――――前夜は酔っ払っていた為――――――説明を受けた。
警察官とは、究極の現実を生きねばならない人種だ。魔法も、特別な能力も、その存在すら認めるワケにはいかない。
しかし、今は三条京の主観だけが、唯一の現実であった。
ニルヴァーナ・イントレランスとやらが何者かは知らないが、警察官である三条京は、そんなモノをおいそれと信用する事は出来ない。何もかもを疑ってかかるのが刑事だ。
それは、姿形だけ真似たベテラン刑事相手でも同じ事だった。
「一体……何が目的なの、あなた方は? この異常な力は……」
自分の得た力をヒト気のない廃品置き場で試してみた三条京警視は、あまりにも常軌を逸した現象に恐れ戦き、自分に付いて来たベテラン刑事の姿をした者に疑いの目を向ける。
相手は姿形だけ真似た、『マスコット・アシスタント』という名の別の何か。
にも拘らず、ベテラン刑事のちょーさんは、全くドラマと同じように若いエリートキャリアに言うのだ。
「わたしの望みはですな、警視、貴女が望む通りの正義を行える自分になる事、それだけですなぁ」
相手は怪しい謎の存在の、手先とでも言うべき者。だというのに、多くの刑事が信奉して止まない、落ち着いた深みのある、諭すように染み込んで来る物言いは、紛れもなく本物のちょーさんのモノ。
三条警視はそれ以上追及する材料を持たず、そうしている間に、状況は別の所でも動き始めていた。
各地で起こりだす異常な事件。それに伴い急増する、犯罪件数。
警察には対応出来ない事案ばかりが発生する中、三条警視は迷いながらも、自分の得た魔法少女の力を解放する。
最初は、魔法の如き力を振るうのに警官として抵抗があったものの、異常犯罪、普通犯罪と戦ううちに、早々に慣れていった。
それはそうだろう。何せ、その力と姿は、三条京自身が望んだモノに他ならないのだから。
吸血鬼騒動の頃にはすっかり自分の中でキャラクタ―も固まり、変身中は完全になりきるに到った。
彼女がなりたかった存在、とは若干違ったが、入り込んでしまえば些細な事。
今の彼女は三十路前警視の三条京ではない。
魔法の力で悪と戦い、人々を守る正義の魔法少女。
その名は、マジカルポリス、トリアちゃん。
と、完全に浸ってノリノリになっていた所に。
「……後で我に返った時に、死にたくなったりしません?」
東京湾某所の防波堤で暴れる不届き者の鎧武者。それを逮捕しに来て、何故か現場に居合わせた黒いミニスカエプロンドレスの少女。黒アリスの、旋崎雨音が放った一言。
その一言は、一発の銃弾のように夢の中にいた魔法少女を撃ち抜き、アラサー警視を現実へと叩き帰していた。
『いまさら魔法少女と言われても』はフィクションです。
登場する警察組織とその体質は、現実のものと何ら関係ありません。




