0059:確かな終わりなどありゃしなかった
それから一週間後の事。
室盛市内から遠く離れた県境にある、行政の管理物件が取り壊されるのが決まった。
敷地面積1万坪の広大な庭と屋敷。
100年も前に建てられた豪華な洋館だったが、交通の便などの立地の悪さにより、ほとんど人の住んでいた事の無い屋敷だった、筈だ。
「なんですこれ? ボロボロじゃないですか……」
市の担当者は陽光の下で、洋館を前に訝しげな顔をする。
前の担当者が最後に物件を確認したのが、記録上では2年前となっていた。
資料によると、『100年前に建てられたとは思えないほど良好な条件に保たれており、改修を行えば有用な物件となるのでは』と備考欄には記されている。
ところが、屋敷は酷い荒れ様だった。
正面玄関の戸は破壊されて、壁面は無数の穴だらけ。窓ガラスも鎧戸もバラバラに砕け散り、所々が崩れかかっていた。
平和な国の公務員には分からなかったが、激しい内戦地域の民家が、流れ弾によってこんな感じになる。
「沢井さーん! これー、多分誰か入り込んでましたねー!」
「えー!? そうなのー!」
あまりの有様に呆然としていた担当者へ、洋館から出て来た不動産業者が声をかけた。
顔に巻いていたタオルを取ると、肥満気味のオジさんは大口を空けて外気を貪る。
人の住まなくなった家は、それだけで特有の淀んだ空気が蟠るものだ。
しかし、この屋敷の中の臭気は、そんなものではない。
不動産業者として多くの物件を見て来たオジさんには、中の臭いだけで、そこでどれだけの人間が、どんな生活をしていたかが想像できるのだ。
無数の人間が出入りしていた足跡。何かを室内で引き摺り回した痕。寝泊まりした痕跡。食べ散らかした後のゴミ。
人の住まない家に誰かが入り込んで悪さをするのは珍しくない。
ところが、この屋敷は規模といい程度といい、業界が長い不動産業者のオジさんにも、経験の無い事だった。
「安西さん、これやっぱり壊さないとダメですね?」
「そうですねー……写真見た時には良いハコだと思ったんですがねー」
「どうされます? そちらで、という事でなければ……」
「ですかねー? いえ、土地だけでも十分値上がりが見込めるんですけどねー」
市街地からは離れているが、この屋敷周辺の土地には新しい住宅地の建設が決まっていた。
近い将来に県道が走り、室盛市中心部との交通が可能になる事で、大規模なベッドタウンの建設が予定されたのだ。
大方の土地は既に大手の宅地建設業者が押さえている。しかし、この土地屋敷だけは市の管理物件だった為に、市との関わりがある不動産業者へ売却が打診された。
結局、屋敷を解体する費用を差し引いても、この土地には十分な将来性があると不動産業者は見越して、市から買い取るのを承知した。
後に、ここ一帯には美しく整地された住宅地が作られ、町の中心としてこの場所に、広い商店街が置かれる事となる。
その時代を生きる人々に、かつてこの場所に吸血鬼達の住み着く洋館があったとは、知る由も無かった。
◇
吸血鬼達が突然ただの人間に戻り、世の中は吸血鬼が実在したと報道された時以上の大混乱に陥っていた。
傷害や殺人未遂、暴行、強盗、恐喝、ストーカー行為、監禁、迷惑防止条例違反、器物破損、公共物破損、不法侵入、公務執行妨害、その他無数の容疑で逮捕された元吸血鬼達。
留置所では足りずに拘置所まで使い、薬物依存治療施設、精神科病棟、入国管理局一時拘留施設など、拘束に使える場所は全て使って、それでも入り切らないほどの吸血鬼を捕まえていたのだ。
そんな状態で吸血鬼を空中投下された室盛市警察は、さぞかし迷惑していただろう。
そして、拘束されていた吸血鬼が一斉に体調不良を訴え、空腹に倒れ、恐慌をきたし、弱々しく助けを求め始める。吸血鬼としてのタフネスなど欠片も無い。拘束されていたのは、ただの人間だった。
とは言え、それで罪が帳消しになったワケではない。
吸血鬼である事だけを理由に逮捕された人間など、実際の所ほとんどいない。誰もが何かしらの罪を見咎められて、そこに閉じ込められている。
実情から見て、軽犯罪を犯した程度の者は検察からの厳重注意程度で釈放される事となるだろう。
そんな大方の予想通り、あるいは予想を大きく超えて、吸血鬼化に絡む件で起訴された人間は、拘束されていた割合に対して圧倒的に少なかった。
吸血鬼になった事で、ハメを外した、箍が外れた、調子に乗った、仕方がなかった。そんな事情も十分に理解出来たし、そもそも吸血鬼化自体が現行法の及ぶ領域ではなかったのだ。
検察に対して政府(臨時)が、厳正なる処分よりも速やかな事態の収束を要請したのも、妥当な判断であると言えた。
それでも起訴され、裁判を受け、罰を受ける人間は居たが、そんな人間の犯す犯罪は、吸血鬼になったからだと言う理由の及ばない行為ばかりだった。
全部、吸血鬼になっていたせいだ。
実際に吸血鬼になっていた人間は、口を揃えて言うのだろう。
そして誰もが、自分と他人の中に吸血鬼が如き本性が隠れているのを、この平和な時代に再認識したのだ。
ちなみに、吸血鬼消滅の3日後に、海外から緊急輸入された大量のニンニクが到着したが、どのように用いられるかは現在までも協議中との事だ。
◇
後始末1日目。
吸血鬼達がこの世から消えた、その直後の事である。
「どどどどないやっちゅうねん……!? わわわわれこここんな所におっちゃん何日も閉じ込めといて、こここの落し前どうしてくれるんやワレ……!?」
旋崎雨音とカティーナ=プレメシス、北原桜花、嘉山・S・治郎の4人は、室盛市の『市民の森公園』に来ていた。吸血鬼達が根城にしていた洋館のような、人里離れた山の中の公園だ。
昇り始めた日の光によって、4人の影が長く地面に伸びている。
公園とは名ばかりの、ただの空き地。その褐色の地面は、ひどくデコボコしていた。
怪力を旨とする魔法少女、巫女侍のカティが、その地面に大刀を突き立てる。
「じゃ、やるデスよー」
「うん、お願いね」
「僕も手伝えれば良かったのだが」
「うーん……吸血鬼には出来ても朝じゃねー」
カティが大刀で地面を掘りはじめると、雨音、治郎、桜花は見物している他ない。
雨音の魔法は基本的に吹き飛ばすか爆破するだけだし、桜花の魔法は基本的に陽光の下では役に立たない。そして、治郎ももはや吸血鬼ではなく、ただの人間だった。
だが、カティはそんな役立たず3人を気にもせず、ここ掘れワンワンとでも鳴き出さんばかりの勢いで地面を掘り返す。
やがて土の中から姿を現したのは、巨大な鉄の箱に車輪を付けたような乗り物。装甲車である。
個人の携行する対装甲兵器が普及した昨今においてはしばしば「走る棺桶」、「鉄の棺桶」という不名誉な名で呼ばれるこの乗り物だったが、今まさに車内には吸血鬼が押し込まれ、彼等の棺桶と化していた。
もっとも今頃は、死者の世界から戻って来ているであろうが。
そうして、最初に装甲車から出されたのが、最初に雨音とカティを襲った肥満体のヘンタイオヤジ吸血鬼だった。無論、今は「吸血鬼」が取れて、ただのヘンタイオヤジである。
「ななななんや急に身体が熱なったとおもたらあんた、今度はこのクソ戦車の冷たい事冷たい事……てーかこないな所に閉じ込めとくとか鬼かおのれら!! ホンッッ……マこれただ事やないで!」
初夏にも早いこの時期に、冷気を漏れなく吸収する鋼鉄の車体の中で、Tシャツ1枚。海獣が如き皮下脂肪で覆われていても、ヘンタイオヤジは身を震わせて寒さを訴えていた。
「おうネエちゃんら……ヒト様をな、こうやって閉じ込めるのは犯罪! 食べるもんも与えんと水も与えんとトイレにもいかせんとこれ全部犯罪やで! わしが訴えればホンマ死刑だって有りうるんやで! 分かってんのかコルァ!?」
「そうなの?」
下から睨め付け、震え声で凄み続けるヘンタイオヤジ。訴えられたくなかったら、という下心が見え見えだ。
しかし、黒アリスはそんなオヤジを半眼で見ながら、背後の角ばった軍用車両に片手を上げて見せる。
軍用車から出て来た男を見た途端、オヤジの気勢は急激に弱々しくなっていった。
身長190センチ以上。大柄で恰幅が良く、強面の中年男性。サングラスに黒い上下のスーツ。ワイシャツは首回りのボタンを外しており、逞しい首と胸元の筋肉が垣間見える。
同じオヤジでも、腹の出たTシャツのヘンタイオヤジとは格が違う。
渋みといぶし銀のタフガイが、ヘンタイオヤジの前に聳え立っていた。
「お……親御さんでしたか?」
あまりのド迫力に、ヘンタイオヤジは標準語だった。
無論、このタフガイはジャックである。中身は純真な少年で、今もヘンタイオヤジに凄みを利かせる一方で、内心でビクビクしていた。
だが、そんな事は知らないヘンタイオヤジは、全身から冷や汗を噴き出している。
以前にもジャックの事は見ている筈なのだが、そんな記憶を吹き飛ばすほどの恐怖を感じていた。
「あんた達の被害者面は、もうたくさん」
ヘンタイオヤジの横に回りながら、黒いアリスはポケットに差し込んでおいた銃を引き抜く。黒い銃身に、標準的な形状。ベレッタM9、9ミリ拳銃だ。
雨音がハンドガンの遊底を引き、薬室に弾丸を送り込む。すると、ヘンタイオヤジの前に居るタフガイ、ジャックも、スーツの下から銀色に輝く大型拳銃を取り出す。
「私達はね、別にあんたが吸血鬼だろうとそうでなかろうと、正直どうでもいいのよ」
吸血鬼でもないのに喉を干上がらせるオヤジの耳に、平坦な黒アリスの科白が入っていく。
チラリと目だけ動かして見るが、手元の銃に目を落として俯いている、少女の顔は垣間見れない。
唐突に、このオヤジは我に返る。自分はいったい何を勘違いしていたのか。
既にこの身は吸血鬼でも何でもなく、相手は吸血鬼以上に正体不明の連中。
銃や長ドスを振り回し、吸血鬼相手に臆する事無く戦い、どこからか装甲車まで持って来て吸血鬼ごと埋め立てる様な連中だ。
まともな堅気のワケが無い。
それこそ、吸血鬼よりも恐ろしい化け物共だ。
「ち、ちょっと待って下さいます!? わ、わしはもう吸血鬼でも何でもあらひまふぇん……!」
真っ暗な地中の装甲車の中で、突如目が効かなくなったオヤジは、壁に顔をぶつけて口の中を切っていた。
手を上げ、口を指で押し広げて見せるヘンタイオヤジだったが、その口の中に黒アリスが銃を突っ込む。
「フィィイイイイイ!!?」
「だから……どうでもいいって」
銃を口に咥えさせたまま、黒アリスは撃鉄を引いて見せた。
寄り目になって悲鳴を上げるオヤジは、今にも――――――大を――――――漏らさんばかり。
そして、至近距離でも顔が見えない黒アリスが、平坦だが今にも噴き出しそうな熱気を秘めた声で言う。
「吸血鬼だろうと人間だろうと関係無い……。百害あって一利も無いような輩は、何者だろうと私達は放っておかない」
ヘンタイオヤジは死にそうになりながら、助けを求めて視線を左右へ廻らせる。
そこに居るのはタフガイのビッグマン、改造巫女装束の大刀を引っ提げている女、赤い本を抱えた眠そうな三つ編みの少女に、涼しげな笑みの優男。
誰を取っても、助けてくれそうになかった。
「忘れないでね。あんたが今後、もし何かやらかしたら……今度は生き埋めじゃ済まさないわ」
「ふ……ふぁい! ふぁい!!」
吸血鬼でもないのに真っ青な顔で喘ぐヘンタイオヤジは、ジャックによって首根っこを掴まれ、雨音から引き離された。勿論、雨音の目配せがあっての行為である。
「ヒッ!? ヒィイイイイイイ!!!?」
地面を転がるヘンタイオヤジは、そのまま四つん這いで逃げ出すと、脇目も振らずに全力でその場から走り去って行った。
ヘンタイオヤジのカッパ頭を見送る雨音は、一息ついて背後を見る。
すると、巫女侍や三つ編み文学少女達が、微妙に後方に退がっていた。
揃って、黒アリスの恐ろしさにドン引きである。事前に打ち合わせしていたにも関わらず、だ。
「せんちゃん引くわー。完全に殺る目だったわー」
「う……ふぐッ……アマネ……堪忍してつかーサーイ……」
「魔法少女のキミ……そんな凶暴なキミもとても魅力的だ」
「ええいやかましい。そもそも誰のせいだ桜花。泣くなカティお仕置きは後だ。治郎兄さん年上でも張っ倒しますよ」
いざ人間に戻って被害者面して好き勝手言うヤツがいたら、鉛弾――――――魔法の弾丸――――――を叩き込んででも、自分が加害者でもある事実を思い出させてやる。
そのような事を事前に話して、雨音達は閉じ込めていた吸血鬼の解放に挑んでいた。
とりあえずは最初に捕まえた吸血鬼から。そう考えて外に出してみたら、案の定であった。雨音の沸点も低くなる。寝不足で銃持ってる黒アリスを怒らせてはならないのだ。
その後も、装甲車から外に出した元吸血鬼達の中には閉じ込められた事を非難し、自分の人権なども口にする者がいたが、その全員がジャックと黒アリスを前に口を閉ざした。
それに、吸血鬼の夢から覚めた者の大半は、現実を思い出し、慌てて実生活に帰って行ったのだ。
そんな人間達にまで、雨音は罪を問うつもりは毛頭ない。傷が浅いのを心から祈るばかりである。
◇
洋館にて囲われていた吸血鬼の食料だった女性達を救急車に乗せ、公園で元吸血鬼達を釈放し、吸血鬼の模倣犯的にバカな事をするバカは、見つけ次第狙撃する。
後始末、とはいうが、実際の所雨音達に出来る事は多くなかった。
ちなみに、女性を食料にしていたのを知られた、かつてのレスタト、治郎兄さんは、魔法少女と従妹によってフルぼっこの目に遭わされた。
可哀想に、地下室に閉じ込められていた女性二人は、治郎の考え無しの命令によって暴飲暴食を繰り返し、女性として悲惨な事になってしまった。
曰く、
『きちんと栄養を取って血を作って欲しかったんだ! でもなんかこう微妙な暗示が上手くいかなくてだね!!?』
そんな言い訳は、スタイルに過敏な乙女と冷徹なまでに公平な体重計には通用しない。桜花の従兄でなければ死刑である。
だが、治郎だけを責めても仕方があるまい。
吸血鬼は消え、暗示に囚われていた女性達も次々と回復を見せる中、その後遺症とでも言うべきものは、1週間後の今日に至るまで各所で見られる。
経済活動は遅滞し、政治にも混乱が起こり、貧血で悩む女性は病院に通い、授業の遅れを取り戻すのに学生は喘ぎ、無断欠勤していた会社員は会社に頭を下げて復帰する。
吸血鬼のコスプレ男が街中を徘徊してはお巡りさんに職質され、ニンニクの価格は暴落し、仏教大学では神父さんと和尚さんが喧嘩になり、多くの家庭で家族にヒビが入り、恋人達は破局し、結婚式場はキャンセルが相次ぐ。
街角には、世界の終わりや神の国を唱える宗教家だか何だか分からない人間が多く見られるようになった。そして、教会と保険屋は大儲けである。
混乱はまだまだ続くだろう。
「…………夜ってこんなに静かだったっけ?」
走行中の軽装甲機動車の銃座席から頭を出していた雨音は、四角く切り取られた夜空など見ながら呟いていた。
これも吸血鬼騒動の余波か、それとも元々夜はこんな感じだったのか。まだ夜の10時だと言うのに、駅前の通りには人っ子ひとり見当たらない。
「ほんとデース……。サイレンの音も全然無いデスネー」
「ちょ……カティ、二人は無理だって!」
小柄なカティならともかく、スプリンターでグラマラスな巫女侍まで割り込んでくると、銃座席は二人の魔法少女でギュウギュウ詰めとなってしまう。
黒アリスは前に追いやられ、大きく張り出した胸のふくらみが、クルマの上で押し潰されていた。
「へへー、カティも一度ここ入ってみたかったデス」
「あーそー……」
無邪気な笑みを見せる巫女侍に、雨音は少し詰まった声で返していた。
そのままの姿勢で耳を澄ますと、軽装甲機動車のエンジン音がやかましくはあるが、確かに警察車両のサイレン音などは聞こえないようだ。誰かの悲鳴や怒号も聞こえない。
お雪さんからも、何か異常を見つけたと言う話も聞かない。無人攻撃機の映像も、静かな街の夜景が映っているだけだった。
これでも、先日はまだ警察車両や救急車が走り回り、ともすれば火の手まで上がっていたのだ。
その火事が吸血鬼の事件の余韻によるものか否かは不明だったが。
「ま……元の生活に戻りつつあるって事じゃないの? 吸血鬼だっていないのに、いつまでも事件なんか起きないわ」
「…………ちょっと寂しい気もしマス?」
「おい…………」
「キュッ!!?」
不届きな事を言うカティを、雨音は自らの体重をかけて圧迫する。今度は巫女侍が銃座席の縁に押されて苦しむ番だった。
「せんちゃんとカティって、変身してもそんな感じなんだねー」
そんな押し合い圧し合いをする黒アリスと巫女侍へ向け、車内後部に居るもうひとりの魔法少女が呆れたように言う。
吸血鬼を全て消し去った日以来、桜花もこの魔法少女部隊に同行していた。正確には、全てを消し去ってはいなかったが。
「相変わらず仲が良い事だ。仲好き事は、なんとやら……」
「ジロー兄!?」
「治郎さん、どこ行ってたの?」
銃座席の後ろの天井に、霧から戻った治郎が姿を現す。桜花の従兄で能力との相性も良く、性格的に暴走の恐れも無いので、今なお時々吸血鬼にされるのである。
吸血鬼前後で全くキャラクターが変わらない、ある意味天性――――――天然――――――のヒトだった。今は吸血鬼だが。
「失礼するよ、魔法少女達。今宵は――――――――――――街が寝静まっているようだ」
「わっ!?」
「ワオッ!!?」
治郎は再び霧に変わると、魔法少女で詰まった銃座席の隙間から車内に入り、再びヒトの形を取る。
ヒンヤリとした空気が一瞬雨音とカティを撫で、同時に身を震わせていた。
「ジロー!! 何するネー!!」
「やめてよ治郎さんビックリするじゃない!!」
「いやだってキミらそれじゃにーちゃん中に入れないじゃん」
「紳士として変な所は触っていない。それは信じて欲しい」
「さっきカティのおシリ触られたデース!!!」
「グエッ!? ちょ……カティ……暴れ……!!?」
怒りの巫女侍が見えない車内で脚を振り回す。
行為は可愛らしかったが、巫女侍の脚は長く肉感的で、そしてクルマを蹴り上げるほどのパワーがあった。
「待ってくれ巫女侍のきみ、桜花ちゃんに当たると大んブシッッ!!?」
これも因果応報か。
治郎はこめかみに巫女侍の一本下駄が直撃し、涼しい顔に鼻血を飾る事となった。
そして、暴れた拍子に巫女侍が車内に落ち、続けて黒アリスも落下。
「ヒット――――――――――ァウチッ!?」
「痛たたたたたたッ――――――――――ぅえ!?」
巫女侍の緋袴――――――に似た何か――――――と、黒アリスのミニスカートが完全にズリ上がり、雨音とカティは上下互い違いに折り重なった格好で、褌とヒモの様なローライズショーツに包まれた尻を晒すハメとなる。
「…………相変わらずエロい下着ですなー二人とも……」
そして、三つ編み文学少女は無慈悲にその光景を写メへと収めていた。
◇
本当に静かな夜だった。これまでの騒ぎがウソのようにさえ思える。
しかし、本来年中無休で24時間営業をしている筈のコンビニがシャッターを下ろし、2台並ぶ自販機の片方は、穴だらけになり無残な姿となっている。
吸血鬼による混乱と被害は、確かにここに存在したのだ。やったのは勿論黒アリスだったが。
軽装甲機動車は市街から離れ、今は港の中に停車していた。
閉まったコンビニ前の自販機で人数分の飲み物を買い、銘々が車内や車外で一息ついていた。
と言っても、今夜は疲れる様な事は何も起こっていない。起こっていないのに、治郎はここ最近なかった負傷を被っていたが。
「やー……夜の海って吸い込まれそうな感じしない?」
「そーおー? あちしにはー、ちょーっと分からない感じー」
桜花とカミーラのコンビは岸壁ギリギリに立ち、真っ暗な海を眺めてコーヒーを飲んでいる。
カミーラの全裸に近い悪魔スタイルでは流石に問題があるので、今はジャンパーにデニムパンツという格好だった。特に腰回りのスタイルの良さが際立つ。
それはともかく。
「アレでも桜花ちゃん、結構気にしててね」
「…………?」
軽装甲機動車に背中を預けてコーンスープを飲んでいた所に、雨音は開け広げの車内から治郎に話を振られていた。
「吸血鬼化が元で、今も問題を抱えている人間が多い。そんな話をテレビやネットで見る度にね。態度には出さない娘だけど、やはり辛いんだよ」
「…………そりゃ、まぁ…………しょうがないんでしょうけど」
むしろ、全く気にしていなかったら、雨音は友人としての付き合いを考える所だ。
桜花は知り合ったその時から、常に眠そうでマイペースで感情の起伏を見せない文学少女だった。それでも、学校での僅かな変化に気付かない雨音でもない。
いつも本から目を離さない桜花が、その手の話題がどこかで出る度に、さり気なく本を閉じてしまうのだ。
気付いてないではなかった、が。
「…………むぅ」
「僕は何と言うか……ヒトの機微に敏い方ではないからね。だからいつも、レディ達をガッカリさせてしまう。桜花ちゃんにも、正直何と言って良いか分からないんだ」
まさに今、雨音が同じ悩みを抱いていた。
例え魔法少女などという存在になっていても、雨音の本質はなんら特別な所の無い高校生なのだ。社会を大混乱に陥れた罪悪感など共有のしようがない。
だが現実には、雨音のクラスメイトが、そんな重過ぎる罪悪感に苛まれている。
これを誰が共有出来るかと言えば、それはもう同じクラスメイトで魔法少女で事件に関わった黒アリスの雨音しかいないワケで。
「…………治郎さん、考えてみたら日本語上手よね。どうしてそれで彼女さんと続かないの?」
「フッ……吸血鬼になる前から、私は孤独な男だった、という事かな?」
「そこでワケ分からないカッコつけ方しちゃうからだと思うわ」
溜息交じりにそう言うと、雨音も岸壁の縁へと歩いていく。
夜の海には水平線も何もない。微かな明りがさざ波に反射し、辛うじて足元の水面を判別出来るだけだ。
真っ直ぐ視線を前に向けたなら、そこには巨大な闇が横たわっている。果てしなく遠く、高く、無限だ。
そんな闇と正面から向き合う桜花とカミーラ、二人の姿は、雨音を酷く不安にさせる。
「…………飛び込んだりしないでよ?」
「えー? ヤダよ寒そうじゃーん」
雨音の科白に、桜花は顔を顰めて応じた。
海風は冷たいとは言わないが、温かいとも言えない。首元から風が入ると、少し肌寒く感じる。海水浴には向かない気候だ。
そして当然、雨音が言いたいのは、そういう事ではない。
「…………これもう、あたし達が走り回る必要ないかもね。元々あたしは『餅は餅屋』。その道の専門家に任せる主義なのよ」
前述の通り、後始末と言っても雨音に出来る事は多くない。これからは、治安維持は警察に、災害出動は自衛隊に、国会再建は政治家と官僚と建築業者に、物流は仲卸と運送業者に、経済は企業に、貧血の患者は病院に、それぞれの分野の問題は、それぞれの分野の専門職に任せるべきだろう。
銃をぶっ放すくらいしか能の無い黒アリスの出る幕ではないのだ。
「あはは……せんちゃんはそんな感じだねー」
疲れたように言う雨音に、三つ編み文学少女はどこか空々しい笑みで返し、そして黙ってしまう。
桜花を挟んで逆側に立つカミーラは、不安そうに桜花の上着の裾をつまんでいた。
「………………ホントに静かになったねー。この前とか世紀末なんたら~な感じだったのにねー」
「あー……アレにはビックリしたけど。アレ関係無い。吸血鬼関係無い。多分変な映画見て、ここぞとばかりにコスプレして飛び出しちゃっただけだって」
吸血鬼が消えた翌日。一番世間が混乱したのがこの日だっただろうか。
真昼間から大排気量のエンジン音が鳴り響き、大量のバイクとそれに跨る皮ジャン、モヒカン、半裸といった奇抜なスタイルのバイカー達が、幹線道路に溢れて占領した。
警察も高速機動隊も規模の差で圧倒され、ひとりも逮捕出来ないままに逃げられたと言う。
吸血鬼が溢れて警察機能がマヒしていた結果と言えなくもないだろうが、その時点で吸血鬼も存在していなかったのだから、これは単に人間が欲望のまま文字通り突っ走っただけだろう。
「みんな元の生活に戻って行くわよ…………。その内、吸血鬼の事も、なんかウィルスとか未知の感染症とか後付けで納得して、今年の一大事件として忘れていくわ。これで、魔法少女もいらなくなれば万々歳、と」
「でもー、あたしがやった事はチャラにはならないよねー」
精一杯のフォローを入れたのに絶妙なタイミングでなんて事言いやがるこの三つ編みマイペースがー、という恨み節を、雨音はどうにか飲み込んだ。
桜花は、泣いていた。
声も震わせず、嗚咽も吐かずに、三つ編みの文学少女は素の表情で涙を流していたのだ。
雨音は逃げ出したい気持ちになっていた。こんな時、どう相手に触れていいか分からない。
さりとて、これで逃げ出せるなら、雨音もめんどくさい生き方はしていない。
どうしよう、と途方にくれながらも、桜花に寄り添うのを止めようとはしていないのだ。
「桜花ちゃん…………」
見た目は年上のお姉さんなのに、カミーラも瞳を不安げに揺らしながら桜花にくっ付く。
よく懐いた飼い犬が、悲しむ主人に共感して身体を擦りつけるようだ。
「これからどーしよ…………」
平然と、そしてどこか絶望的な響きを含み、桜花が呟く。
そんなの雨音が教えてほしい。雨音だって、全く罪がないワケではないのだ。そういえば国会議事堂とか吹っ飛ばしているし。
罰せられる事が無くても、罪を償う事は出来るだろう。いや、今の状態が、桜花と雨音への罰なのだ。軽すぎると言う意味で、とても受け入れる気持ちにはなれないが。
そんな事全て忘れて、無かった事にしてのうのうと生きて行ってもいい。どうせ魔法少女なんて誰も知らないし、自分から何も言う必要がない。
ただし、それが出来るという事も、つまりひとつの強さなのだ。罪悪感とは、ある意味弱い人間の持ち合わせる感情なのだろう。
雨音には、いかなる答えも用意出来ない。繰り返すが、大した経験もして来ていない、ただの高校生だ。
何も知らない、分かっていない、そして知恵者にも無知の知にもなれない半端者なのだ。
故に、雨音は考えるのを止めた。
「……保留ね」
「…………は?」
憮然と、何やら渋い声色で、独り言の様に雨音は言う。
保留。後回し。サスペンド。答えは次週に持ち越しである。
「つまりアレよ……本当の後始末は、これからずっと続いていくってことよ。今すぐ何かしようったって、出来ること何もないんだもの。でもその内、借りを返す機会もあるんじゃないの?」
それはある意味で、罪を償うという事の本質だった。
単に自分の罪悪感を消し去る為の行為ではない。利益を以って不利益を返す。その行為は、有益であるべきである。
それに幸か不幸か、雨音も桜花も時間厳守の刑事罰を科せられているワケではないのだ。
いずれはこの社会か誰かに有益な形で借りを返すと思えば、その裁量を個人に任せてもらうくらいには、甘えても良いだろう。
雨音としては非常に不本意ではあるが、魔法少女として、自分達にしか出来ない事もある筈だ。
「命の使い方もヒトそれぞれだしね……。どうせなら有意義に死にたいものだわ」
溜息をつきながら言う雨音を、桜花はいつもの何考えているか分からない顔で見つめる。
他の人間が言うならば、それは単なる後回しに思えたかもしれない。
だが、雨音が言うそれは、むしろ逆の意味を持っているように思えた。
「どうしてアマネはそうハードボイルド路線に行っちゃうデス?」
気が付くと、雨音の横にはカティがいた。何故そんな残念そうな顔をされなければならないのか。
「桜花ちゃんだけじゃない。私も一緒に罪を背負おう」
「……にーちゃん、キモい」
桜花のすぐ後ろでは、治郎が芝居がかった仕草で金髪をかき上げ陶酔している。
こちらには桜花が残念なコメントを入れ、従兄の科白をバッサリ斬り捨てた。
いつの間にか、桜花は完全包囲状態だった。クラスメイト、従兄、そして魔法少女のお伴に囲まれ、身動きが取れそうもない。
彼女等は、桜花が絶望したままでいるのを許さないのだ。
(なんか…………スゴイ事になってるなー)
魔法少女でクラスメイトの雨音とカティ、悪魔のようにエロいお姉さんのカミーラ、頭カラっぽだが従兄の治郎。
そして、自分までが恥ずかしくも面白過ぎる魔法少女となれば、これはもうどうにか出来ない気がしない。
雨音が言うのは、楽な道ではないのだろう。安易に重荷を放棄できない、先の見えない道行だ。
反面、いつか重荷を降ろし、擦り切れて無くなるかもしれないという希望を持つのを許される道だ。
何より、この魔法少女達と歩んでいけるのなら、それも楽しい道であるように思えた。償いという観点から言えば間違っているかもしれないが、楽しみながら償っても、それで借りが返せるのならいいだろう。
ヤバい。なんかワクワクして来た。
「…………これからどーしよ?」
先ほどと同じ科白だが、今度は全然ニュアンスが違う。
桜花はいつも通り、その内心を表情には出さない。
「今日はもう帰るわよ。ここしばらく生活リズム荒れてたし、ちょっと改めよう」
「帰って溜まってる『暴れん坊黄門様』一気見するデース」
「寝ろッ!」
「ノー!!?」
言った傍から生活リズムをブッちぎろうとする巫女侍を、黒アリスが背後から強襲した。寝る時はほとんど一緒な二人なので、カティが起きていると雨音が眠れないのである。
しかし、今夜は桜花も眠れそうになかった。
「あー…………あたしはもちっと魔法に慣れてみるかなー。上手く魔導書を使えばー、今度は面白い事が出来そうだし――――――――――――」
「いやもう帰って寝なさい! そして遊びで魔法を使うんじゃねぇ!?」
「コイツ全然反省してないデース!!!」
それなりに今回の件が堪えた魔法少女二人が、調子に乗った文学少女の科白に、同時に絶叫していた。
そして、黒アリスと巫女侍に悲鳴を上げさせているのもまた、魔法少女のひとりであった。




