0058:結局吸血鬼とは何だったのか
魔法少女と吸血鬼が、一触即発の状態だった。
手ごわい吸血鬼3人に追われ、クルマはガス欠。もはや交戦は避けられない。
魔法少女のひとり。黒いアリスのクラスメイト、旋崎雨音は言った。
『吸血鬼を元に戻す方法を思い出せ』と。
そんなモノ知っていたら苦労はしないと思っていた三つ編み文学少女の北原桜花だったが、まさか本当に自分の中にその知識が眠っているとは。
かなり気まずい。
後ろめたい。
借りて忘れていた本を、手遅れな程の時間を経て見つけ出してしまった心境か。
今日に到る騒動の原因が自分だった、とあっては尚更だ。
とは言え、人の命がかかっているほどの大事にあって、見て見ぬ振りも出来ない。
思い出してしまった以上、例え誰に何を言われようと、自分には終わらせる義務があると思ったからだ。
そんな決意をした割に、
「あ、あのー……ち、ちょっと待ってー」
科白は間延びし、やっぱりマイペースな感じではあったが。
◇
「オーカ(桜花)!? 中でジッとしてるデスよ!!」
「待ってカティ!」
頼りない足取りで軽装甲機動車の中から出てくる三つ編文学少女に、慌てたカティが飛び付こうとした。
しかし、雨音は手を上げてカティを制すると、この局面でわざわざ姿を現した桜花をジッと見つめた。
桜花はその視線に、どこか気まずそうに視線を逸らすと、大きく息を吸い込み彼女を呼ぶ。
「おーい! カミーラさんよーい!!」
カティは何事かと眉を顰め、吸血鬼達も何が始まったのかと、襲いかかるのも忘れて傍観してしまう。
文学少女の頼りない肺活量による声は、それでも静まり返った道路と林に響いていった。
それから一分も経たないうちに、上空に羽音と鳴き声が集まってくる。
宙を舞う多くの黒い影はひとつに纏まり、ひとつの人の姿を作っていた。
形作られたのは、コウモリの翼と先の尖った尻尾を持つ、豪奢な金髪と豊満なスタイルを持つ挑発的な美貌の女。
人間の想像する、女の悪魔をそのまま現実にしたかのような姿。
ニルヴァーナ・イントレランスに見出された能力者を補佐する、マスコット・アシスタントのカミーラだった。
「桜花ちゃん! あーもー超良かったー!! 魔法少女にー、どうにかされたかと思ったしー!!」
「お、おおぅこれはッッ!?」
悪魔のような女、カミーラは路面に降りるや雨音もカティも無視して桜花へと全力で抱きつく。
身長差の関係上、メートル前後のほぼ剥き出しの胸に顔をうずめる事になり、その肉感と柔らかさに桜花も驚愕の声を上げないワケにはいかない。
本日最大級のインパクトであった。
3人の吸血鬼達も、突然現れた自分達の主(仮)が、何故かそのような行為に及ぶのを見て困惑する。完全に攻撃するタイミングを逸していた。
「か、カミーラさん、大丈夫だってー。せんちゃんもカティもあたしの友達だからさー」
「えッ!? マージーでー? 桜花ちゃんをー、殺そうとしたとかじゃ無くてー?」
「……どういう事デス?」
「まずその辺にでっかい誤解があったみたいね………」
いよいよワケが分からないと首を傾げるカティに、雨音も力が抜ける思いだった。
だがまだ駄目である。安心するには早過ぎる。
雨音の予想が正しければ、本当に大変なのはこの後なのだから。
仕方のない事ではあるが、カミーラは吸血鬼を狩りまくる魔法少女二人を見て、黒アリスと巫女侍が吸血鬼の存在を許さない者だと思っていた。
それは事実だったが、何も雨音だって吸血鬼憎しでこんな骨を折っていたワケではないのだ。
カミーラの危惧した様に、根っこ――――――つまり桜花――――――まで叩こうなどとは思っていない。
そもそも雨音は誰も殺して無い。
殺さなきゃダメかも、と真剣に悩んだ事はあったが、事件の解決さえ出来れば、そもそも誰も撃つ必要が無いのだ。
平和主義者なのだ。
銃が好きなだけで。
とはいえ、桜花が能力絡みの事を完全に忘れており、雨音とカティも桜花が能力者などとは露程も気付かず、カミーラにも色々事情があった以上、ここまでの流れは変えようが無かっただろうが。
「でさ、カミーラさん、あの本ちょうだいなー」
胸の谷間から喋るのに苦労していた桜花は、どうにかそこから脱出すると、今さっき思い出した大事な物をカミーラに求める。
「おっけー。でもー、どうするのー? この中にー、桜花ちゃんのいう本物の吸血鬼がいるとはー、ちょーっと思えないって言うかー?」
すると、カミーラはボリュームのある金髪の中から、一冊の本を取り出した。
雨音のエプロンポケット同様に、どう見ても収納スペースなんか有りそうも無いのだが。
真っ赤な本を受け取った桜花は、その質感を確かめるように背表紙を人差し指で撫でる。
「オーカ(桜花)……それ、何の本です?」
「カティ……聞かなくて良いわ」
雨音が首を横に振るなら、カティがそれ以上何かを言う必要はなかった。
桜花は雨音が全部理解しているのを知ると、バツが悪そうに苦笑いした後に、
開いた赤い本の頁を、片っ端から破り取り始めた。
「あー! 桜花ちゃん!!?」
カミーラが素っ頓狂な声を上げる。
桜花に呼ばれてからは、挑発的な悪魔の微笑は存在していない。まるで子供のようだ。
「ホントごめんねーカミーラさん。あたしのテキトーに言ったお願い、本気で叶えようとしてもらって。でもさー、これダメだわ。他の人に迷惑かけ過ぎだしさー」
千切り取られた頁は、地面に落ちる前に緑の炎に焼き尽くされて消えてしまう。
頁には、吸血鬼の容貌と名前、細かい能力値と能力などが書き込まれていた。
これこそが魔法少女、北原桜花の魔導書とでも言うべき代物。
吸血鬼の契約と登録が行える『吸血鬼紅書』であった。
なお、ページを破り取ると、契約が失効して登録されていた人間は元に戻る。
「あ……これヤバい。……もう手が痛い。……これ何ページあるの??」
一見すると400から500ページ位のハードカバーの本。
それだけでも十分な厚さと言えたが、実際のページ数はそれ以上だ。
既に何百、何千という人間が吸血鬼と化し、頁はその数だけ有るのだから。
単にページを破り取るだけの作業とはいえ、もともと筋力も体力も無い文学少女には、100ページを超える時点で重労働だった。
マスコット・アシスタントであるカミーラは、手をブラブラと振って痛みに耐える桜花を呆然と見ていたが、
「桜花ちゃん……もしかしてー、あちしー、役に立ってない系ー?」
震える声で呟くと、大人な美貌を歪ませて、ぽろぽろ涙を流して泣きだしてしまった。
雨音は思った。やっぱりこのお姉さんも中身は子供だった、と。
自分のマスコット・アシスタントのジャック同様に、魔法少女の役に立つ事しか考えていない、幼い子供だ。
そうなると、お雪さんの存在がやや疑問ではあるが。
実は大人ぶってるだけなのか。
「いやいやいやそんな事ないってー。カミーラさんは悪くないってー。あたしがボケてすっかり忘れてたお願いの為に、ずっと頑張ってくれてたじゃん」
少し慌てて慰めに入る桜花は、手にした赤い本をカミーラの前で広げて見せる。
その頁に載っていたのは、相変わらず事態を傍観している、ナイフを持ったボサボサ頭の吸血鬼だ。
頁のメモ欄には、赤いインクでこう書かれている。
『マナーが良ければー、桜花ちゃんも気に入るかもー。キープ』
内容はともかく、マスコット・アシスタントは桜花の望みに忠実だった。
「でもー……桜花ちゃん、もう吸血鬼は要らないならー、あちしもいらない娘だしー……」
「あー……いや、やり方は拙かったけどさー、この魔法自体は相当イケてるってー! だからさー、やり方を変えて? 大騒ぎになったり他に迷惑かけないように、まず良さそうなのを見つけてから、吸血鬼にしちゃえばいいワケよ」
これにはちょっと物申したい雨音だったが、その場は飲み込んだ。
何はともあれ、あの本いっぱいに溢れ返った吸血鬼を、桜花本人にどうにかしてもらわなければならないのだから。
でも、またとんでもない事をやらかさないか、若干心配させてくれる吸血鬼系魔法少女であった。
「ならー……あちしー、まだ桜花ちゃんの役に立てる?」
不安が潜む上目遣いで訪ねてくるお姉さんへ、普段眠そうにしている文学少女も、ここだけはと真顔で頷く。
「うん、そこは鉄板ー。自分好みの吸血鬼を作るなんて、考えるだけで萌えるしー。カミーラさんみたいな女悪魔が一緒に居てくれるなら、人生スゲー楽しそうだしー」
「マージーでー!? て言うかー、悪魔っていうか桜花ちゃんの能力をー、ちょっと借りてるだけなんだけどねー」
どうやら吸血鬼系魔法少女とマスコット・アシスタントの話は丸く収まった様で、今泣いたカラスがもう笑っていた。
カラスではなく女悪魔、でもなく、マスコット・アシスタントだったが。
「じゃー、桜花ちゃんが困るような吸血鬼はー、パパーっとデリっちゃってイイよねー?」
童女のような笑みのカミーラは、桜花から本を受け取ると猛烈な勢いでページを破りだした。
吸血鬼の力は伊達ではない。
その、破かれた頁の最初のひとりとなったボサボサ頭の吸血鬼は、すぐに自分の身体の変化を思い知る事となった。
「あ…………? お、おいなんだよ? なんか……熱いじゃんか!? 何だこれ!!?」
ボサボサ頭の吸血鬼、アダムを名乗っていた男の身体は、真っ白な肌に赤みが差し、冷たかった肉に体温が戻り、夜目が効かなくなり、喉の渇きが失せていった。
同じ変化は、すぐに他の二人の吸血鬼にも起こり始める。
「お……おぉ!? なんだよ!!? ハートのビートが戻っちまった!」
オオカミ男と化していたソロモンは、体毛が元の人のモノへと戻り、無くして久しかった心臓の鼓動を感じていた。
「…………まぁ、戻れるならいいかぁ」
元々会社員だったジョセフは、人間に戻れると分かると、以前の生活も悪くなかったかと自然に思えた。
少なくとも、吸血鬼よりは規則と規律の中で生きていける。
実はソロモンも同じような心境で、吸血鬼なら狂ったメタルと退廃的な生活を謳歌出来る、と今までは豪語していたが、こうなると生きた人間のロックを懐かしくも感じている。
収まらないのは、ひたすら他人より優位に立つ力を求めていた、暴力的な引き籠り男だ。
「ふっ………ザケんなよ!!! おい悪魔!!!? おまえ俺に力をくれたんじゃないのかよ!!!!? テメーの都合で吸血鬼にしておいてテメーの都合で元に戻すとか何様だ!? あぁ!!!!!?」
事実、彼等は被害者だった。
吸血鬼に咬まれた犠牲者であり、吸血鬼を作り出したのは、能力を制御出来ずに暴走させた能力者だ。
髪を振り乱して怒りを撒き散らす被害者に、桜花もカミーラも何か言える立場にない。
ただの人間となったボサボサ頭の男は、怒りのままにナイフを握り締め、桜花とカミーラへ向かって走り出す。
「オーカ(桜花)!?」
「ッ…………!!」
すぐさまカミーラが桜花の前に出て、カティが暴漢を叩き落とそうとし、雨音がリボルバーを引き抜く。
だが、どれも必要は無かった。
ボサボサ頭の前に急に霧が立ち込め、纏わり付いたと思ったその時には、現れた金髪の吸血鬼にナイフを掴まれていたのだから。
「フッ……吸血鬼よりも、人間の方がよほどヒトを傷つける。アダム、キミは吸血鬼だった時も、誰よりも人間らしかったよ」
「にーちゃん!?」
「治郎兄さん!?」
手の平に刃を喰い込ませながら涼しい顔をしているのは、レスタトと呼ばれる吸血鬼だった。
そして、外国から日本に来た桜花の従兄で、最初に生まれた吸血鬼である。
「グッ……な、何でテメーだけ!!?」
何故このレスタトだけが、未だにヒトに戻っていないのか。
答えは単純、まだ契約頁が破られていないから。
最初の吸血鬼、桜花の従兄である治郎の契約は、吸血鬼紅書の最初の契約書に書かれていた。
ナイフの刃を根元からへし折られ、成す術が無くなったボサボサ頭の吸血鬼は、牙の無くなった歯を剥き出して、その場にいる全員を睨みつける。
その顔は、まるで狂犬か狂った痩せ犬だ。
吸血鬼の方が、よほど紳士的に思える。
一概には言えないだろうが。
「……これ、吸血鬼だから『どう』って話でもないのかもね、ひょっとして」
「ああ!?」
呆れたような黒アリスの呟きに、ボサボサ頭の男は眉を吊り上げて咬みつく。
人間性はともかく、ボサボサ頭の男を始めとして、全ての吸血鬼は桜花とカミーラの被害者なのだろう。
その罪は、紛れも無く元凶たる能力者に在る。
だから、桜花もカミーラも何も言えない。
しかし、雨音は気に入らなかった。
「彼女達の都合で吸血鬼にされたって言ったって、あんた達だって散々ヒトに咬み付いたでしょ? 咬み付かなきゃならなかったとしてもさ。生きる為に仕方なくヒトを襲っているんだとか言いたいなら、その前に病院でもどこでも行って、助けを求める事だって出来たんじゃないの?」
「はぁ!? 何ワケ分かんねーこと言ってんだクソメイドが!! んなもん捕まったらバケモノ扱いだろうが!! 吸血鬼だって殺されない保証なんてあるのかよ!!」
「だから仕方なく襲った? ヒトを傷付けた? 泣きながら、謝りながら咬み付いた? あんた全然そんな風に見えないんだけど」
我ながら暴論だとは思うが、雨音は吸血鬼の被害者面が我慢ならない。
生きる為に仕方なく、仕事だから。
そんな偽善と大義名分を盾に、狩りや殺しを密やかに愉しむ。
そんな人間が世の中にはごまんといる。
その事で謝れとは言わないが、せめて謙虚であるべきだとは思う。
本当に胸を張って生きていける人間なんか、本当はいやしない。
「あんた、絶対に愉しんで人を襲ってた。被害者だって言い張りたいなら、家でジッとしてるべきだったのよ」
「ッ………!? ハァー!!!?」
吸血鬼だから怪物なのではない。
吸血鬼を怪物にしているのは、その内側からでも外側からでも、結局は人間なのだ。
見れば見るほど吸血鬼とは、人間そのままの姿だった。
紳士の面を被る一方で、ヒトの生き血を啜る怪物の本性を隠している。
そして、ヒトとして最低限の仮面さえも放棄すれば、そこに居るのはオオカミ男が如き、単なるケダモノの怪物だ。
無論、雨音は根本原因を作った者が一番悪いと思っているが、その理屈で言うなら最大の悪は、変な能力を人間に与えまくっている『ニルヴァーナ・イントレランス』である。
「だから、そうね………まぁ、最低でも共犯ってところじゃないの?」
「せんちゃん……もしかしてフォロー入れてくれてる?」
「アマネはいつもそんな感じでース」
文学少女と巫女侍の科白に雨音は何も答えず、ただ肩をすくめて見せた。カッコつけたのではない、いい加減答えを考えて口に出すのが面倒になっただけだ。
ボサボサ頭の男は黒いアリスの言葉に納得などしなかったが、吸血鬼や魔法少女相手には喧嘩するだけ無駄だと自分に言い訳し、睨みを外す。
そして、へし折られた暴力の象徴を、悪態混じりで隠蔽するかのように、林の中に投げ捨てた。
◇
「あー……朝だなぁ」
「ヤベっ……ねみー! そういや俺、吸血鬼になる前から夜型だった」
「…………まだ会社に席あるかなぁ」
アダムと名乗っていた元吸血鬼は、魔法少女達に背を向け、苛立たしげな歩調で道路を歩いて行った。
人間に戻った所で、以前からの性根が変わるワケでもない。
すっかり毒気が抜かれた思いのジョセフとソロモンは、アダムとは反対方向に二人して歩き去った。
吸血鬼だった頃から、何となく言葉を交わす事が多かった二人だ。
今後はどうかわからないが。
ちなみに、カミーラへの去り際の言葉は無かった。
被害者として責めはしないが、加害者として認めもしない。
雨音の科白を聞いての、最低限の線引きだったのだろう。
時刻は午前5時25分。
木々の向こうの東の空が、茜に染まり始めている。
「………やれやれ、長い夜だったわ」
心底疲れ切った様子の雨音は、ガードレールの前でしゃがみ込んだ。
「うわ……信じられない、今日学校じゃん」
現実に引き戻された桜花が、提出日当日になって宿題でも思い出したかのように言う。
「カティとしては、オーカ(桜花)がそのセリフを言う資格はないと思うデース……」
多分雨音の科白なんだろうなぁ、と思いながら、カティがそれを代弁した。
まったくもってその通り。
繰り返すが、この件の主犯のひとりはこの三つ編み文学少女だし、やらなければならない後始末が残っているのだから。
そして雨音も、その始末を桜花ひとりにやらせる気は無い。
とは言え、流石に体力、精神力共に限界を振り切っている。
今回の事件の後始末とまとめは、後日にさせていただきたい次第だった。




