俺は今日、死のうと思う。
……え、読んでくれるんですか? 下さるんですか?
そんな方々に感謝を…!
駄文ですが、意味不明ですが、楽しんで頂けたら幸いですw
―――――俺は今日、死のうと思う。
と、決して快いものではない言葉から始めてみたが、ではどのようにして死ぬかというと、まだ何も考えていない。
そもそも死のうと考えて直ぐ死にに逝く奴は、死に方の種類さえ知らない馬鹿だと、俺は思う。
……だって死ぬんだぜ? 死っていうのは生き物の最後の華であり、舞台じゃないか。
それなら考え抜いて一番良い方法を模索するもんだろ、なぁ?
ちなみに今現在、俺が考えて思いついているものを挙げると、こうなる。
一つ目、飛び降り。これは自殺のなかでもポピュラーな方法である。長所は人目に付きやすいことと、人の印象に残りやすいこと。短所としては遺書を用意しないといけないことと、激痛を堪えなければいけないこと、そして遺体が壮絶に醜いことである。
二つ目、首吊り。これは一つ目と同じようにポピュラーではあるが、こちらは人生に絶望している人…年配者や中年が多い。長所は誰にも見られずひっそりと死ねること。短所は喉が潰されて死ぬまでの時間が長く、涎や血、糞尿を垂れ流すため、非常に嫌悪を伴うことであろうか。
三つ目、交通事故。これは道路や電車のレールに飛び込むことである。長所は痛みが短いことと、覚悟が定まりやすいこと。短所は人体損傷が激しく、そのうえ巻き込まれた運転手さんが罪に問われてしまうため、周囲の人間に迷惑が掛かること。
………こうしてみると、長所よりも短所の方が多い気がする。そしてどれも遺体の状態が悪い。
っつか、三つしか思いつかないのかよ、俺。さっき言った奴等を馬鹿だと、もしかしたら言えないのかも知れない、と自分の残念さに内心へこむ。
そして一度変に落ち込んだ思考になってしまうと、段々そんなことばかり考えていってしまうものだ。
ふと気が付けば、俺は何故死のうとしていたのかという理由さえ忘れ去っていた。
いやいやいやいや、忘れちゃいかんだろう。…でもあれ本当にどうして俺死のうと思ったんだっけ?
「………ま、いいや。やめよ」
床に敷いた布団の上で、座り込んで考えていた俺は思考を振り払った。
明日も早い、もう寝なくてはならない。
天井から照らす安っぽい蛍光灯を消して、俺は布団の隙間に身体を滑り込ませる。真夏の暑苦しい季節でも、流石に夜は冷え込んでいた。
薄いタオルケットの掛け布団が、とても暖かく感じる。
明日もきっと上司に怒られることだろう。とんでもないミスをして、気になっているあの人に笑われてしまうかもしれない。
……そしたらきっと、恥ずかしくて死んでしまいたいと思うに違いない。
少しばかりの照れ隠しと、不安。けれどそれ以上の眠気に負けて、俺は星のよく見える月明かりの明るい深夜、ひとつ大きな欠伸をして、そっと静かに目を閉じた。
死というのは僕たちのとても身近にあり、それでいて自覚の出来ない遠い存在なのかもしれない。
けれど僕たちは想像する。死の怖さを、痛みを、苦しみを。自覚できないままに認識して、だからこそ阻害する。そして結果、死というものが不思議となる。
例えば、『死とはどんなものか』と問われれば、『死んだことが無いから知らない』と僕は答えるだろう。けれどそれは、理解できないと判断し断言する立派な“逃げ”である。
けれど僕は、そこまで言っても解答を変えることはしない。
人はそこまで理解できない。人間の“無知”こそ、本能のような気がするから。
とか言ってみても、『人間は死を想像するけどそれにたいした意味はない』みたいなお話。
不快に思った人、すみません;