リコル様、膝の上からご挨拶
「リコル様ではありませんかぁ。お久しぶりねぇ」
反対側から歩いてきた美女にアリサは足を止めた。綺麗な美青年集団に囲まれダークグリーンのドレスに身を包んだ妖艶な美女がいたのだ。
「マリアさん。相変わらず綺麗ですね」
そのむっちむちな胸を分けて欲しいですよ。
襟刳りの開いたドレスを着こなすマリアはころころと笑う。
「あらぁ、陛下に可愛がられている貴方には負けるわぁ~。大股で走るとはしたないわよぉ。…あら素敵な人を連れているのね。陛下には飽きられちゃったのかしらぁ?」
取り巻き連中が追従して笑う。マリアさん。私と同じで花嫁として召喚された一人で例のギャルっぽい人。ボンキュッボンでお肌もつやつや。汗水流しながら走っている私とは大違いだ。きつすぎる香水が鼻につく。
「無礼な……っ」
「はいはい、そこまでザイ。マリアさんも大議会のために見えたんですか?」
「ええ。パースに呼ばれたのよ。シェナ様やジェイ様も一緒に後から来たのぉ。これから陛下と顔合わせがあるし、暇なペットと違ってあたしは忙しいのよ」
「でしょうね。だったら先を急いだらどうですか?のんびり歩いていると締め出し食らいますよ」
王を待たせるなんて以ての外。
高笑いしていたマリアさんの顔が一瞬歪む。扇で口元を隠してそうしますわぁと行ってしまった。最後に私を睨みつけるのを忘れない。やっぱり嫌われてるよなぁ。
「あの女は随分と無礼ですね。どうしてリコル様も怒らないんですか?」
「めんどくさい。それにマリアさんは同じ世界出身だからあまり悪口言わない方がいいんじゃない?」
「淫族程度に下げ渡されるような女は僕の敵ではありませんよ。リコル様は陛下のリコルなんですからリコル様を馬鹿にすることは陛下を馬鹿にするのと同じなんですよ」
魔界では力が全て。魔力が高ければ高いほどヒエラルキーの上に属する。因みに淫族は立派な上流階級です。片手で数えられるくらいには入るそうだ。でも竜族はそんな彼等の頂点に位置しているから、偉いんです。この国のナンバーツーですよ。
「あれはまぁ、やっかみみたいなものだから。相手にしないのが一番」
「リコル様がそう言うなら追求しませんが……」
私のために怒ってくれるなんて良い人だよ、ザイ。マリアさんは多分私がルードのお気に入りなのが嫌なんだろう。同じ花嫁だったのに何であんただけ選ばれるのっていう嫉妬みたいなもの。私みたいなちんちくりんが傍にいるのは許せないんだろうな。もう一人の花嫁だったスターシャは、今の生活に満足しているみたいだけどね。彼女は伏魔殿のあのブルーフさん(気の弱い術師さん)の所でお世話になっている。あそこは夫婦で熱々なの。もうすぐ第一子が産まれるんだけど、楽しみだ。
ブルーフさんは元人界の生物、つまり人間で、魔力が異常に高いのだそうだ。あっちの世界で迫害されて魔界で暮らすことになったんだって。それで魔王様の憶え目出度く伏魔殿の術師として働いているらしい。女の幸せを考えると羨ましいかな。
そんなことをつらつら考えながら、目標まであと800メートルまできたときあの感覚が来た。嘘!なぜこのタイミングで!?ザイが手を振ってお見送り。私の努力を返せー!と叫んだところで定位置に。抗議を込めて端整な頬を抓る。そこへ咳払いが聞こえようやく私は周囲を見回した。
「あれシェナさん。お久しぶりです」
「こんにちはリコル様。お元気そうですね」
「あ、はい。ところで…」
この状況は一体どういう事?ぎっと睨んだアリサに犯人は膝をとんとん叩く。いや宥められても貴方が悪いんですよ。明らかにシェナさんの右斜め前で膝をついている美丈夫は目を丸くしているし、ジェイルさんは頭を抑えている。目だけで射殺せそうに睨みつけているマリアさんも怖い。どう考えても場違いだ。
「陛下。謁見の最中にリコル様を呼ぶのは……ああ、はいはい。パース殿。こちらが陛下のリコル様です。お見知りおきください」
「お可愛らしいリコルですな、陛下。初めましてリコル様。私は淫族の族長を務めております、パースと申します」
「あ、こちらこそ初めまして。いつも息子さんにお世話になってます」
上位の者は不用意に名乗らないのが礼儀。逆に下位の者は自分の名前を明かすことで、敵対する意志がないことを示しているそうだ。そんで、上位の者の名前を呼ぶのは無礼になるらしい。だから私も、愛称であるアリーとかリコル様としか呼ばれない。初対面でジェイルさんが私から聞くまで名乗らなかったのは、まぁかなりあの時私を警戒してたからなのね。後日、丁寧な謝罪と共に礼儀も教えてもらったよ。で、逆に上位の者が下位の者の名前を呼ぶのは、その者を認めた証なワケね。傲慢に見えるけど、これが魔界の作法なのだからこういうものだと納得するしかない。
これでも作法は叩き込まれたので応対できるが、なぜ政治とは関係ない私が挨拶しなきゃいけないわけ?今日は門兵さんと仲良くしようと思ってたのに。
「息子がリコル様のお役に立てたならよう御座いました。時間のある時にでもじっくり話を聞きたいですな」
「パース殿の時間が合えば是非。…ルード邪魔しないで」
「あっはっは。仲がよいのはいいことです。これで魔界も安泰ですな」
髪を引っぱるルーデリクスの手を払ったアリサにパースが万民受けする笑顔を向ける。最後の言葉は聞かなかったことにしよう、うん。時間が来て淫族一行は謁見室を出て行った。笑顔で見送っていたアリサだが扉を閉じるなり詰め寄る。
「仕事に関係ない私を巻き込まないでよ。…最近会えなくて寂しかった?…だからってほいほい呼ばないで。恥ずかしいじゃんかー。…駄目。まだお仕事残ってるでしょ。我が儘言うな。…ちょ、ジェイルさーん!」
「今日は淫族が最後なので問題ないですよリコル様。あと明日からリコル様にもお披露目を兼ねて謁見して貰うので」
「聞いてない!」
「今決めたから。淫族だけ贔屓するわけにはいかないんですよ。リコル様は陛下ただお一人のリコルだから」
ぐっと言葉を飲み込んだ。自分の存在がどこに位置するか良く判っている。傍に置かない、いや置けない陛下が唯一許した者。陛下のリコルというだけで周りから敬われ、大切にされる。私の役割は子供を産むのではなくただ傍にあることだけだから。肉体関係が全くないことを知っているのはジェイルさんや近しい者だけだろう。大半はパース殿のように見ているし、私が子供を産むことを期待されてもいる。
「…判った。一時間だけ膝を貸してあげる。それ以上はやだ。足痺れるもん」
あ、機嫌が良くなった。言葉にしなくても伝わる。
これ以上私を甘やかさないで欲しい。でないと貴方なしでは生きられなくなる。