廬山の真面目
明けましておめでとうございます!!
ディスワードが意識を失っていたのは然程長くはなかった。身に受けた衝撃に全身が痛むが、その程度の被害で済んだことを喜ぶべきか、木っ端微塵になった自室を嘆くべきか非常に迷うところである。被ってしまった塵を零しながらよろよろと立ち上がったディスワードは、亀裂の奔った中心部に人が倒れているのを認めた。長い髪が扇状に隠れて顔は見えないが、恐らく生きているだろう。怪しげな人物から目を離さないままディスワードは近くに転がっていた剣を掴み、反対の手には術の描かれた紙を持ったまま近付く。恐る恐る払った髪の合間から現れたのは、父親よりも若い容姿の不健康そうな男だった。身動き出来ないように拘束してから改めて揺り起こす。
「おい、起きろ」
「……っん……んん……?」
ぼんやりとした視線が宙を漂い、ディスワードの姿を捉える。ディスワードは首筋に刃を当てて、生殺与奪は此方にある事を無言で示した。
「お前の名前と目的を話せ」
「ブルーフ・アークですけど、私、生きてますか!?」
「お、おい?!急に動くな!」
ディスワードの忠告も他所に、ブルーフはわざわざ首を動かして刃先を肌に滑らせた。白い肌にじわりと朱線が滲んでいく。
「おお、痛い!ということは、私は生きている。やりましたよジェイル様!転移陣は成功しました。さて、後は召喚式を元に皆様を喚ばなければいけませんね。そこの少年、今すぐこの紐を解きなさい。さあさあ、早く!」
ディスワードは色々言いたいことがある。アーク一族でも名の知れた先祖の名を名乗っていることだとか、何を召喚するつもりなのだとか。しかしそれ以上に、
「っ人の話を聞け〜!」
ディスワードの右腕が振り下ろされた。
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「全く、最近の若者は年長者に対する扱いがなってない。いいですか!年長者というのは……」
拘束を解かないまま取り敢えず座らせたにが間違いだった。在り来たりな言葉から始まった説教は止まることを知らず、そのうち何故か愚痴のようなものが溢れている。どんどん主旨から離れていく内容にいい加減うんざりし、おざなりな返事をする事すら億劫だ。
「というので……少年、聞いてますか!?」
「もうわかったから、とっとと用件を話してくれ」
「用件?ああ、そうでした!少年、世界を救いたければ協力してください。いえ、その前にまず縄を解いてください」
「はあ?!!」
突然自室へ現れたかと思えば、世界を救う為に協力しろと言われて頷くのは、正義の味方くらいのものだ。如何にも怪しい相手を信じるほどディスワードは純心ではない。
「断る。第一そんな言葉で誰が信じるんだ」
だが、ブルーフは真剣だった。相手は神にも等しい魔王なのだ、一度本気になれば手段を問わず目的を成すだろう。その為には世界を消滅させることすらやってのけてもおかしくない。実際、以前アリサが攫われた時には天界の半分が破壊されたと聞く。
「信じなければ、人界は魔王陛下によって終わりを迎えることになるでしょう」
「魔王、だと?」
ディスワードは虚を衝かれた。そもそも魔族を下等と見做す人間にとって、その存在はあまりにも日常からかけ離れた存在だからだ。だが、ブルーフは重々しく頷いた。
「陛下は人間がリコル様を拐かされた事に対して大層お怒りです。その身をすぐにでも保護してお返ししなければ、御自らリコル様をお探しにいらっしゃるでしょう。その時の被害は、国一つで済むなら安いもの、場合によっては世界を消滅させると考えるべきです」
「待ってくれ。たかがリコル1匹で世界を滅ぼすとか冗談じゃないぞ」
「1匹ではなくお一人です。それにたかがと言いますが、陛下にとってリコル様はそれだけ価値のあるお方なのですよ」
呻きを上げたっきりディスワードは沈黙する。重苦しい空気が満たした。
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未だに信じ難い話ではあるが、一笑に付すにはブルーフという存在があまりにも真実味を帯びている。アーク家の家系図を紐解けば今より300年以上も前の人物になるが、彼の語る家族の名前や陣術への深い造詣が当人であることを裏付ける。嘗ては天才を欲しいままにした彼が今まで何処にいたかと言えば魔界で暮らしているらしく、妻子までいるというのだから驚きだ。
「もうすぐ6番目の子供が生まれるんですが今は妻と2人、伏魔殿で暮らしていますよ。……大分信じて頂けたでしょう。いい加減拘束を解いてくれませんか」
「俄かには信じられんが、な。本当に貴方方は世界を救ってくれるんだな?」
「私達は一刻も早くリコル様をお迎えしたいだけです。魔界の平穏のために」
曇りない眼差しがディスワードを真っ直ぐ見返す。ディスワードは一息つくと刀身を閃かせて、ブルーフの縄を切った。ブルーフは礼を告げると早速地面に陣を描き始める。所々見慣れない文字があるのは、恐らく魔界の固有名詞なのだろう。魔界にも文字があることに驚き、そういえばアリサも不自由なく此方の言葉を読んでいたことを思い出す。魔界で習ったと言っていたから、あちらの文化は人間が思っているよりも発達しているのかもしれない。
「では喚びますよ」
ただの白い線だったものが、青みを帯びて仄かに輝き出す。その光がどんどん強くなるにつれて、ディスワードの顔に焦りが浮かんでくる。というのも、発光の程度で魔術陣の規模が分かるからだ。使用される気が多いほど陣は鮮やかな光を放つ。それはつまり、彼が大物を喚ぼうとしていることに他ならないわけで。
「ちょっと待ってくれ!一体何を喚ぶつもりだ」
「ええと、ジェイル様とザイステール様の他に7、8人くらいですよ」
複数人を一度に喚ぶなど無謀の極みだ。最も今回は契約を結ぶ訳ではないので、いきなり殺されるような事態にはならないだろうが。近付いてくる存在があまりにも強大で、身体の震えが止まらない。恐らくこの威圧感は下級や中級程度の魔族ではなく、もっと上の……。
ディスワードが視界を無くす中で、彼等は遂に人界へと降り立った。
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「これが人界か。随分と息がし易いな」
「……でも美味しくない」
「我々にとっちゃあ慣れた陛下の魔力の方がよっぽど良いやって話です」
「エント、ブルーフを見てやってくれ。マルワール、オーベルクスは予定通り城へ。キューベルはこの地の魔属を呼び寄せろ。エヴォリーは結界の準備。ザイステールは……どうした?」
息をつく間もなく指示を出していたジェイルは、年若い竜族の姿を探して、丁度彼が人間を捕らえている所に遭遇した。が、顔色を変えると直様駆け寄る。
「おい!離せよ」
「ジェイル様。微弱ながらこの者からリコル様の魔力を感じます」
「間違いない。……おい、人間。お前はリコル様を知っているな?答えろ」
真正面から魔力を浴びたディスワードは、一気に容量を超えて気を失う。が、即座に激しい痛みを感じて目を覚ました。再び意識を持っていかれそうになるが、後ろ手に奔る激痛が、何とか正気を保たせる。
「リコル様はどこだ?」
「知ら……知らない。がぁっ!!!」
「嘘を口にするな」
掴まれた腕が握り潰される。暴力からは程遠いところで生きてきた青年には耐え難い苦痛だった。しかし、従来頑丈な彼等にとって、この程度は大した怪我ではない。のたうち回る人間に大袈裟なと呆れるばかりだ。それ以上に殺気立っていた彼等は、魔力で人間の動きを縫い止めると少しずつ圧をかけていく。
「グッ……ギャアア!……」
口から血が吐き出される。強情な人間の姿に、眉根を寄せたところで、慌てたブルーフの制止が入った。
「お二人共何してるんですか!?このままだと死んでしまいますよ」
「充分手加減はしているが?」
「人間は脆いんですよ!!」
2人はハッとした。慌てて固めた魔力を霧散させるが、当の人間は虫の息で回復する様子も全く見られない。気まずそうにする彼等に割り入って、ブルーフが己の魔力を口移しで注ぎ込んでいく。今更ながらにアリサを割れ物のように扱うルーデリクスの仕草が決して大袈裟でないことを知った2人だった。
目指せ、年内完結!!
ということで、いよいよ佳境に入ってまいりました。
もう暫くシリアスパートが続くと思いますが、ハッピーエンドを目指して突き進んでいく所存です。
皆様、本年もよろしくお願いします。