辞譲の心
「魔術殺しの剣といい、この檻もまた当時の遺産なんだよ。 この国の祖先は戦乱中、僅かに生き残っていた力ある者を捕らえては、その力を利用する為に実験を繰り返していたんだ。残念なことに、この檻の存在は疎か、嘗ての実験記録は時代の流れに失われてしまったけれど……」
「それを貴方が復活させた?」
「この私が?……ふは……あははははは!」
何が面白いのだろうか。場違いなほど明るい笑い声がわんわんと牢内に響く。一頻り笑った王子が顔を上げた時には、それまでの愉悦に満ちた表情でも、穏やかな王子様スマイルでもない、強い憎しみの色を濁った瞳に浮かべていた。
立ち上がった拍子に椅子が蹴倒され、こちらへ向かって飛んでくる。反射的に目を瞑ったアリサの前で、鉄格子に遮られた椅子は破片をまき散らしながら床に転がった。悲鳴こそ上げなかったものの、王子の突然の乱行に驚きよりも恐怖が勝る。怯えを見せるアリサに対し、多少気を静めたのか彼がそれ以上の暴挙に及ぶことはなかった。メイドがどこからか持ってきた椅子に再び腰を落ち着けると、小さく息を吐く。
「その男は正妃を母に持つ、正統な嫡男として生まれながら、何もかもが王の寵愛する妾腹の異母兄に劣っていた。いっそ異母兄が王になってしまえば良かったのかもしれないけれど、周りがそれを良しとせず、劣等感に苛まれたまま男は王になった。兄は有能な一臣下として弟の治世を盛り立て、決して自身が王に代わろうとは思ってもいなかったんだろう。その兄を慕う者達は多く、彼の周りには人が絶えなかったという。でもその姿が益々弟を追い詰めていったんだよ」
猜疑心に彩られた孤独な王の姿をアリサは想像する。
「何もかも兄に劣る弟、けれど唯一血筋だけは恵まれていた。貴女も知っている通り、この国では陣術が盛んでね。王族に近しいほど力の強い陣術師である、つまり“気”が多いんだよ。力ある者が統治していた国を厭いながら、結局その力の差で社会を作ったこの国はある意味歪だよね。……それはさておき、男は唯一勝っているその力に執着し、遂には葬られたこの国の過去を暴いてしまったんだ」
勝っている部分に縋る気持ちは分からなくもない。そうやって男は、自分という存在が決して劣っているばかりでないのを知らしめしたかったのだろう。
「男は兄には劣っていたかもしれないけれど、普通よりは遙かに優れていた。散逸してしまった文献を集める傍らで、魔属や御遣いといった異界の者達が持つ力が、自分達が”気”と読んでいるものと変わらないことに気づいたんだ。最初は嘗てのように力を得るための実験を、自分の興味の赴くまま繰り返していた男だけれど、いつしかこの”力”で世界を統べる野望を抱くようになっていた。でも自分の力など異界の者達からすればほんのちっぽけなものだ。その力を手中に収めるにはどうすればいいのか。その過程で生まれたのがこの私だよ。王は当時の上級魔術師30人を犠牲に召喚した上位魔族をこの牢屋の中で散々犯し、その執念で子を孕ませたんだ。私は表向きでは王妃の子とされているが、実際は魔属の子というわけ。ディスワード家は当然その事実を知っているから、あれだけ私を警戒するんだよ。彼らの祖も私と同じ魔属だというのにね」
「執念」。
まさしくその通りだ。力の差が違いすぎれば子を為すことは限りなくゼロに近い。それでも、この王子の言うことが真実ならば、人の繁殖力の強さが為せるものなのだろうか。それとも、今のアリサの状態のように魔力を奪われればまた違うのだろうか。だとすれば、魔族の力を借りることが出来れば魔界でも力の差カップルで子供を作ることが出来るのかもしれない。そこまでして添い遂げたいと思う魔属が果たしているのかどうかはまた別だが。
「だから貴女は、貴女の存在理由のために世界を壊すってわけ?」
「私はあの男の操り人形ではならない。私は私の意思でこの世界を統べるんだ」
「何故?」
「何故と……それを貴女が聞くのか。貴女と私、ディスワードと私では一体何が違う?私たちは同じ人だ!”気”が常人より大きいと言うだけで忌避され、彼らの奴隷として甘んじなければならない理由は何だ?私たちは彼らよりも遙かに優れているのに!」
奴隷という言葉を使った王子に、アリサは彼の苦悩を垣間見た。実験体として生まれた彼が今までどういう扱いを受けてきたのか想像に難くない。けれど。
「そうやって人を力で押さえつけて、最後に何を得るわけ?自分の為だけに他者を虐げる君は、結局自分が唾棄する人間と同じじゃないの?」
「……残念だよ。貴女なら理解してもらえると思ったのに」
何を根拠に?と考え、そういえばディスワードに縛られていたのだったと自分の立場を今更思い出す。アリサの場合は手綱など気分次第でいつでも引き千切れるようなものだったから気にしたことはないが、不本意な扱いを受けたらやはり怒るし憎むだろう。
現在進行形でぶち切れたいのだから――。
すとんと心が落ち着いた。結局アリサもなんだかんだと綺麗事を言いながら、この王子のやったことが許せないだけなのだ。理不尽な目に合っているからこの王子の言うことは何が何でも、正しかろうと正しくなかろうと兎に角受け入れたくない。
ただそれだけ。
どこまでも自分勝手な思考に自嘲しつつ、去り行く背中に吐息を漏らした。