リコル様、お勉強をする
リコル様の日常編といったところでしょうか。適応能力の高い彼女は早くも馴染んでおります。
柔らかな朝日を浴びてうっすらと目蓋を開けたアリサは、被さっていたルーデリクスを押しのけて大きく伸びた。夜遅くに帰ってきて寝たのだろう。魔王は意外にも忙しい職業のようだ。とはいえ、抱き枕にするのもどうだろう?夜に庭で寝ていても、朝になればこうして抱きしめられているのだから、いい加減扱いも慣れてきたが。
アリサを求めて彷徨う腕を避けてベッドから降りる。そのまま寝室から出ようとしたところで寝台に戻された。見れば不機嫌そうな(全然見えないが)半眼の瞳が逃げるなと告げていた。これも魔術。転移という魔術を使ってアリサを戻したのだ。己の腕に閉じこめたルーデリクスは満足して目を閉じる。
抵抗しても無駄だということは数日のうちに学んでいたので、諦めて二度寝することにする。起きたばかりだからか時を立たずに夢の世界へ旅立った。
「寝坊!」
叫んで立ち上がろうとしたアリサは水音にあれと下を向いた。目を丸くしてルーデリクスが見上げている。今度は寝過ごしたらしい。朝に湯浴みするのは日常で、すとんとアリサは湯船に身を隠す。全身を毎日見られているのだが、恥ずかしいものは恥ずかしい。
これもまたいつもの如く身体を洗われ、出たあとは朝食だ。魔属にとっての食事は種族ごとに違うらしい。例えば先日会ったジェイル達獣族は、肉を好むし淫族は精を好む。腐肉を好む一族や魔力を糧とする一族など千差万別なのだ。ルーデリクスはアリサのような人間と食事が同じなので助かった。
その後は、別れてルーデリクスは執務へアリサは勉強の時間になる。この世界に住む以上、生きる術を学ぶのは大切なことで、積極的にアリサは学ぶ。
「今日はここまでにしましょうか」
極上の美少年が分厚い本を閉じて授業の終わりを告げた。彼は淫族の次期族長でありながら学者なのだ。ルーデリクスの要請でこうしてアリサに教鞭を執ってくれる。
それにしても眼福だ。人型を取る種族の中でも淫族は特に美しい。食事を得るために己が武器とするためか、力のある者ほど容姿が秀でているのだ。アリサの目から見て、ルーデリクスの次に美しい一族だと思う。それを伝えれば歯が浮くようなアリサを讃える言葉が並べられるので口にしないけれど。
あれは本気で恥ずかしい。
「ありがとうございました、シェナさん」
「私のことはシェナで結構ですよ、リコル様」
「だったら私も名前で呼んでくださいってば~」
同時に相互を崩す。しばらく明るい笑い声が室内に響いた。
「それにしてもリコル様は優秀ですね。このままでは直ぐに私はお払い箱になりそうです」
「そんな私なんてまだまだですよ。魔術だってまともに使えませんし」
「おや。サハンの教え方が下手くそなんでしょうか?それでしたら私が…」
「誰が下手くそだってシェナ?俺以上に上手い教師なんていないって。なぁアリー」
「サハン。もうそんな時間ですか」
「あ~違う違う。俺が早く来ちまっただけだから気にすんな」
迎えに来た魔術の教師サハンの登場にアリサは席を立った。しかしシェナにお茶のお代わりはいかがですかと誘われて座る。当たり前のように空いた席にサハンが座り、嫌そうにしながらもシェナがお茶をサハンの前に置いた。
「はぁ…。魔力って何なんですかね」
「アリーの場合そうだな、コップ一杯の水を入れるのにバケツの水を一気に流すようなもんなんだよな」
「つまり過剰に出し過ぎってことですよね?」
「ぶっちゃけそんな感じだ。なんていうかもっと繊細なんだよな、魔術ってのは。力任せにやればいいってもんじゃねぇんだ」
「貴方の口から繊細なんて言葉が出るなんて。明日は星が落ちるかもしれませんね」
「失礼な。これでも俺は魔界一のガラスハートを持ってるんだぞ」
「魔術なんて勘ですよ、リコル様。強い意志と伴う魔力。それさえあれば大丈夫です」
「俺のことは無視か!?」
「う~ん。頑張ります」
強い意志。つまりイメージすること。例えば移動したいと思ったら、まずどこに移動するのかを明確にする。次にどのように行きたいのか。ドアを開ければ別の部屋に繋がるとか、風景の一部が突然切り取られて別の移動先の風景に変わるとか、とにかくあり得ないと否定したら発動しない。自分のイメージを否定しないことがまず第一。
そして次にイメージを叶えるために魔力を解放する。のだけど、アリサはここで躓いているのだ。どの事象でどれくらいという基準があるらしいのだが、アリサには魔力というものを感じられない。最近少しはこれかなという漠然としたものは感じられるようになってきたが、はっきりとは認識していないのだ。
周囲にいわせれば魔王に匹敵する魔力を保有しているみたいだが、使用法以前の問題なので今のところ自分が凄いとは思えなかった。
ようするに宝の持ち腐れって奴ですね。
まぁでも、あのルーデリクスと四六時中傍にいられるだけで凄いらしい。何でも彼は常々魔力を放出しているので、流れ込んでくる魔力が半端ないのだとか。麻薬みたいなものでふらふらっとしちゃうのだ。私の場合自分自身が垂れ流し状態なのでルーデリクスの魔力に飲まれることなく正気を保っていられるらしい。あの顔だけでも垂涎ものなんだけど、ようは慣れだ。元々日本人は謙虚な国民だから。
「もういい…。どうせ俺なんて…」
「キノコを繁殖させないでくださいね。メイドさん達が大変ですから」
「いい性格してますよね、リコル様」
「い~え~。シェナさんには負けますよ」
「何の。リコル様には及びません。僕はそこまで非道じゃないですから」
「あら。私は単に事実を述べただけ」
寒々しい笑い声にサハンがぶるりと身を震わせる。触らぬ神に祟りなしとはこのことだろう。とはいえ少し不味い状況になってきた。アリサは気づいていないだろうが、感情の起伏によって魔力垂れ流し量が増減する。そして、現在あり得ない速度で広がっている。きっと邪なことを考えたからだろう。止めないと、でも間に入る勇気が…。
「あ、陛下がお呼びだぞアリー」
「行ってしまったようですね。助かりました」
陛下が移動させたのだろう、アリサの姿が無くなってシェナとサハンは汗を拭った。けしかけたのはシェナだが、色々危なかったのだ。
「お前なぁ。あんまりアリーに黒いこと考えさせんなよ」
「好奇心が勝ったんですよ。ほら、家にも元花嫁を預かっているのでどれ程かと」
「程々にしろよ。アリーは桁違いだ」
「だから陛下もリコル様をリコルにしたのでしょうね」
召喚された花嫁はいずれも魔力が高い者達だった。その中でも一際高いのがアリサ。残りの二人は臣下に下げ渡され、それぞれ淫族と伏魔殿に嫁いでいった。アリサ曰くギャルっぽい女の人が淫族、大人しい少女が伏魔殿。魔力も高く、性的欲求も多い女はすっかり淫族に馴染んでいる。族長自ら可愛がるくらい女は淫族に歓迎されていた。
「マリーはうってつけでしたが、リコル様では逆にこちらが喰われるでしょう。私はリコル様の方が好みなんですけどね」
「死ぬのを覚悟でやるのも有りかもな」
強大すぎる魔力は他者を遠ざける。魔王然りアリサ然り、一定以上に長時間近づけばいくら魔力の高い一族であろうとも身を滅ぼす。それ故に不可侵なのだから。
10/25 家の事情により、これから2,3週間ほどインターネットに接続できない状態とかお知らせしましたが、あれはなしになりました。詳しくは活動報告にて。