水は方円の器に随う
「はるかな昔、この世界は一人の王が治めていた」
それはアリサも知っている、まだ全ての世界が繋がっていた時代の話だ。
「その王は強大な力を持っていたという。そして王に仕える者達もまた、その力を持って王を助けた」
「力……」
「言い方は色々あるよ。例えば陣術師が持っている“気”や世界中に漂っているとされる“大いなる恩恵”、貴女たちのいう“魔力”、とかね。そう、嘗ては人間も貴女たちと同じように魔力を持っていたんだよ……おや、驚かないんだ?」
驚くも何も、元より知識として既にあるのだから今更である。しかしそれは王子にとって意外だったようで、妙に感心していた。
「僕の推測は正しかったんだ。魔属というのはやはり……」
「どうでもいいからとっとと話を進めてくれる?いい加減この体勢も辛いんだけど」
「おや失敬」
恐らく命じたのだろう、静かに後ろで控えていた魔族のメイドが牢屋に長い棒を差し入れると、アリサの体に巻き付いている鎖に絡ませて強引にベッドへと押し上げる。
「扱いが雑すぎるでしょ!?」
どのみち動きが取れないのだ。牢の鍵を一時的に開けて起こしてくれても、と考え、気付く。アリサがこんな扱いになっている原因を。この牢屋そのものに魔術を打ち消す仕掛けが施されているのだろう。いや、打ち消すなんて生易しいものではない。上位魔族ですら躊躇うほど魔力を奪うような、何かがあるのだ。
では誰が何のためにこんなものを作ったのか。普通の人間では、格子よりも此方側へ足を踏み入れた時点で死ぬだろう。人であれ魔族であれ、この世界……天界や魔界も含めた全ての生けとし生ける者達は魔力を持ち合わせている。その量で寿命が変わるように、魔力とはある意味命の源でもあるのだ。それを奪うこと即ち命を奪うことに他ならない。そんな恐ろしいものが存在するだけでも驚きだが、僅かな魔力しか持たない人間相手にこの牢屋は荷が重すぎる。だとするならば使用する相手は自ずと限られるだろう。例えば上位魔族とか……。
嫌な予感に顔色をなくすアリサををよそに、王子は淡々と話を続ける。
「さて、昔話を続けようか。強大な力を持つ王と王の治世を支える臣下達によって世界は保たれていた。王の庇護の元、人はより豊かな暮らしを求めて文明を発展させていったよ。けれど、人の欲は際限がなかった。この当時、社会的な地位は力の大きさで全てが決まり、そして力は遺伝に大きく依存したんだ。より上にのし上がろうと優秀な血を掛け合わせ、権力は一部に集中していく。他の優れた才能があったとしても、力が小さければ社会の底辺に置かれることに、人は次第に不満を募らせていった。しかし反旗を翻したとしても力の差は歴然としている。ならばどうすればいいのか。そう考えて作られていったのが、現在にまで続く陣術という技や術師殺しといった武器なんだよ。あれらは全て力無き人によって作られたものだ」
「その力で王を殺した……」
「“数は暴力”とは言ったものだよ。力ある者ほど、子孫を残しにくい。その上近しい血族との婚姻ばかりを繰り返した弊害か、生まれる数は少なく、生まれても出来損ないばかりだったんだ。ろくに戦えもしないまま、彼らは表舞台から引き摺り下ろされた」
絶対的な強者も数には勝てなかった――。
過去の人王に想いを馳せ、アリサは疑問を覚えた。アリサはルーデリクスという魔界の王を、ジグリースという天界の王を知っている。彼らの力は一様に強大で、その力で世界を創造すらしてみせるのだ。竜族もまた規模が小さいながらも同様のことが出来ると聞くが、着眼すべきはそこではなく、それほどの力を持つ者が数で圧されたからといって簡単に殺されるのだろうか?ということである。こう言っては何だが、気に食わなければ世界を丸ごと消し去ってしまえばいいのだ。それに、傷つけられてもそれを瞬時に回復させるだけの能力を持ち合わせているはずで、やはり納得しがたい。釈然としないが、昔話とは往々にして事実と歪められていることが多いのだからこんなものなのだろう。
「今までは、力の差という最も目に分かる形で優劣を定めていたから良かった。でもその基準を失ったら、今度は何で差別を計ればいいのか。皆で決めて互いに支えあって生きていく、というのは実質不可能なんだよ。誰かが纏め、管理しなければ容易く秩序を失ってしまう。そして、人の上に立ちたいという欲求は誰しもが持つことだ。ではどのように優劣をつけるのかというと、簡単な話だ。如何なる手段を用いてもいい、自分の全力を持って相手を叩きのめし、屈服させればいいんだよ。そして長きに渡る戦乱が続いた」
以前ジェイルの言っていた、人界が天魔界と切り離されたのもこの時期なのだろう。群れることを好まない魔属や天属にしてみれば、大多数が目的のために争い合う姿はさぞや滑稽に映ったに違いない。
続きます。