燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らん
指先一本でも動けば均衡が崩れる。そんな危うい空気を破ったのは、扉を蹴り倒さんばかりに開けてやって来たディスの兄姉'sだった。
「待ちきれなくて迎えに来てしまったよ」
「御機嫌よう、殿下。うちの愚弟と使い魔ちゃんは返して貰いますわ」
言うが早いか、強引に手を取られて室内から出される。もれなくディスとお兄さんも……と思いきや、引っ張ってこられたのはディスだけだった。
「兄上方!今のはあまりにも殿下に失礼では?」
だよねぇ。これが魔界だったら問答無用でプチっと潰されても文句は言えない。
食ってかかるディスに、お姉様の容赦無い一撃が入る。
「~~!!!」
「お黙りなさい、愚弟。私達の言いつけを守らなかったばかりか、この子まで巻き込むなんて!」
「っ、誰と付き合おうが俺の勝手でしょう。それに!リッテ家の人間でありながら殿下に対する数々の非礼……到底許されることではありません!!」
「貴方は何も知らないからっ…!!」
「俺は……す!!」
人通りは無いとはいえ、いつ誰が通るともしれないのに、廊下のど真ん中で言い争う姉弟。その内容が内容なだけに、もっと別室で話し合う事柄なんじゃないかなぁと思うんだけど……。
「先に行こうか?」
目が合ったお兄様はにっこりと微笑むと、私の腕だけ取って歩き出した。いやいや、あの二人は置いていって……ああ、いいんですね、ハイ。
そうして連れて行かれたのはなんと医務室だった。医務室で働いている人達はお兄様と二言三言交わすなり、すれ違いざまに会釈しながら出て行ってしまう。
「ちょっと待ってね。……はい。ここに横になって」
「え?あの、」
「いいから、少し休みなさい」
有無を言わせず寝台に横たえられる。抵抗しようにも抑える手は存外に強く、びくともしない。諦めて身体の力を抜けば、予想以上に疲労していたらしく、自然と瞼が落ちてくる。それでも何とか眠りそうになるのをこらえ、傍らの椅子に座るお兄様の方を向いた。
「……聞いても、いいですか?」
「今はお眠り、と言っても聞いてはくれないんだろうね」
「なんならここで陣術の実験をしてもいいんですよ?」
「使い魔の意思を尊重するのが我が家の家訓なのだけれど、流石に城を壊されるのは困るね」
これでも一応国に仕える身だからね、と笑いながら肩を竦めたお兄様の目は決して笑っていない。もし私が有言実行したら、恐らく彼は全力で止めに入るのだろう。それが決して適わないと知っていても。
友好的な態度を取っていても、それは彼らから許されている行動を取る限り、だ。主導権を握るのはあくまでも召喚者側であることに変わりなく、使い魔が同じ人間であろうとも対等ではない。
それを悲しいとは思わない。傲慢だとも思わない。力あるモノが主導権を握るというのは正しいやり方だ。
「全く……ディスはとんでもないものを召喚したよ。私は貴方以上のモノを見たことがない」
「でしょうねぇ」
それは謙遜でもない、単なる事実だ。なんせ世界を丸ごと維持する魔力を持つ魔王に比類すると言われているのだから、そこらにごろごろ転がっている方が困る。
「だからこそ王子には近付けたくなかった」
「理由は?」
「それは、」
言いかけた口が形作られる前に、扉の外からやや大きめの声が彼の名を呼ぶ。手振りで動かないよう支持した彼は、自ら扉を少しだけ開けると幾つかの押し問答をし、やや早足で戻ってくる。
「すまないが緊急の用事が入ってしまった。すぐにディスを迎えに来させるから少し待っていて欲しい。ここなら安全だけれど、絶対ではないからね」
安全ではないとは一体どういうことか。え、まさか私ってば狙われてる?
肝心のお兄様は問い質す前に混乱だけを残して行ってしまった。
眠気?そんなものとっくに醒めたよ!
一体どうすればいいのか分からないまま、アリサは途方に暮れるしかなかった。
静かな水面には恐ろしい早さで風景が流れていく。一つの見落としもなく追い続けるのは肉体と精神に大きな負担を与える。額にびっしりと汗を浮かべながらも集中力を途切れさせることなく水面を見続けるプルーフに、イーシャが出来るのは汗を拭ったりご飯を口に運んだりすることだけだ。
一刻を争う事態なのは、魔界の緊迫した空気が知らせてくれる。その状況を打破するべくプルーフが懸命に働いてることもだ。伏魔殿から殆ど出ることのないイーシャだが、これ程魔王が揺らぐのは彼女の友人絡み以外には無いことを知っている。
「アリサさん……」
(こんなにも魔王様は貴方を求めている。だからどうか早く魔王様の元へ帰ってきて)
気休めでしかないと理解していても、イーシャは何かに祈らずにはいられなかった。
己の身に過ぎた魔力は常人には耐えられない。常なら多くの気配に満ちた魔王城であるが、城内の最奥より溢れ出す力のせいか恐ろしいほどの静寂を保っている。
いつかのように魔界の天地が轟きをあげているわけではない。だからといって、楽観できるほどの状況ではなく、むしろ欲望のままに振る舞ってくれていた方が救われたのかもしれない。
これが以前アリサの言っていた嵐の前の静けさか、と思いながらジェイルは歯茎をかみしめながら通い慣れた道を進む。やがて辿り着いた先では、彼の王がいつものようにそこで座っていた。変わらない風景に違和感があるのは、ジェイルだけではないのだろう。いや彼の王こそが一番感じているに違いない。
ジェイルはみしみしと悲鳴を上げる己の身体を動かし、王の前で頭を垂れた。
「……」
無音。
前を見据える虚ろな目は果たしてジェイルを映しているのだろうか。ここ最近は雄弁だった視線は黙したまま何も語らず、そしてジェイルもかけるべき言葉が見つからない。
やがて赤い夕日が沈んでいく。
それでも尚、魔王が動くことはなかった。
今回は魔界サイド(イーシャちゃんとジェイルさん)も盛り込んでみました。




