井の蛙大海を知らず
結論から言えば、アリサの正当性は認められた。が、状況としては依然芳しくないと言わざるを得ないだろう。同じ人でありながら魔に属するということ、そして拘束力の弱い契約。一時は存在を封印する段階にまで至ったが、今回の件が故意ではないことを酌量され要観察という状態で落ち着いている。
「人間てのはバッカだねぇ。俺達を本気で縛っていると思い込んでやがるんだから」
「現にあんたもあたいもそうでしょうに。嬢さんは違うけどさ」
「イドリスもロキィトもそれは内緒」
「わかってらぁ」
淫族のイドリスと魚族のロキィト。契約主からアリサの監視を命令された二人だが、その関係は完全に真逆だった。人型を取っている彼等だが、本性が元より人型の中位魔属。現にイドリスは尻尾を隠しきれていないし、ロキィトも以下同文。抑えられていても明らかに上位のアリサとは天と地との差がある。
「にしても暇だなぁ」
契約主であるディスワードにアリサの行動制限の権限はない。故に当初は物珍しさから共に授業を受けたりしていたのだが、これでも大学生だった身としては、既に知っている知識ばかりであった。知らないのはせいぜい歴史と陣術くらいだが、後者はあの事件から関わってはいけないことになっている。まぁ、魔属が陣術の知識を得てしまったら召喚の対応策を出してくるからって事なのだろうが、その可能性は低いと見ている。ある程度の魔力を持っている者ならば、無理矢理召喚されても気にくわなければ帰るだけだ。実際にも上位魔属を召喚して殺される例が毎年あるようで、召喚は術士側にとってもそこそこリスクの大きい術なのである。
監視の目を誤魔化して結界を潜るくらいは造作も無いが、お金が無ければ何か買うことも出来ない。とはいえ、年下であるディスワードに集るのもどうかと考え、諦めてベッドに沈んだ。他者が傍にあることは慣れているが、それもこう姦しいと少し落ち着かない。あの物静かな魔王が声を発することは殆ど無いからだ。
『おい、アイサカ』
「ああ、とうとうディスの幻聴まで聞こえるように…」
「嬢さん。幻聴じゃ無くて本当に呼ばれてるから」
「うえ?」
成る程、指さされている手首の印を見れば微かに明滅を繰り返していた。と、ここでアリサは気付く。どうやって応答するんだコレ、と。その間も応答を求めるディスワードの声が脳内に直接響いてくる。
「いや、返事しろったってどうやって?」
「そこの契約書に魔力を流し込めばいいのさぁ」
「分かった。……えーと、煩いよ、ディス。何か用?」
『~~っ!お前の方が煩い。もう少し魔力を減らせ!』
「えと、ごめん。……これくらい?」
『もっとだ!』
文句が多い。これでも普段の何万分の一に抑えているのだ。それ以上となると、唯でさえ魔力制御が苦手なアリサでは無理だ。
「無理」
『~~お前はっ!もういい』
ぶちんと勢いよく脳内で回線が切れた。何事かと注目していたイドリスは、程なくして自分の契約主から声が掛かる。
「ああ?……はっ!そりゃあ傑作だ。……何で俺が?……ったく、仕方ねぇなぁ」
「イドリス?」
「嬢ちゃんに主からの伝言。今すぐ第二演習場まで来いとさ」
「何しに?」
「授業の一環ってやつさね。あたし達を闘わせたり、こき使ったりするのさ」
「嫌です。断固拒否」
「嫌だとさ。……はぁ?んなもん自分でしろよなぁ。そもそも俺に言うなって……あ、切れた」
「ほっときゃいいんだよ、あんなもん」
ひらひらとロキィトが手を振る。
「俺は結構好きだぜ。思いっきり魔力使えるし」
「そうなの?」
「イディ!」
「んだよ。別に嬢ちゃんなら問題ないって。つか、まともに相手出来るヤツが何処に居るんだよって話だろ」
「そりゃまあそうだけどさぁ」
珍しく興味を示すアリサに、ロキィトは仕方がないねと肩を落とした。イドリスとロキィトは主から力が迂闊に暴発しないよう、またさせないよう命じられているが、主がそれを許容するならば阻む理由がない。起こるであろう光景を想像しながらアリサの背を追った。
何をさせられるのやらと、取り敢えず内容如何で受けるか受けないか決めようとやって来たが、呼ばれた理由は簡潔に言うと遣い魔同士の決闘だった。自分達が召喚した遣い魔の特性を知る為と言うのが講義の主旨らしい。魔属同士のぶつかり合いを見て、如何に自分達が危険な相手と渡り合っているのか再認識する意味合いもあるんじゃないかと思う。”遣い魔”という言い方からして人間が魔属を見下しているのは明らかだけど、契約という枷こそ在れど甘く見ているととんでもないしっぺ返し喰らうんだぞ~、って分からせるには丁度良い場だ。
しっかし、見回してみると殆どが下位の、まんま本能で生きているような奴らばっかだ。まあ、学生達にとっては初召喚に初遣い魔だから、交渉もお手軽で簡単に使役出来る下位種が一番安全です。中位くらいになると知恵を持つから中々難しくって、上位は無謀な部類に入る。因みに私の主は無謀に分類されます。
「……何をした?」
「ただ立ってるだけなんだけどなあ。あはは、頭が高い。皆の者控えおろう~ってね」
「お前は……はぁ」
いやあ、周囲の視線が痛いのなんの。乾いた自分の笑い声が虚しいこの頃です。どうやら本能の塊である下位種達を誤魔化すことは出来なかったようで、対峙した瞬間から一斉に服従する様は壮観だ。城に居ると周りは大抵上位種、しかも各種族の選りすぐりしかいないし、精々外へ出ても城下まで。実は下位種って図鑑でしか見たことがなかったし、まさかこうなるとは知らなかったんです。
「イドリス。お前が行きなさい」
「いや、無理だって。嬢さん相手に攻撃したら俺が消し炭にされて終わらぁ」
担当教諭のジーンが仕方なく自分の遣い魔に促すも、すげなく一蹴されてしまう。その横の同僚にも頼んでみるが、彼の遣い魔もまた拒絶して影に潜ってしまった。
「ロキィト。ちょっと攻撃してみてくださいよ~」
「勘弁してくださいよ、嬢さん。あたいはまだ生を楽しみたいんだ」
「えっとじゃあ、イドリスお願い。私からは何もしないって約束するから」
「いやいやいや、一緒の空間に居るだけでも半端ないのに、攻撃とかぜってー無理!」
中位魔属であるが持ちうる能力は上位魔属にも匹敵すると自負するイドリスだが、アリサから垣間覗く魔力の純度で力の差が歴然としていることは分かっている。近くに居るだけで問答無用の威圧感に屈服しそうになるのを気力でねじ伏せている状態だ。その眼前では攻撃は疎か魔力を練ることすら出来ない。
ジーンは授業の終了を継げると共に校長室へ直行し、学校側は事の次第を受けてディスワードには講義を免除することで一致したのだった。