習慣とは恐ろしいものである
建物を一歩出たアリサは、ぽかんと口を開けたまま固まった。外は夕焼けに染まり、多くの者達が珍しげにこちらを見ながら通り過ぎていく。先を歩いていたディスワード・リッテ・アーク少年は足を止めたアリサを苛々して待っていた。
「ここ、どこ…?」
ぶっちゃけ今更なんですけどね。城を出発したのは朝食後だから、経った時間は精々陽が頂点をやや過ぎたくらいでなければおかしい筈だし、それにこんな種族はあの『魔属種族名鑑』にも載っていなかったと思う。力が大して無いことから元から人型を取る種族であろうが、それにしてはやばいだろう。人型をとれる魔属ならもっと見目麗しくなければ狩りも出来ない。皆様ぶさ……いやいや、なかなか個性的な容姿をしていらっしゃる。にもかかわらず、文化はそれなりに発達しているようで、なんとも不思議な光景だ。
置いていくぞとの声にようやくアリサは止まっていた足を動かした。見失わないように、決して高くはない身長を追いかける。
辿り着いたのは、寮みたいなところだった。普段はただでさえ馬鹿みたいに広い場所で生活をしているだけに、目測で八畳くらいしかないような空間は狭く感じる。まず天井が低い。これでは人型を解いた時に困るではないか。少なくとも魔王城では種族ごとに程度こそあれども、いつ本体に戻ってもいいよう一部屋の作りがばかでかい。余所の領地は、淫族しか知らないけど、やっぱり作りは大きかったと記憶している。
ディスワード・リッテ・アーク少年は部屋の鍵をかけるなり、ぽいぽいとそりゃあ勢いよく私の服を脱がし……って!
「ぎゃー!一体何すんですか、セクハラ?!」
日頃からルードがよくやるもんだから、うっかり許容しかけたじゃないか。ずり落ちそうな服を何とか手で押さえて後ずさる。そして少年よ、君も脱ぐな!
「何って食事だろ。淫族のくせに恥ずかしがるなよ」
「淫族……って誰が!私は歴とした人間です。こういう行為は気持ちが伴わない限り、絶対にしません!」
ぶっちゃけ流されてるけどね。ルードとかルードとかルードとか……。なんとなく逆らえないっていうか、体のいい玩具くらいにしか思われてないんだと思う。私とルードの関係は単純だ。今思えば爛れた生活を送ってるなと思わんでもない。
目を点にしたディスワード・リッテ・アーク少年が手を止めた。今の内にと、私は慌てて服を整える。
貞操の危機脱出であります、隊長。ご苦労だった。そのまま警戒を続けろ。了解であります。
「待てよ。俺の召喚術は完璧だったはずだ。師長も特に口を挟まなかったし、問題はなかった。俺が設定したのは、淫族中級の子供、だよな」
あーそれ、私が邪魔したからだね。きっと私が突き飛ばしたあの子が淫族の子供だったのだろう。
「私人族人科の普通の人間ですから。交尾したって栄養補給にならないから。むしろ子供が出来るのでお断りするよ。知らない人の子供産むのは勘弁してください。あ、魔力もらっても腹の足しにもならないんでそこんとこ気をつけてくださいね」
衣食住保証してくれるなら、ちゃんと食べれるものにしてくださいね。生肉とかお腹壊しちゃうよ?一応魔王の所有物だから傷つけたら怒られると思うよ。あれで結構嫉妬深いんだから。
「おまっ、人間なのか!?」
「だからさっきからそう言ってるじゃないか少年。見たところ17,8の外見してるんだから中もそれ位成長してるんでしょ?長生きしてるんなら察してよ。あ、これでも私肉体年齢は20だから、きっと少年より年、」
下と口を動かそうとしたところで。
「しかも年上かよ!絶対俺より下だと思ってたのに」
その外見で私より下って、実は老け顔なのだろうかこの少年。まぁ、魔力少なそうだし、人間の成長とそんなに変わらない種族なのかな。
「まぁいいか。兎に角人界に住んでる人間が食べるような食事を用意してくれると嬉しいんだけど?」
「根に持ってるな……」
すごすごと、妙に哀愁を漂わせながらディスワード・リッテ・アーク少年は部屋を出て行った。どちらかといえば、勝手に召喚されて、押しつけられた私がしたいんだけどね。
ここでぼやっとしてても仕方がないと、窓を覗いてみた。なんというか、懐かしい。もっといえば人間に近しい営みを感じる。そう、例えば。
「学校とか」
「良く判ったな。ここは王都にあるデアハーデン学院だ」
「王都、学院?」
香ばしい香りを手にして帰ってきたディスワード・リッテ・アーク少年はそれを卓子に置いた。どうやら食事を持ってきてくれたらしい。しかしアリサにとって今はそれどころではない。魔界の王都といえば魔王城以外になく、学院などという制度はなかったはず。これではまるで人間のようだ。
「嘘。だってまさかここ人界……?」
はっと口を押さえたアリサを一瞥し、ディスワード・リッテ・アーク少年は心底呆れたようだった。とりあえず食べろと向かい側の席を促される。