曇、所によっては晴
海の森だ。
森林の代わりに色とりどりの珊瑚が花を開かせ、蝶にも負けない色鮮やかな魚達が眼前を悠々と泳いでいく。それでいて水の中にいるような浮遊感は無く、足裏には柔らかな砂地の感触が返ってくる。当初の驚きを通り越してしまえば意外と慣れてしまうものだが、水の中であるという常識が未だに拭えず、危なっかしい足取りのままルーデリクスに手を引かれてアリサは歩いていた。
「あれは鯛かな?うわ、あれってイカ?でかっ。わ、今岩が動いたよルード!見て見……て?」
岩だと思ったそれは岩では無かった。唖然としているアリサの前で、地響きを鳴らしながらぐんぐんと頭部が天へと昇っていく。しかもその先では、ぎざぎざの歯が並んだ、鳥というには無骨な生物が飛んでいる。
「首長竜、とプテラノドン?」
歩みを止めたアリサにつられて立ち止まったルーデリクスは視線の先を辿り、一つ瞬きした。注意を引くように腕を引かれたアリサがルーデリクスの指さす方へと見れば、そこに居たのはなんとティラノサウルスである。瞳孔の開いた瞳がこちらを向き、アリサは小さい悲鳴を漏らしてルーデリクスの背中に隠れた。
「なんで恐竜がこんなところにいるの?ここ、海の中じゃ無かったっけ?いるなら普通はシーラカンスとか三葉虫でしょ。おかしいって、絶対」
……アレ等は竜族の下位種だ
混乱状態に陥っているアリサを落ち着けようと、ルーデリクスがそっと背中を叩く。恐怖に縮こまっていたアリサは恐る恐る顔を上げた。
ほんとに?
……ああ。因みに主食はこの植物だ
もう一度、今度は目が合わないようにそろそろと視線を上げていけば、噛まれたら即死しそうな鋭い牙が珊瑚をばりばりと喰っていた。……怯え損だ。
因みに魔界の竜族が治める土地にも同様の生物が存在しているらしい。此方もベジタリアンなのだそうだ。想像するとシュールだが、サハンやザイ達竜族は雑食なのを考えるとそうでもないのか。何はともあれ、ルードの傍に居れば絶対に下位種は近寄ってこないらしいので、命綱は絶対に離しません。
安全性が確保されれば、これ程興味深い光景は無い。散歩気分で周囲を観賞していると、唐突にルーデリクスが足を止める。目的地に到着したのだろうかと、前に視線を巡らせれば、またも不思議な光景に出くわした。
別に薪割りをしているのは不思議なことでは無い。寧ろ小屋を背景にして作業する姿は、妙にしっくりとくる。いや、現状を鑑みれば小屋があるということからして明らかにそぐわないのだが、この程度は許容範囲内だ。問題はもっと別、斧を持つその人物には首が無かったことだ。
「見えないのにどうやって狙いを付けてるのかな?」
だって割れ目に沿って刃を入れないと、薪は上手く割れないんだよ!?にもかかわらず、迷い無く斧を振り下ろしているのだから誰だって疑問に思うはず。
……誰だ?
「……っ?!」
一瞬にして暗闇が広がる。音も光も無い空間で、繋がる温もりだけが頼りだった。怖くないのはこれがルーデリクスの張った結界だと知っているからだ。邪魔にならないよう大人しくしていると、やがて強く引き寄せられると同時に、結界が解除される。何が起こったのか分からないが、ルーデリクスの前にはザイステールよりも更に幼い少年と、薪割りをしていた首なし身体が転がっていた。どちらもルーデリクスの魔力で縛られているらしく、藻掻いても地面を這うばかりだ。
「離せ!無礼者」
琥珀色の瞳がきつく睨み付けている。あれ、この色何処かで見たことあるような……?
「やあ君だったのかい、ルドヴィー。随分大きくなったね」
「喋った!」
さっきまでは無かったはずの首が、いつの間にか首なし身体に取り憑いていた。流石にこれには仰天せずにはいられない。
「おや、お嬢さんは……ああ、そうか。こんな格好で申し訳ないが、初めましてお嬢さん。僕の名前はオルディール。ルドヴィーを作った者だよ」
にこりと微笑むその容姿は、老いてはいたが天界の双子王に通じるところがあり、琥珀色の瞳に宿る光は穏やかだった。
「初めまして、ルードのお父様。私はルードのリコルで……アリサと言います」
アリサは魔界の作法を無視して、ぺこりとお辞儀した。オルディールにはそうしたいと、何となくそう思ったのだ。
「良い子を見つけたね、ルドヴィー。……ああ、シンリィさんならそこにいるよ」
……久しいな
ルーデリクスのものより幾分か薄い、けれども似た魔力が転がる二人を包みこむ。空間が揺らぎ、漆黒のゴスロリドレスを身につけた妖艶な美女が両脇に回収した二人を抱えていた。
……先代だ
「ええ?」
髪と瞳の色を除けばルーデリクスと瓜二つだ。明るい栗色の髪は二つに分けて黒いリボンで結ばれ、翡翠色の瞳はアリサを興味深げに探っている。
「シィンリースだ。シンリィと呼べ」
「アリサです。初めまして」
「ん」
此方は魔界の作法に則って挨拶を返す。ウォーリーの二の舞にならないよう、黒い光が収縮すると直ぐさまルードが私を引き寄せ、シンリィさんはその光景に目を丸くしたが笑っていた。思わず目を見張ってしまったのは、シンリィさんとルードがよく似ていたからだ。表情筋の死んでいるルードが笑うとこうなるのかと想像したらついね。
その思考を読み取ったらしいオルさんとシンリィさんが大爆笑してました。
突然の来客をもてなすべく厨房に戻ったシィンリースは、慣れた手つきで茶葉を用意し、オルディールは先日購入したばかりの茶菓子の封を切る。
「やっぱりシンリィさんでも負けちゃう?」
オルディールが思い出すのは、アリサと出会った時のこと。オルディールが名乗ることなどこれまでに片手で数えられる程、更に魔力に酩酊したのは二回目だ。因みに一度目はルーデリクスを一目見た時である。
「アレは化け物だ」
シィンリースがほうと熱っぽい息を吐くのは、未だ余韻が残っているせいだろう。制御の出来ていない力はそれだけで他者を酔わせてしまう。
「シンリィさん」
オルディールはシィンリースを抱き寄せ、口付ける。そこに宿る嫉妬の炎を見つけ、シィンリースは喉で笑った。束の間、濃密な魔力が厨房を支配する。足腰が立たずにどちらともなく座り込む頃、漸く長い口付けを終えて抱き合う。
「一緒に逝ってくれる?」
「当然だ」
もう一度唇を触れ合わせ、二人は厨房を後にした。