魔王+花婿=?
白の宮殿に比喩でもなく物理的に激震が奔った。その時優雅なお茶の時間を楽しんでいたジルシールは、組んでいた長い足を床に降ろすと憂いに眉を寄せる。
「やれやれ、甥っ子も無粋だね。穴を開けるなど美しくないではないか。散りゆく様こそ美しいというのに」
ジルシールはこの白しかない世界を気に入っていた。滅びゆく儚さこそ美しい。
この世界の主は実質はジルシールだ。その特権の一部とでも言おうか、何処で何が起こったのかは感覚として分かるのだが、それを周囲に感知しろというのも酷な話。侍従達の興味が窓の外にあるのを見て取り、溜息混じりに許可をしてやる。見れば地形が著しく変化していることだろう。周囲を囲んでいた巨大な山脈は抉れ、底が見えない暗闇が覗いているはずだ。
本来の天王である弟が、”天界”を放置し、自らの世界に篭もって後数百年。王の干渉を失い綻び始めた世界を辛うじて留めているのがジルシールだ。それでも力は及ばず、嘗ては人間の想像する天界の光景を備えていた天界は今や無味乾燥と化し、それどころか世界を乗っ取られようとしている。
ここ数日、ルーデリクスは癇癪を起こす子供のように、度々こうしてジルシールの作り上げた世界を作り替えていた。ほんの僅かに、けれども少しずつ自分の世界が作り替えられていくのが分かっていながらも、ジルシールはルーデリクスを放置している。理由は単純、面倒だからだ。ジルシールにとって、弟の居ない世界など、不要なもの。ならば何故この世界を維持しているかと問われれば、弟との約束があるからである。それがなければ世界など滅びてしまえばいいと本気で思っている。
「とはいえ、流石に放っては置けないね。仕方がないか」
大部分を宮殿の維持に向けている力の方向をほんの少しだけ外へ放出する。
ルーデリクスはこの時を待っていた。
自らを取り巻くジルシールの力が弱まった瞬間を突く形で、自らの内に潜む力を放出する。王に相応しい圧倒的な奔流が浸食し、世界を塗り替える。ルーデリクスに付き従っていた二人は立っているのもやっとだったが、慣れない強大な力を前にして、大半の者が白目を剥き、泡を吹いて失神した。
「この程度で倒れてしまうなど、日頃の鍛錬が足りないんじゃないですか~?」
「王が居なければ、弱体化するのも仕方がないかと」
「ああ~、道理で混血が少なくなるわけです」
「力が弱まっているのも、天王陛下の力が弱まってる証拠ですからね」
王は世界と同等の存在だ。王の力が弱まればそこに住む者達もまた弱くなる。天属と魔属による交配が減少しているのもその辺りに原因があったりする。こういう時、ジェイルはルーデリクスが自分達の王で良かったと思うのだ。
「お見事です、陛下。……これは!」
ルーデリクスが姿を消すのと同時、ジェイルが険しい顔をして黙り込む。一人取り残された形になったウォーリアスは、何が何だか判らない。
「え~、陛下?ジェイル様~、一体何が?」
「急ぎましょう。最悪の事態になりそうだ」
微かにアリサの気配は、結界に閉ざされていたこの奥にある。けれどもそれだけだ。あのルーデリクスにも劣らない純粋な力が感じられないのだ。それの意味するところは……。
異変に気付いたのは勘のようなものだ。それは無意識の内に魔力を感じ取ったからなのだが、アオイは魔力という存在を知らないので何かが変だという意識が働いたとしか認識していない。窓の外を見れば風景が一新しているのが分かっただろう。緑豊かな庭はただの乾いた白い世界へと変わり果て、自分が暮らしていたのは塔の一室ではなく宮殿の一室なのだと知覚出来たはずだ。けれども、アオイがそれに気付くよりも前に、異変を告げる使者がやって来た。
闇よりも尚暗い漆黒を纏った、綺麗なモノが。
「あんたは……誰だ?」
一目見た瞬間から囚われる。外見だけではなく、存在そのものが違った。無意識に感じられる力が萎縮させ、恐怖に震えているというのに、目を逸らすことも許されない。いっそ扉前に控えている侍従達のように失神してしまえば良かったのだろうが、アオイの持つ潜在的な魔力量が奇しくも彼の正気を保たせていたのだから皮肉な話だ。
謎の侵入者はただアオイを見ているだけだったが、やがてゆったりと上げられた手をアオイへと向ける。その何気ない動作は特筆すべきものではないが、確かにアオイは悟ってしまった。ああ、俺は死ぬのか、と。
死刑宣告のようにその手が振り下ろされる瞬間、新たな侵入者がアオイの前に立ち塞がった。
「お待ち下さい、陛下!……お気持ちは分かりますが、押さえてください。……ええ、そうですね。だったら尚のこと、花婿殿に聞くことがお有りでしょう?……駄目です。一応、相手は天王陛下の番ですよ。外交問題に発展したら面倒でしょう?リコル様も悲しみます」
突然一方的に会話?をし出した男を前にして、アオイは漸く力を抜くことが出来た。今更ながらに全身から汗が噴き出し、思い出したように心臓が早鐘を打ち鳴らして全身に血液を送り出す。
「……で今暫くご辛抱下さい。焦ったところで、リコル様はいないんですから」
それを最後に、アオイへと向けられた手は対象を失ったように力無く降ろされ、張りつめた空気が緩む。
「すみません、花婿殿。うちの陛下がご迷惑をお掛けまして」
くるりと振り返った美丈夫が、人好きのする笑顔を浮かべたままアオイへと手を差し伸べる。あんた達は誰だ、とか今何をしようとしたんだとか、色々と聞きたいことはあったが、身も心も短期間に疲れすぎていたアオイは素直に手を借りた。