出逢い+安らぎ=?
今回は短めです。長くなりそうなので一旦切りました。
質素な小屋からたなびく白い煙。芳ばしい香りに誘われて、微睡みから抜け出す。大きな欠伸を一つ漏らし、備え付けの緑色のカーテンを開ければ暖かな陽射しが脳を動かし始める。窓の向こうには楽園と見紛うような美しい花々が咲き誇っていた。昨日と寸分変わることのない光景。まさに人間がイメージする天界とは、目の前の事を言うのだろう。
けれども、窓越しに映る顔色は優れない。
「いつになったら帰れるんだろう」
時間の概念はよく分からないが、体感時間では既に20日を過ぎている。幾ら事なかれ主義とはいえ、そろそろ不安になってきたというのが本音。
「アリサさん、ご飯ですよー!」
階下から食事の支度が出来たことを告げる声が聞こえる。それに返事をしながら、小さく吐息を零した。
「おはよう、ナツメちゃん」
「おはよう御座います。冷めないうちにどうぞ」
「ごめんね。いつも」
「気にしないでください。私も好きでやってますから」
弟とよく似た顔立ちなのに、当然ながら醸し出す空気は全然違う。落ち着くというかナツメの周りだけ穏やかな空気が流れているようだ。それにつられてつい居座ってしまうのだが、いい加減現状を打破するべきだろう。
「お口に合わなかったですか?」
「え?ああ、うん、そんなこと無いよ。美味しい」
おずおずとかけられた声に、慌てて思考を戻した。止まってしまった箸を再び動かす。ふっくらとした柔らかな感触に頬が緩む。
やっぱり日本人と言ったら、朝はご飯と味噌汁だよね。和むなぁ。
驚く事に、ここには醤油や味噌、出汁まで揃っているのだ。これも動きたくない一端である。
向かい側では、漸く片付けを終えたナツメが席について食べ始めた。本来なら一緒に食事をしたいところなのだが、温かいうちに食べて欲しいと懇願されれば、作ってもらっている身としては強く出られない。
ルード。元気にしてるかな。……まさか忘れられてないよね?
ほんの一抹の不安と共に、アリサは湯呑のお茶を一息に呷った。
「迷った。ていうか、どんだけ広いんだよ~!」
果たしてこれは部屋と呼べるのだろうか。
温室なんて生易しいものじゃない。まさしく密林と呼ぶに相応しい空間が目の前に広がっていた。
「扉は……ないよね。あ~、何処なの、ここは」
前後左右を一周しても望むものは無く、アリサは力無く地べたへ座り込んだ。
あの後、アオイの部屋を辞したアリサを待っていたのはロシェだった。無言で差し出された手に特に違和感もなく重ねたのが失敗だった。まさかこんな密林に置いていかれるなんて思いもよらなかったのだから。ロシェは二度目の転移で何処かに消えてしまい、行方不明。尻尾を燃やした代償がこれだとしたら、してやられたわけだ。次に会ったら報復してやると決めて、出口を探す。ところが、予想に反して数時間歩けども、壁の一つにもぶつからない。移動の魔術は一応教わっているが、危険だから慣れるまでは絶対に一人でやるなとルードに厳命されているので出来ないし。
要は迎えが来るまで、または自力で脱出しない限り出られないのだ、ここは。
「ジル様は……いないっぽいし、ん~?」
慣れない魔力アンテナを張り巡らせてみる。すると感じられる濃厚な魔力に、アリサは何故だか既視感を抱いた。魔力は個々に違い、それは例え血を分けた兄弟でも当てはまる“常識”だ。だから知っている筈がないのに、それはアリサによく馴染んだ気配。荒々しく、けれども透き通った美しいあの極上なる漆黒の魔力に。だからこそ、僅かな違和感に妙な居心地の悪さを感じるのだ。
「ルードに似てるけど……」
違う。
言い表すには難しいのだが、アリサにははっきりと断言出来る。これはルードのものではないと。では一体誰なのだろうか。
強大な魔力、濃密な気配、そしてルードによく似て非なる存在。
一つの仮説に辿り着き、アリサは否定するように頭を左右に振った。
ありえない。
天界を統べる長はただ一人、ジル様だけだ。けれども、アリサの考えを一笑に付すようにその人物は唐突に現れた。
かの人物の行く手を遮らないように草木が別れ、そうして現れたのはジルシールだった。本来なら助かったと胸を撫で下ろすところ。けれどもアリサは自身が急速に惹かれる感覚に恐怖を憶えた。
目を離せない。必死に理性を保つために、爪で手の平の皮膚を破る。この身の全てを委ねたいという欲求が溢れてくる。ジル様なんて比じゃない。これはもっとヤバいものだ。後退りたいのに身体は動かず足に根が生えたようだ。
腕が伸びてくる。もう駄目だ。
その場で頽れるようにしてアリサは気を失った。