挨拶をしてみよう
「どういうこと?」
アリサの見間違いでなければ、それは一瞬にして消滅してしまった。ルードの本気ではないのだろうけれど、あの珠はどこに消えてしまったのだろうか。
「魔族はああやって他者の魔力を糧にする一族なんですよ。リコル様も先程喰われたでしょう?」
「え、そうなの?」
驚きに顔を上げればルードのやや呆れ視線が返ってきた。う、だってしょうがないでしょ。魔力感知は苦手なんだから。自分の力くらい把握しておきなさいって……はぁい。
うぉっほんと隣から聞こえたわざとらしい咳払いに、アリサは我に返る。
「お二人の世界に入られるのも結構ですけど、無視しないでくださいよ。寂しいんで」
「ごめんなさい、ジェイルさん」
「……」
「はいはい、リコル様は大変素直で結構。誰かと違ってね」
一言余計です、ジェイルさん。肩当たりに回された腕を慰めるように叩いていると、乾いた拍手が響いた。
「素晴らしい!まさか貴方が噂のリコル様だったとは。陛下共々末永くお願いしますよ」
「はぁ、それはどうも。……というかすっごい今更ですけど誰ですか?」
「うんうん、今更ですよねー、本当に。ボク、無視されるのって大嫌いなんですけど、リコル様は気に入りましたから許してあげます」
「ありがとうございます?」
なぜか疑問形になってしまう。
「礼ではなくそこは怒るところです、リコル様」
「あ、はい。ごめんなさい」
「だから……」
はぁ、と諦めたように溜息をつくジェイルさん。なぜかルードにまで頭を撫でられた。その生暖かい目はなんでせう?ルードさんや。お前はそのままでいろ、って……うん?よく判らないけどりょーかいです。
うぉっほんとまたもや注意を引く咳払いに、アリサは慌てて音源へと向き直った。ルード達と話していると直ぐに話が脱線してしまう。
「ボクの名前はウォーリアス。見た通りに魔族出身。外交官として天界との折衝役を担当しています」
先程の幽鬼のような姿ではなく、食事を終えて活力を取り戻したウォーリーが複雑な作法に則って礼を取る。アリサはルードの囲みから抜け出すと、差し出された手に自分の手を重ねた。
確かこれで合ってるはず……だよね?
背後からお叱りが飛んでこないのできっと大丈夫だろう。正式な礼を取る者なんて滅多にいないために、半ば埋もれかけていた作法の知識を掘り起こす。
「私は今代魔王のリコルです。初めまして、ウォーリアスさん?」
アリサが名前を呼んだ瞬間、重ねた手から仄暗い黒の光が二人を包む。それが収縮するのを見届けて、離れようとしたアリサだが、外見に合わぬ強い力で腕を握られた。痛い、と抗議する間もなく手で包み込むように握られる。
「リコル様」
やばい。
今すぐにでも離れなければと頭の中で警鐘が響いているのだが、どうすればいいのか判らない。呪縛に取り憑かれたように固まっていると。
「そこまでです」
音もなく現れたジェイルさんが、鋭い刃のように尖った爪をウォーリーの首筋に当て、アリサは再びルードの腕の中に囚われていた。
恍惚を浮かべて狂気に染まっていた瞳は徐々に元の落ち着きを取り戻し、それを悟ったジェイルは爪を元に戻した。
「全く、油断も隙もないですね」
「ボクとしたことが失敗しましたね。これでも慣れていると思ったんですけどねぇ。リコル様があまりにも魅力的なものですからつい理性が飛んでしまいましたよ」
「これからは気をつけてください」
「ふふっ。了解です」
当然ながら魔界の情報は天界にも入ってくる。噂に違わぬ魔王のリコルとして期待以上だったことにほくそ笑みながら、ウォーリアスは肉眼でも辛うじて確認出来るほどの距離にいる二人を見た。
鮮やかな手際で転移を果たしたルードにアリサはほっと肩の力を抜いた。今ばかりはルードのお叱りも甘んじて受け容れる。
……気をつけろとあれ程言っただろう
甘美な魔力は少しでも加減を間違えれば強力な麻薬になる。ルードもジェイルもそれを危惧しているからこそ、口を酸っぱくして魔術の訓練をしろと言うのだ。
「……ごめんなさい……うん……はい……気をつける」
判ってはいるが、こればっかりは自分でもどうしようもない。一応訓練は毎日欠かさずしているのだ。それでもまだ全然足らない。もっと、上手くならないと捨てられる。
「アリサ」
呼ばれて漸く俯いていることに気づいた。唇に伸ばされた長い指が、赤い雫を拭き取る。どうやら唇を強く噛み締めて切ってしまったらしい。
どうした、と覗き込まれ、アリサは何でもないと首を横に振る。この感情をルードに知られるわけにはいかなかった。尚も追及しようとする眼差しに背を向けて、何でもないのだと態度で示す。丁度運良くジェイルが腕を振っていることに気づき、アリサはその場を逃げ出した。
遠ざかっていく背中に腕を伸ばしかけたが、躊躇うようにルーデリクスは腕を降ろした。あの様子では聞いたところで何も答えないだろうことは難くない。指先にこべりついた赤い血がそれを示すかのようで不快だった。