運命の人は、一目で分かるらしい
「ネリー!お姉ちゃんなんと!結婚することになりました!」
勢いよく扉が開いたかと思うと、姉の弾んだ声が部屋いっぱいに響き渡った。
「──えっ?」
ネリーの指が鍵盤の上で止まる。次の瞬間、押すつもりのなかった低音鍵を叩いてしまい、情けない不協和音を奏でてしまった。
「そうなんだおめでとう……いきなりすぎてちょっとびっくりしたよ。お姉ちゃん結婚とか興味ないと思ってた。そりゃいつかはするだろうけど」
「ありがと。昨日の夜会で知り合った方なのよね」
「お姉ちゃん、夜会ではいつも遊んでばっかだったじゃん」
「そうそう。いつも通り仲良しの令嬢たちとお喋りしたり遊んだりしてたらぁ、急に主催の方に私だけ呼ばれて。それで紹介してくださったご縁なのよ。彼、私みたいなじゃじゃ馬娘でも気に入ってくださったのよ」
「よかったね。かっこいい?何歳?」
「えへ。二十歳年上の、背の高くてハンサム・ダンディな方なの」
姉は照れ隠しでもするように、ピアノを奏でるみたいにネリーの肩を指先で軽やかに弾いた。ネリーは頭の中で年齢を計算して、頬をひくりと引きつらせた。
「えっ……すごい年上じゃない?てかかなりおじさんじゃん。てかむしろ下手したらお父様と同じくらいじゃない」
「そう、お父様と同い年なんだけどね。すっごい落ち着いた方でぇ〜。包容力?ありまくる感じなのよ。私が何言っても笑って受け止めてくれるし、とにかく優しいの」
「……そんな年まで結婚してなかった人って大丈夫なの?騙されてないよね?再婚とかじゃなくて?」
「彼も初婚よ。ずーっと仕事ばかりしていたみたい。家族の不幸とか兄弟の借金とか、色々事情があったんですって。商会を立ち上げた後は『自分でやらなきゃ』って仕事に没頭して、国内外を飛び回っていたらしいの。南方で出会った頭の良い子を養子に迎えてずっと父子二人三脚。やっと商会を後任に任せられるようになって自分の人生を歩もうと決意したんですって」
「く、苦労してた人なんだね」
「色々と運がなかったのよ。昨日の夜会の主催の方も、恩義があったらしくてね。それで『どうにかご縁を』って相手を探してくださって、私に白羽の矢が立ったってわけ」
「なるほど……お姉ちゃんはその人で良かったの?」
ネリーはピアノから手を離し、静かに鍵盤蓋を閉じた。姉は待ってましたとばかりに目をきらめかせる。
「あのね!彼の事をひと目見た瞬間、すっごいドキドキしちゃって。『あ、私、この人と結婚するんだなぁ』ってすとんと腑に落ちたのよ」
「ひと目見た瞬間に?そんなことある?一目惚れってこと?」
「一目惚れ……というより、結婚相手だと分かったってかんじかしら?運命の人に合ったみたいな感じ?ビビビっと頭に見えざる導きが来たのよね」
「そんなことあるんだね」
姉の瞳は真剣そのものだった。けれどネリーは半信半疑で姉の話を聞いていた。
————
姉からの突然の「私、結婚します!」と報告を受けてから数日。
ネリーはひとり街へ出ていた。
ガス灯が並び、馬車が行き交う賑やかな大通りではなく、石畳の坂を下ってそのまま細い路地へと足を向ける。道沿いに並ぶ建物は、どれも一階より二階、二階より三階のほうがせり出していて、オーク材の太い柱がそれを支えていた。頭でっかちな家々が肩を寄せ合う景色は、この界隈ならではの風景。
この辺りは職人街として知られ、一階部分は店舗兼工房になっている建物がほとんどだった。
ネリーの目的は姉への結婚祝いの品を買う事。
(お姉ちゃんは『この人と結婚するんだなぁ』って分かったって言ってたけど、本当にそんなことある?『この人と結婚したい!』って思ったのがこねくり回されて都合よく変換されたんじゃないの?)
運命なんてどこか嘘っぽい。仮に本当にそんなものがあったとしても、人がそれを感じ取れるものなのかは疑問だ。
もっとも、姉が幸せそうなのは素直に嬉しい。結婚相手も年上という点を除けば、商会持ちの成功者で金持ち、人望も厚いらしい。姉曰くハンサム・ダンディらしいし。
店先に出ていた木製の看板が目に留まる。
繊細な彫刻と控えめな装飾がセンスを感じ、ネリーは自然とその工房のドアを開いていた。
チリンと澄んだ音を立ててドアベルの音が店内に響く。
(お姉ちゃん風に言えば『表の看板にビビビっと来た』って感じなのかな。でもこれは運命なんかじゃなくて、私が自分で選んだだけ、だよね)
店内を見回ると、ロザリオやブローチ、指輪など、色とりどりの宝飾品が整然と並び、輝石が陽の光をうけてきらりと瞬いていた。
(宝石のカットも綺麗……なんだと思う)
正直、そこまで審美眼の自信はない。けれど一つ一つが丁寧に作られていることだけは素人目にも伝わってきた。持ってきたお小遣いで買えるものがあるといいなと思いつつ。
そんなことを考えながら、次は姉の結婚相手を思い浮かべた。
(……例えばお姉ちゃんの旦那様、靴を脱ぐとめちゃくちゃ足が臭い人だったら?イビキが爆音だったら?それでも運命の人だー!って思い続けられるのかな。まだ相手の全てを知ってるわけでもないのに、そこまで突き動かされるものなのかな)
ふと、花を模したブローチが目に止まった。赤紫の宝石を花弁いっぱいにあしらったその花は、咲き誇るような華やかさだった。
思わず手を伸ばすと。
その瞬間、隣からも一本の手が伸びてきた。
気付けば手首を掴まれている。
驚いて振り向くと、目の前には若い男が立っていた。視線が合い心臓が飛び上がる。何故か相手も驚いているような表情を浮かべている。
精悍な顔つきで、ラフなシャツ姿に厚手の皮で作られた前掛けをしている。鍛えられた腕から見たところ、この工房の職人だろうか。
「……あの、なんですか?手を離してくれませんか?」
いつまで経っても動き出さない彼に痺れを切らして不満げに声をかける。彼は呼びかけに気付くと咳払いし、掴んでいた手をゆっくりと離した。
「ああ、すまない。商品に触りそうだったからつい」
「それはすいません、つい触ろうとしてました。あまりに綺麗で」
「一言言ってくれれば別に構わない。……けど壊すなよ。しかしそのブローチを買おうとしているなら、やめた方がいい」
「買わない方がいい、とは?自分で使う訳じゃないです」
「君、名前は?」
「話ぶっ飛んだぁ。ネリーです」
「そうか。俺はアルマンド」
一拍置いて、アルマンドと名乗った彼はブローチへ視線を落とす。
「ネリ、贈り物用ならば余計やめた方がいい。そのモチーフになっている花の花言葉は『復讐』『憎悪』とかだから」
その一言にネリーは思わずこめかみを引きつらせ、慌てて手を引っ込めた。こんなに綺麗な花なのに、そんな物騒な意味を背負わされているなんて思ってもみなかった。
「ふ、復讐に憎悪?怖っ……」
「ちなみにその辺のやつも全部やめた方がいい。その黒い花のは『憎しみ』、隣の細長い花は『貴方を呪う』、そっちは『滅亡』。あとは『狂気』『恨み』『別れ』他にも色々ある。これは——」
アルマンドは次々と指さし丁寧に解説してくれるが、並ぶ花言葉はどれも物騒なものばかり。途中で話を遮って聞いてみた。
「あのー……なんで怖い花言葉のアクセサリーばかりあるんですか?」
「敢えて作ってみたんだ。知らずに買ってく奴がいたら面白いと思って」
「えー……悪趣味……帰りますさようなら……」
踵を返して帰ろうと背を向けると、肩をがしっと掴まれた。
「まあ待てって。悪かった。変なのじゃなくて普通のもあるから見ていけよ。ほらこっち」
案内された棚を見た瞬間、思わず目を見張った。
そこには先程と打って変わって、春の花畑を切り取ったよう色とりどりの宝飾が並んでいた。
柔らかな桃色、鮮やかな黄色など、光を受けた宝石がきらきらと輝き、小さな花々が一斉に咲いているように見える。
さっきの棚も美しかった……意味を知る前までは。
こちらは見ているだけで心まで華やいでくる。
「うわぁ、すごい!素敵なアクセサリーばっかり!」
「だろ?全部俺が作った奴だよ。これとかネリに似合いそうだな」
アルマンドはチューリップを模したイヤリングを手に取り、ネリーの耳元に添えてきた。三枚の花弁には赤い宝石が取り付けられ、細く伸びた金細工の茎には小さな葉が一枚だけ揺れている。
「わあ……可愛い」
思わず鏡を見てしまう。茎と葉がゆらゆら揺れるたび、少しだけ大人になったような気分だった。
「可愛いけど!実は贈り物を探しているの。お姉ちゃんが今度結婚することになって、お祝いになにかあげたいなと思って」
名残惜しく彼の手を突き返す。自分には似合いそうだったが、姉とは少し違う気がした。アルマンドは顎に手を添え、小さく「ふむ」と考え込んだ。
「どんな物を贈るかは具体的に決まっているのか?」
「なーんにも。良いものあればって思って」
「結婚祝いか。思いつくのはペアグラスやカップのセット、一風変わった花器とかだな。生活の中で使う度見る度にネリのことを思い出してくれる」
「お姉ちゃんだけに贈れるものないかな?旦那さん、まだ会ったことないし好みもわからないから、家に置くものは避けたい。もし、すっごい嫌な人だったら情けでも贈り物なんかしたくないし」
「おいおい。捻くれてるのか、シスコンの度が過ぎるのか……自分の姉が選んだ人なんだろ?変な奴ではないと信じてやれよ」
「だって、お姉ちゃんってば『会った瞬間ビビビっと来た』とかいう理由で結婚するのよ?『この人と結婚するんだなあ』って一目で感じたとか」
胸につかえていたことがスラスラと溢れてくる。誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。アルマンドはどこか楽しそうに耳を傾けていた。
「へえ、それは興味深いな」
「そう?私は嘘みたいだと思ったなぁ。一目惚れじゃないのって聞いても、違うみたいなこと言うし。見えない導きがどうとか言ってたけど、何のことやらって感じ」
「俺は信じるよ」
アルマンドは迷いなく言い切った。
「実は運命の赤い糸で結ばれていたんだ。それで姉上は気付いたんだろう」
「運命の赤い糸ぉ?……初めて聞いたわ。そんな言葉一生に一度も口に出す機会ないでしょうよ」
アルマンドはちちちと人差し指を左右に振る。
「そうやって遠ざけると、見つかるものも見つけられなくなる。その様子じゃ、ネリは気付かなそうだな」
「うっ……」
痛いところを突かれたようで、ネリーは呻き声をあげてたじろぐ。
「あなたロマンチストね?」
「まあそこそこね」
アルマンドは肩をすくめ、口元だけで笑った。
「あと、あなたじゃなくてアルマンドな」
そう言ってから目を細める。
「運命の人が同じ街にいて、まさか出会えるなんて。存在を知らずに一生を終えてしまうことの方が多いだろうに。……俺は幸運だったと思うよ」
彼はどこか嬉しそうで、少し眩しかった。物語や人様の恋バナも好きなのかもしれない。でも家族の気持ちも知らないで……と小さくため息を吐いた。
「妹としては心配なの!まだ相手のこともよく知らないでしょ。例えば、食事の時に口を開けながら食べるクチャラーだったら?寝てる時に歯軋りものすごい人だったら?我慢できる?嬉々として恐ろしい花言葉ばかり語る人だったらどうするのよ」
アルマンドは苦笑する。
「最後のは俺のことか……?一応言っておくが、さっきの花にも普通の花言葉はちゃんとあるぞ」
「あー、お姉ちゃん大丈夫なのかなぁ!」
両腕をぶんぶん振り回していたネリーだったが、不意にその動きが止まる。視線が足元へ落ち、ぽつりとつぶやいた。
「……でも、幸せそうなお姉ちゃんの姿見てると、なんか複雑なの。祝福できない自分がみっともない気もするし……」
アルマンドは静かに首を振る。
「祝福できないんじゃなくて、しようとしてるんだろ。姉上に喜んでほしくて、幸せが続いてほしくて。そのための贈り物を探してる」
ネリーは少しだけ目を丸くする。
「……まあそうなのかも」
「さて」
彼は空気を明るくするように手を叩いた。
「話を戻すが。例えば、お守り代わりのアミュレットとか。アクセサリーなら輝石にも意味がある。願いを込めて石を選ぶのものもいい」
「石にも意味?石言葉みたいなのがあるってこと?あなたそういうのまで知ってるのね」
「石言葉、まあそんなところだ」
少し笑ってから「あとアルマンドって呼べよ」と付け加える。
「……姉上の好きな色とか、好きなものとか、好きなモチーフは?」
「お姉ちゃんは…赤が好き。私のピアノが好きだし、お日様も好き。いい歳していつも外を走り回って、お母様を発狂させてる。あと、屋敷で飼ってる猫のミーちゃんも大好きで、毎日ミーちゃんのお腹に顔を押し付けて、ミーちゃんの纏う空気を肺いっぱいに吸いこんでる」
「それはなかなか破天荒そうだな」
「結婚したらミーちゃんに会えなくなるから、きっと寂しがるだろうな」
アルマンドは小さく頷いた。
「なら、その猫のモチーフのアクセサリーを作ろうか。オーダーメイドで」
「それは素敵!そんなことできるの?」
「できるよ」
彼は笑って手招きする。
「こっちきて」
カウンターの引き出しを開けると紙と色棒を数本取り出した。砕いた鉱石を固めて作られた色棒は貴族が写生に用いる高価な画材だ。
「この紙にミーちゃんとやらを描いてみろ。添えたい花とかあれば好きな色で描けばいい。こんな感じで作って欲しいっていうデザインでも構わない」
「ミーちゃんと花を描けばいいのね、分かった。それにしても高そうねこれ」
恐る恐る一本つまみあげる。持ち手には粘土が巻かれていて、手には色は付かないみたいだ。
「高いのかもな。うちにいっぱいあったから拝借してきた。——俺はまあ貴族の端くれでね。とある名家の領主の妾の子なんだ」
「ふーん、そうなんだ」
急に身の上話が始まった。適当に相槌を打ちながら色棒を紙に試しに滑らせてみた。
(おー、描きやすい)
思わず夢中になった。
「母は幼い頃に病死してしまってね。領主は俺を引き取ってくれたが、正妻やその息子達は当然いい顔はしないものだったさ。ずっと屋敷にいるのも気まずいから、街に出て彫金師の弟子になったんだ」
「うんうん」
黒い色で線を描いてみる。これは楽しい。教養で絵を習ったことがあるが、こんな画材で描くのは初めてだ。
「屋敷では趣味だと思われていたけど、俺はどんどんのめり込んでいってさ、本気で職人になりたいと思った」
「へー」
ネリーは適当に返事をしながら、今度は茶色を手に取る。ミーちゃんのもふもふ感を出したいところだが。
「親方が亡くなった時、弟子は俺だけだった。だから俺がこの工房を継いだんだ。領主も貴族向けの仕事なら構わないと言ってくれてな。ただ、ここら辺の工房は安値の店が多いから、うちとは客層が違う。だから客足はそんなに良くはないけれど」
「そっかぁ。……ねえ、赤い花は何がいいと思う?花言葉が素敵なやつ?」
「赤い花か」
アルマンドは少し考える。
「スイートピーが『門出』、カーネーションが『深い愛』……おい、随分楽しく描いているようだが、俺の話聞いてる?」
「スイートピーにカーネーション、いいわね!あ、話?もちろん聞いてた聞いてた!」
赤の色棒を手に取り、嬉しそうに紙に向き直る。アルマンドは呆れたように笑っていた。
「本当か?」
「貴族で職人なんでしょ?大変ね。でもアルマンドはアクセサリー職人向いてそう。さっきのアクセサリーも全部あなたが作ったんでしょ?乙女心くすぐられる物ばかりだったし。流石ロマンチスト」
「そう言ってもらえると嬉しいな。物作りに没頭したり、意匠を考えることは好きだから」
「最初は、邪悪な花言葉を込めたアクセサリー作りに傾倒してる闇の人かと思ったけどね」
「まあ荒れてた時期もあったってことだ」
うっすら耳に入ってきていた身の上話が思い起こされた。そういえば、なかなか壮絶な人生だった気がする。ネリーはなんとも言えない笑みだけ返した。
「よし、描けた!」
ネリーは勢いよく紙を持ち上げ、描いた絵をアルマンドに見せつけた。アルマンドはしばらく黙って見つめた。
「……これは」
真面目な顔で口を開く。
「火の輪潜りをする猛獣の絵、だな」
「違う!ミーちゃんの周りをスイートピーとカーネーションのリースで囲ったの!そんな曲芸団みたいなアクセサリー頼むわけないでしょ」
しかし、言われてみれば、火の輪潜りをする猛獣にだんだんと見えて来る。
(私、絵心ないなぁ……)
肩を震わせて笑っていたアルマンドは、ネリーの頭をぽんぽんと軽く叩いた。
「イメージはちゃんと伝わった。猫はカメオで作ろう。花のリースにするのはいい。円には終わりがないから縁起がいいしな。花には暖色の宝石をあしらって、小さくカットした石を敷き詰めれば華やかになる。安心しろ、火の輪にはしない」
「……大丈夫そう?これ。変じゃない?」
「心配するな。絵はびっくりするほど下手だが、伝えたいことは分かったし、あとは俺が形にする。ただミーちゃんは実物を見たいかな」
「そうね、絵ではミーちゃんの可愛さは表現しきれないわ。カラメル色の癖っ毛でもふもふで、とっても可愛いのよ。一度うちに見に来てもらった方がいいかも」
「そうしよう。できれば今週中に行きたい」
「分かった。日時は追って手紙送るわ。ただ、花のリースの部分の小さくカットした宝石を敷き詰めるって、どんな感じになる?想像つかないくて」
「ちょっと待ってろ」
アルマンドは奥に引っ込み、ほどなくして小さな箱を手に持ち戻ってきた。箱を開けると、そこに収められていたのは、一面に輝石が敷き詰められたパヴェリングだった。大小さまざまな石が光を受けて煌めいている。
「綺麗だろ?」
「うわぁ……可愛い。なんてキラキラなの……」
思わず息を呑んだ。
「大きさもカットも違うダイアモンドを組み合わせて敷き詰めてるんだ。星空を集めたみたいだろ?」
「凄い……綺麗すぎる……他に言葉が見つからないわ……」
その素直な反応を見て、アルマンドは満足げに口元を緩めた。そして左手を差し出す。
「ほら、貸してみ?」
「なにを貸せと?財布?」
「なんでだよ」
アルマンドは呆れ顔を向けてくる。いきなり精算するのかと思ったけど違うのか。ネリーが首を傾げると、アルマンドは返答が待ちきれなかったようにその左手を取った。
「え?」
長い指でリングをつまみ、そのまま迷いなく薬指へ。するりとリングは抵抗なく指の根本まで収まった。
ネリーは瞬きを忘れ、視線だけが薬指へ落ちる。そこには吸い寄せられそうなほど澄んだ輝石をまとったリングが飾られている。光を受けるたびにきらりと輝き、見れば見るほど美しい。
「……本当にぴったりだな」
彼も少し驚いているように呟く。そう、それは、まるでネリーのために用意されていたかのような収まり方だった。
(——?)
その瞬間、左手の薬指の感触を意識してしまう。左手の薬指といったら結婚指輪なんかを連想してしまい、頬が熱を持った。
「な、なんでこの指に……?」
その返答は悪びれる様子もなく返された。
「だってここ空いてたから」
そう告げたアルマンドは悪戯っぽく笑みを溢した。
その笑顔を見た瞬間、なぜか胸がぎゅっと苦しくなった。なんなら動悸が激しいし、全身が太陽を浴びている時みたいにじりじりと熱い。
「いやいや、ビックリした!買わないわよ!可愛いしすごい好みだし、付け心地もいいけど、こんなことしたって買わないからね!」
そうは言いながらも、左手は勝手に顔の前にまで持ち上がっていた。光を受けて輝くリングを何度も見てしまう。リングつけている自分はまた少し大人びたように見える。
「いいだろそれ。今まで作った中で、一番気に入ってる。……おい、取らないから。手隠すなって取らないから、つけてていいから。見せてみ?」
もう少し着けていたいとの思いからささやかな抵抗をするも、ネリーは観念したように左手を差し出した。
アルマンドは両手で慎重そうに包み込み、ゆっくり目の前まで持ち上げた。
「サイズもちょうどいい。地金の色も肌に合ってるし、連なっている宝石がよく映えるよ」
褒められていそうな気がして口元が緩む。
というか、リングを見られているだけなのに、なんだか落ち着かない。左手を包む体温がじんわりと伝わってくるからだろうか。
「う、うん。ほんとピッタリ。まるで私のために作られたみたいって錯覚する」
思わず声が上擦ってしまう様子を見て、アルマンドはふっと笑う。
「確かにそうだ。似合うよ」
そう告げるとアルマンドはやっと手を解放してくれた。心臓がドクンと鳴った。熱くなった頬を隠すように俯き、リングを外そうと指に手を掛けた。
「あれ、外れない」
「指の節が通りにくいかもしれないな。回しながら通せば抜ける。あとは、人にやってもらった方が外しやすいだろうな」
「じゃあアルマンド、これ外してくれる?力んじゃうみたいで余計抜けない。ていうか、なんでここの指にはめるのよ。なんか後ろめたいじゃない」
アルマンドは答える代わりに、ネリーの薬指をじっと見つめた。
「……いいじゃないかこのままで」
そして、小さく笑って言った。
「ネリの左手の薬指に一番似合うリングはこれの他に見つからないだろうな。これも運命ってやつだよ」
「う、運命……?」
「だってサイズも奇跡的にぴったりだ。指の長さとのバランスもいい。地金の色も肌に馴染んでるし、石もの並びも綺麗に見える。それにこのリング気に入っただろ?」
「うん……?」
運命。最近やたら耳にする言葉だが、しっくり来るような来ないような。何でも運命って付けてればそれっぽくなるだけの気もするし。
「それでどうだ?何か感じた?」
アルマンドはネリーの顔を覗き込んだ。急に近付かれるとぎくりとするからやめて欲しい。平常心を装ってネリーは涼しく答える。
「何かって……運命を感じたかってこと?そうね……少し感じたかも?」
「それは良かった」
彼は柔らかく笑う。その笑顔を見て、よりネリーの疑問は深まるばかりだった。
(何が良かったって言うの?)
「鈍感卒業だな、おめでとう」
「だ、誰が鈍感!ただ運命とかそういうの信じてなかっただけだし!」
ネリーは指をかっ開いてリングを掲げ、むっと睨み返した。
「そうね、このリングとの出会いは運命かもしれないって少しは思うかもしれなくもないわ」
「俺との出会いも運命感じてくれよ、そこは。」
「ええ?!」
予想外の一言に声が裏返る。肘が机からからずり落ち体勢を崩し掛けたものの、リングのはまった左手だけは反射的に死守した。
「俺が作ったんだから」
「ああそう言うことね……」
(びっくりした)
ほっと息をつくが、頬の熱が全然引いてくれない。アルマンドはそんなネリーを見つめたまま、穏やかな声で続けた。
「でも俺は、最初にネリを見た時から感じてたよ」
やっと落ち着いたと思ったのに、また不意打ちで殴られたように体勢を崩してしまう。息絶え絶えになんとか持ち直す。
(何を感じてたって言うの?)
アルマンドは相変わらず笑っていた。しかしその表情からは真意は読み取れない。
文脈からすると……運命?それは、嘘なのか、本当なのか、何なのか分からない。聞きたいけど聞けない。口だけがぱくぱくと動いて、結局一言も出てこなかった。
(というか『見た時から』って何?!)
そんな神様のお告げみたいなものが、本当にあるのだろうか。いや、同じ主張をしていた姉がいたので、絶対にない、とは言い切れない。まあ信じるとしても一割くらいだけど。
(この人、もしかして私のこと好き……な訳ないか。少し話したくらいでねぇ。私は特別美人でもないし普通よ。そんな訳ない、な訳ない。……でも、みんなが言う『運命』が本当にあるなら?いやいや、からかわれてる?)
とにかく混乱して頭がぐるぐる回っているネリーの姿を、アルマンドは頬杖をつきながら困ったように眺めていた。その視線はほんのり甘い。
「……そのリング、あげるよ」
「……あげる?」
ネリーの思考が止まった。口をぽかんと開いたまま、瞬きを繰り返す。
「あげるって……くれるってことよね?本当に?いいの?」
「ああ。俺としても着けててほしい」
そう言うと、アルマンドは顔にかかっていたネリーの前髪を、指先でさらりと横に流した。
(なんだ、急に触るな。ロマンチックをつくるな)
また心臓が忙しくなった。
「ありがとう!嬉しい?もうなんか訳がわからないけど」
謎だ。急にアルマンドの笑顔が眩しく見えてきた。そして自分の心臓は相変わらず煩すぎる。
彼の行動は理解不能で、どう受け止めればいいのか考え始めると頭の中がまたぐちゃぐちゃになる。
……もういい、もう考えるのはやめよう。くれると言うなら、素直に貰っておこう。
「ただし」
アルマンドは薬指のリングを、とん、と指先で叩いた。
「着けていいのは、ここの指だけ」
「……?」
(——それは?)
一瞬だけどこかに引っかかったが、もう頭は限界。考えること放棄。
「こ、ここの指に着けるならくれるのね!」
「そう。左手の薬指に着けるのが条件だ」
もう頭の中はぐるぐるとこんがらがっている状態。冷静な判断も出来るわけもなく。ネリーは目を回しながら「分かった!」と勢いだけで返答するのであった。
————
ミーちゃんを見に来る日程が決まったら連絡すると伝え、ネリーは工房を飛び出した。
硬い石畳を数歩歩いて、少しだけ頭が冷えた。で、ふと気付く。
(左手の薬指限定って……何?)
恐る恐る振り返り店舗の中を見ると、アルマンドはイイ笑顔で手を振っていた。ネリーは声にならない叫びを上げ、顔を真っ赤にして逃げ去った。




