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第08話 証明

――同時刻。


成美はソファに寝転びながらスマホを耳に当てていた。あくびを噛み殺しながら、相手からの報告を聞いていると、上半身を起こしてソファに座りなおす。


「……ああ、予定より早いな」


相手からの報告を聞き、無精ひげを指でなぞる。あくびしたせいで目尻に涙がたまったのを指で拭う。


「物流の方は?」

『問題なし。向こうは慌ててる』

「上出来」


淡々と答えたあと、それじゃあ引き続きよろしく、と適当に相槌を打って終わらせた。

すると背後から珈琲の香りが近づいてきた。両手に紙コップの珈琲を持った夢兎が立っていた。


「おはようございます」

「はよぉ。珈琲入れてくれたの? サンキュ」


そう言いながら、少し場所をずれて夢兎が座る場所を開ける。珈琲を受け取りながら一口飲むと、あちちっと小さく舌を出してみるも、無精髭のオッサンがすることだ。可愛さはない。


「……で、彼女は?」


視線を向けるもなく、成美がテレビのリモコンを操作して画面が明るくなる。映し出されたのは、最近人気急上昇してきている芸人のコント。スタジオの笑い声と、パネラーの笑顔がワイプに映る。

見たいわけでもないのに、それを流したまま夢兎もテレビを見つめながら告げた。


「無事だよ。ただ――」

「分かってる」


成美は目を閉じる。


「恐怖を与えすぎるな。壊したら、意味がない」


そう言って目を開くと、夢兎は少し間を置いてから、フッと噴き出す様に笑う。


「それどころじゃないみたいだよ」

「なんだ、もう壊れたか?」

「逆。目覚めた」

「……はぁ? マジか?」


意外そうに成美が声をあげると、夢兎はクスクスと笑って。


「思うよりずっと強い子だね。びっくりした」

「いやぁ、俺も流石に想定外だわ」

「長くは続かないだろうけど」


怒りという感情は持続性がない。けれど、一度ついた灯はなかなか消えないことも知っている。やれやれといった様子で再び珈琲を口にする成美に、夢兎は尋ねた。


「思惑通り進んでる?」

「んー、一進一退」

「シゲさんが楽しそうならよかったよ」

「俺、楽しそう?」

「とても」


夢兎にとって成美の機嫌を最優先で読むことが一番正しい。兄である緒凛の事は好きだ。実の親より気を遣ってくれて、家族という縁が薄い中でも弟としてしっかり見てくれている。けれど、夢兎の心の穴を埋めたのは成美だ。

他の兄弟と比べて何も持たない夢兎に、黒澤財閥で生き抜く知恵と技術と考え方を教えてくれた。

たぶん、本当の父親より父親らしい。年齢差から考えれば兄なのだが、夢兎をそれなりに可愛がってくれる。


夢兎自身も気が付いている。成美にとって夢兎はお気に入りの()だ。情に厚いようにも見えるが、利己的でいつでも非道になれる。でも、そこがいい。


成美はリモコンを操作して、いつの間にかバラエティからラブロマンスドラマに変わっていて、片思いしている女主人公が、ヒーロー役の男性と仲違いするシーンが映っていて。


「……そろそろ、いいんじゃないですか?」


何気に夢兎が呟けば、成美は「うーん」と少し考え込む。


「壊れたら意味ないんでしょ?」

「まー、そうなんだけど」


それじゃあ面白くもなんともない、と思っているのが丸わかりの表情に、夢兎は思わず苦笑する。


「また違う遊びに誘えばいいんじゃないですか?」


夢兎の提案に、成美がぱっと表情を明るくした。


「確かに。それなら今壊れるより、修復した方がいっか!」


そう言っていそいそとスマホを取り出した成美の姿に、夢兎は安堵する。

成美の事は尊敬しているし好きだ。けれど、実兄である緒凛の事を嫌っているわけでもない。兄として何かと気にかけてくれているから好いてはいる。成美の意図に反しても、兄もが壊れるのは本望ではない。


「……オウジサマは、ちゃんと追いつけるかな?」


ニヤニヤしながら成美の告げた言葉は、ドラマに対するものではなく。多分、緒凛に対する。


確かにドラマに例えるならば、これは救出劇だ。だが同時に、試験でもある。



 ◇◆◇



黒澤財閥の中心とも呼べる本家は広い敷地を有している。


本邸と呼ばれる本家本元の屋敷があり、別邸が点在している。本邸は黒澤家当主とそれに仕える者、ごくごく限られた者しか足を踏み入れることが出来ない。行きたくて行けるものではなく、呼ばれて初めて訪れる事が出来る。それはどのような近しい親族でも然り。


その本邸のすぐ近くにある別邸の一室で、黒澤家の財政トップを任されている男――黒澤(いと)、緒凛の実の父の姿がそこにある。

男性の一般的な身体と何の齟齬はなく、中肉中背で、けれど昔はイケメンで囃し立てられただろう、というくらいにはダンディズムが醸し出されている。顔に笑みを張り付けた。一見穏やか優しそうな中年男性といったところだ。


本邸と同様、ここに出入りできる人間は限られている。その限られた中に入る部下の報告を、絃は静かに聞いていた。


「そう……緒凛が預かっていたあの子……真織が消えたのか」

「はい。現在、緒凛様が自ら動いておいでです」


それだけ言い残すと、部下は静かに下がる。絃は視線をタブレットに載った資料に落としながら、ゆっくりと笑った。


緒凛は優秀だが、感情に弱い。妻との間に五人の息子をもうけたが、黒澤家の次世代を担うのには緒凛が抜きんでている。それぞれの息子は好きに生活させているが、黒澤家の苗字を享受できるのは、適性がなくてはいけない。認識するよう幼い頃から叩き込んであるので、今後それぞれの分野で活躍してくるだろう。


が、緒凛は別だ。特別目をかけている。


嫡子として徹底的に叩き込んだはずが、感情を揺さぶる相手が出来たかと落胆する。

だが、まぁそれも許容の範囲内だ。一度感情を選んだとて、会社に及ぼす影響は、損失は出てもそこまでのものではない。ニュースに取り上げられるだろうが、リカバリはいくらでもできる。緒凛に任せている部分を、絃が手出しするつもりは毛頭ない。


「やはり……」


絃は手に持っていたタブレットを机に置いて立ち上がる。背に広がっていたガラス張りの外を眺めれば、そこから本邸が見える。


「――ずっとそこに居たらよかったのに」


そうしたら、きっと真織はこんな大人のいざこざに巻き込まれずに済んだだろうに。


卓上に置いていたスマホが震える。仕事の内容は部下に持たせている端末に集約されるため、こちらは完全プライベートだ。


端末を操作しながら、そこに映っていたメッセージに視線を落とす。


《ワンッ》


たった一言に、絃の唇は弧を描いた。



 ◇◆◇


真織が連れ去られ、二十四時間が経過しようとしている。


黒澤家が所有するこのマンションは分譲前――というより、完成前である。工事現場の立ち入り禁止、まだ足場も組まれたままのここに緒凛自身が車を走らせて乗り込んだ。部下は自分達が行くと言っていたが、それを無視して飛び出してきた。

鉄格子の扉を開き、カツカツと足音が鳴る。まだ電気も水道も通っていない現場は真っ暗で、足元が見えにくい。スマホのライトで何とか順をたどっていけば、まだ仮の扉が付いた管理室の前に立った。


「ここか」


情報は、成美からだった。バタバタと情報を錯綜とさせている中で、急に非通知の電話が緒凛のスマホを震わせる。


『シンデレラにはガラスの靴がいるよ。準備できた?』

「真織はどこだ」

『言葉遊びも出来ないほど? つまんない男だね』

「お望みならガラスの靴を叩き割って、貴様の喉元にぶっ刺してやる。さっさと言え」

『犯人扱い決定事項なの笑っちゃう』

「言え」

『二十四時間。合格ラインかな。壊れなかったし……君もね』

「貴様っ……」

『はいはい、落ち着いてよオウジサマ。抱き締めるくらいは許可してあげる』


信用していない。だが、他に手はない。

サラサラとピンポイントで真織の居場所を教えるくせに、何が犯人扱い、だ。犯人そのものであることは確定だ。

だが内部犯であり、身内の不祥事だ。しかも攫われたのは身内ではない(・・・・)ため、事件にしにくいので警察を動かすのは得策ではない。


「――真織!」


静寂の中に扉を蹴破る音。それは真織の鼓膜をビリビリと震わせるには充分だ。


「……お、りん?」


薄暗い中、縛られた真織の姿に、目が合った瞬間、時間が止まった。瞬時に沸き上がった激高を必死に抑えながら駆け寄ると、汗だくになりながら気弱く微笑む真織が居る。手を後ろで縛られている事に気が付いて、解こうとするが、ベッタリと生温かいものに触れて思わず自分の手を見る。多くはないが、血が付いた。


「っ!」


護身用に持ち歩いている小型のバタフライナイフを取り出して、縄を切った。瞬間に解けたのは縄と緊張。

真織の体がグラリと傾き、緒凛はバタフライナイフを手放して彼女の体を支えた。


「……良かった」


それだけ言って、緒凛は彼女を抱きしめる。優しく強く。離さないように。真織も体力と気力の限界が近いのか、ぼんやりとする思考で緒凛に体を預けたままにする。


「怖かったか」

「……はい」


正直な答え。力ない真織から少しだけ体を顔を覗き込む。緊張から湧き出た汗で髪が顔に張り付いている。優しく指先でそれを払えば、真織はぎこちなく笑って。


「でも」

「……?」

「緒凛がいるから、大丈夫って思ってた」


それを聞いて、緒凛の腕に力がこもる。

違う。本当は、本来なら。これは緒凛が試されるべきで、真織は巻き込まれるべきではなかった。でも巻き込んだ。これはもう、周囲に緒凛が選んだことを知られるだろう。それでも。


「すまない」


その腕は、もう二度と緩めるつもりはなかった。

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