【短編小説】儀式、ウチのコになる為の
古着と言うのは、どうにも良くない。
洗濯をしたとしても、まだ以前に着ていた人間の思念みたいなものがこびり付いている気がして厭だった。
梅波ミシェルはウンザリしながら総シルクの薄青いナイトドレスを脱ぐと投げ捨てた。
一度洗って平気なものもあれば、何度洗おうとダメなものはダメだ。
これはもう、ダメかも知れない。
梅波ミシェルが廊下に出ると、トニー・門棚が買ったばかりのスニーカーを取り出しているのを見た。
トニー・門棚が箱から出したばかりのスニーカーはまだ真新しく、ゴムと革、そして少しばかりの緩衝紙や埃の匂いが梅波ミシェルの鼻をくすぐる。
梅波ミシェルは自分が買った訳でもないのに、その匂いに高揚とほんのちょっとの後悔みたいな感覚を覚えた。
スニーカーを眺めていたトニー・門棚は大きく息を吸い込んで、その新品にしかない匂いを胸いっぱいに取り込むと、箱から出したスニーカーを裏返してソールに釘で傷をつけた。
「何してるの?」
梅波ミシェルは不思議になって訊いた。
そんな事をしている人を見た事がない。
「儀式だよ、自分のものにする為のね」
そう言いながらトニー・門棚はゴムソールに傷をつけるのに夢中で、背後の梅波ミシェルが殆ど裸同然で立っているのにも気がつかなかった。
梅波ミシェルは壁に寄りかかると、両手で自分の身体を抱くようにして立った。
壁は冷たく、自分の中の熱がどんどんと吸い込まれていく感じがして怖かった。
それにトニー・門棚が自分を省みないのも、存在の希薄さを見せつけられている様で怖い。
「それは、いつもやるの?」
梅波ミシェルが訊くと、トニー・門棚はスニーカーと向き合ったまま
「そうだよ、これは儀式なんだ。おれのものになったと言う、おれとモノの間でやる儀式」
そう言って夢中で儀式を続けた。
ゴムソールの裏側に文字の様な傷を刻み終わったトニー・門棚は、満足そうな笑みをようやく梅波ミシェルに向けた。
「大切な儀式なんだよ」
トニー・門棚は梅波ミシェルに笑顔を向けた。
「きっかけは覚えていないけど、こうしないと自分のものになった気がしないんだ」
いつからか買ったものに、自分だけの傷をつけると言う儀式を繰り返すようになっていた。
ノート、ペンは当たり前にそうした。
服に付いている襟タグのところや、財布の中にも小さな傷や印を付けた。
高い腕時計にも新品の自転車にもそうやって傷を付けた。
「だからスニーカーにも傷をつけるの?厭じゃないの?折角の新品なのに」
梅波ミシェルが訊くと、トニー・門棚は真顔になった。
「どうして?
遅かれ早かれいつかは傷がつくんだ。ゴミを踏んだりするだろう?
それなら自分の手で、しかも過失ではなくイニシエーションとして傷を付けたい」
トニー・門棚は梅波ミシェルを真っ直ぐに見つめて言った。
トニー・門棚の真っ直ぐ刺さる目に見据えられた梅波ミシェルは、自分がカッと火照るような感覚に陥った。
「……わたしは?」
そう声に出した瞬間、余計な事を訊いたと思って後悔した。
これじゃあ、まるで何かをねだっているようだ。
そんな女が一番嫌いなのに。
梅波ミシェルは目を伏せた。
するとトニー・門棚は鼻を鳴らして笑った。
「何だ、そうか。気づいて無いのか」
トニー・門棚は傷をつけて儀式を終えたスニーカーを履くと、そのまま廊下を歩き始めた。
「ちょっと、やめてよ」
梅波ミシェルは慌ててトニー・門棚を止めた。
いくら新品のスニーカーとは言え、靴で部屋を歩かれるのは良い気がしない。
しかしトニー・門棚は気にも止めずに突き当たりのドアを開けると、ほら見ろよと言って梅波ミシェルを振り返った。
梅波ミシェルは恐る恐るトニー・門棚の肩越しに中を覗くと、そこには全裸で横たわる自分自身の姿があった。
真っ白な肌と金色のシーツが血で汚れている。
「もう終わってるんだよ、その儀式は」
トニー・門棚はそう言うと血だらけの服を脱いで洗濯機に放り込んだ。
「あぁ、そう」
どうりでナイトドレスが気に食わない訳だ。
梅波ミシェルは、自分と言う存在がコーヒーに溶ける生クリームみたいに曖昧に希釈されていくのを受け入れた。




