「国境線を超えろ」作戦
――この島を統治する? 俺の完璧な生活を踏み荒らすつもりか?
アイリア姫は西の方角を指差した。
ほぼ円形のこの浮遊島は、俺らがいるこの場所だけツノのように少し出っ張っていた。だからここからは広い範囲を見る事ができる。
「向こうの方の一直線の黒いラインは見えますね? あのラインは隣国との国境線に植えられている糸杉です、この島はラインの内側に、つまり我が国領土の上空に浮かんでいるのです」
姫が言うように島の全部が国境線の内側に収まっていた。しかし納得できなかった。
「お姫様、空って誰のものでもないんじゃないですか、強いて言えば神様のもの?」
「……200年前のキジ戦争はご存知でしょうか?」
「知らないです、何ですかそれ」
「我が国の領土上空を飛んでいたキジを投石によって落とした農夫がいました。しかしキジが落ちた場所は隣国の領土でそこの農夫がキジを拾ったのです。2人の農夫はキジの所有権を争って罵り合いとなり、最終的には国同士の全面戦争にまで発展してしまったのです」
たった1羽の鳥の奪い合いで……マジか。でも俺が元いた世界だってサッカーの結果が原因の戦争とかもあったみたいだしな……。
「その悲惨な戦争の終結後に我が国を含めた4カ国で領地上空に関しての取り決めが行われたのです。その時の条約に基づき、この天空の島フェル=アッカはダーガヘント王国が所有権を持ちます」
キジ戦争の話を聞かされて、ひとつだけ判明した事があった。
キジ戦争の事が書かれている本は遺跡内にはない。だからこの浮遊島は地上と断絶してから少なくとも200年以上の時が経っているらしい。
さて、どうしようかと考えながら、ふとドラゴンが飛んできた方角に目をやると、城の塔から赤い煙が空に向かって伸びていた。
「あの煙は?」
「お姉様の呼び出しの……はあ、まったく……」
アイリア姫は大きなため息をひとつ吐くとドラゴンの方へ歩いた。ドラゴンは瞑っていた目をギョロっと開けて長い首を持ち上げる。
「急用ができましたので今日のところはこれで失礼いたします」
「ひとつだけ教えて下さい。俺は何年もここから空と大地を見てた。けど一度もドラゴンが飛んでたところを見ていない。これは何故ですか?」
アイリア姫は慈しむような目で、優しくドラゴンの頭を撫でながら答えた。
「見てなくて当然です。世界に残されていたドラゴンの卵はたったひとつ。その最後の卵から産まれたこの子の初飛行が今日でしたから」
「最後のドラゴンの初飛行……」
「ではまた明日、ごきげんよう」
その声を待っていたかのようにドラゴンは大きな羽を目一杯広げて飛んでいった。
慌ただしい異世界人との初遭遇は終わった。
ちょっと前までは誰かと交流したいと思ってたのに、出会ってみたらただ面倒事が増えただけだった。
やっぱり人間の最大のストレス源は人間なんだなと再認識した。
それにしても、大地とこの島を結ぶ唯一の交通手段であるドラゴンは姫しか近寄れないのに、この島を統治して何ができるというのだろう? 誰も送りこめないんじゃないのか? 下までとんでもない長さのロープを垂らして登らせるとか?
――なんにしろ島が管理される事での俺のメリットはなにもない。俺があのドラゴンに乗って時々下界に遊びに行けるわけでもないし、どうにかして統治は阻止しよう。
家に帰った俺は、姫から借りた布を脱いで着替えた。
この服は木の内皮を水に浸して柔らかくし、叩いて布状になったものの中央に穴をあけて被る。いわゆるポンチョというやつだ。
着替えた後に家の外にある切り株に座っていた俺はある事がひっかかった。そしてそのひっかかりを解消する為に遺跡の中にいるチャッピーに会いに行った。
「……というワケでそのお姫様に困っていてね」
「なるほど。それで、ひっかっかってる事ってなんだ?」
「俺がこの島に転移して最初の冬だ。家の前の切り株に座るとそこから遠くの高い山が見えるんだけど、その冬の一番寒い日に切り株に座ったら山がほんの少し右に動いているように感じたんだ……それって、もしかして」
「君の予想はたぶん正解だ。そう、山が動いたんじゃない、この島が動いたんだ」
「やっぱりそうなのか? この島って動くのか?」
俺はその冬、外に持ち出そうとした遺跡の小さい本棚をチャッピーにぶつけた。その衝撃を受けた際に島全体が振動しているのをチャッピーは感じたらしい。
あの頃はまだ俺とチャッピーはまともに会話ができず、俺は山が動いた事を伝えないままチャッピーは島の振動を伝えないまま、お互いその事を忘れて月日が経過していたようだ。
チャッピーの正体はこの島の操縦桿のようなものなのだろうか? 形はそれっぽい。
「つまりチャッピーを叩けば、この島が動く?」
「おそらくは、たぶん、強い衝撃で」
――この島を動かそう。国境線の向こうまで。
しかしどこを叩けばいいのかわからなかった。
ここでは東西南北すらわからない。俺たちがいる遺跡内の広い空間はそこまでの通路が何度も折れ曲がっているからだ。
俺は座禅を組んで瞑想した。精神を研ぎ澄まして人間の潜在能力を信じ、国境線(西)の方角に進むための殴る場所を探った……そして結論を出した。
チャッピーの顔がついているのとは逆側の、後頭部にあたる部分が答えだ。
「正面からだとハンマーが見えるからさすがに少し嫌だが、後ろからなら大丈夫」
「ごめんな、チャッピー」
大きな木製ハンマーで金属を叩く、その重く低く鈍い音が遺跡内に響き渡った。
そして俺は遺跡から出て島の中央の丘に登った。丘の上からの風景がいつもとは違っていた。やったぞ、島は動いたんだ!
しかし西の方角にある国境ラインが前より遠くになっているような気がする。おそるおそる東側を見ると白い城と城下町がいつもより大きく見えた。
ダーガヘント城に近づいてる? 逆だった! 叩くのは後頭部じゃなかった!
「そうか、じゃあ僕の顔面を叩くしかないだろう、東に進んでしまった分も叩け」
「チャッピー……」
「気にするな、時間はない、ひと思いにさっさとやれ、情けをかけるな」
「お前ってやつは……なんて、かっこいい石像なんだ」
俺は渾身の力を込めて相棒の顔面をハンマーで叩いた。何度もぶっ叩いた。
島の中央の丘にまた登った。
東の方角を見ると糸杉が植えられた国境ラインが見え、そのさらに奥に白い城と城下町が小さく見える。ついにこの島はダーガヘント王国の領土から抜けたのだ。
これでこの島を統治する権利は隣国に移り、アイリア姫のダーガヘント王国はこの島に干渉する事ができなくなった。もし干渉すれば国家間の条例違反になる。
そしてドラゴンがいない隣国は島に来る手段がない。
俺の完全勝利だ。俺は自分の楽園での今までどおりの暮らしを守ったんだ。
チャッピーにはちゃんとお礼を言っておこう。
――翌朝、この島に向かってくるドラゴンの姿が見えた。お姫様がそうとうお焦りなさってるご様子なのは、その物凄いスピードからよく伝わってきた。