骨壺
―― 幼馴染として一緒に過ごした友人が、死んだ。
葬儀の内容は、詳しくは覚えていない。いや、友人が死んだという事実から、目を背けているだけなのかもしれない。けれども、高校の制服を着てかしこまっては、お坊さんのよく分からないお経をぼんやりと聞き流していたことを、俺はなんとなく記憶している。
交通事故、だそうだ。あいつが死んだ日は、一日中小雨が降り続いた日だから、さぞ道路は滑りやすかったに違いない。家の前を通り過ぎた救急車が、友人を運んでいるとは……夢にも思わなかった。
葬儀が終わった次の日は、雲一つない快晴だった。あいつが死んだ日の天気と、入れ替えてやりたいくらい晴れていた。太陽が差し込む明るい教室の中は、まだ重苦しい空気が漂っていて、教室内の会話の数もどことなく少なかった。
あいつの机に置かれた菊の花が、あいつが死んだ事実を伝える装置に思えてしょうがなかった。ドラマのワンシーンの舞台装置にも思えた。退屈な授業の際には、幼馴染が死んだことに悲しむ自分を撮影するシーンを何度も妄想していた。
カット! オーケー! 監督の掛け声の後には、必ずあいつが顔を出す。
「いやいや、流石に演技入りすぎだってww」
「そこまで悲しい顔すんなよww マジで俺が死んだみたいじゃんか」
撮影の後、きまってあいつはだるーく絡んでくる……あいつはこんなことを言うかな。どうかな。
花が添えられてから、二週間がたった。しおれだしては何度か花が入れ替わった。
だけど、それでも教室はあいつの死を忘れはじめ、会話の数もだんだん戻り始めた。四十九日が過ぎてからは、花瓶も消えてなくなり、あいつの机もどこかへ片づけられた。
今の教室には、あいつの痕跡はどこにも無い。
…………。
………………………………。
…………………………………………………………………………もう半年か。
……間違いなく、俺もどこかあいつの死を忘れかけている。いや、心の底から受け入れはじめている。あいつのいない非日常が、日常として、俺の生活に順応しきっている。
現にこうして今も、あいつがいた過去を振り返りながら学校へ向かっている。
朝食を食べる。制服を着る。玄関のドアを開ける。あいつの目覚めが早ければ、玄関の前で待ち構えている。そうでなければ、学校へ向かう途中、あいつが後ろから追いかけて合流する。寝坊したら教室で出会う。下校になれば部活やその日の気分、二人の都合に合わせて一緒に帰るか決める。
これが登下校の習わしだった。
……どこか期待している。あいつが後ろから声をかけてくれることを。あの時のように、後ろから肩を組んだり、ヘッドロックをかましにきてくれることを。
……どこか期待している。あいつが死んだあの日に戻れることを。あの時、一緒に下校してやれば、寄り道しながら帰ってやれば、あいつは今も生きていたはずに違いないんだ。
ぽつぽつと道路のアスファルトに黒い点々がつきはじめる。小雨が降り始めたみたいだ。周りの生徒が足を速めるのに反して、俺の足はどこか遅くなる。
溢れる。思い出と後悔が。あいつとコンビニでたむろしたこと。じゃんけんで負けてあいつのお菓子をおごる羽目になったこと。あいつに彼女ができたからしばらくは一人で下校したこと。振られたあとファミレスで慰めつつおごったこと。
いつものように、帰り際に誘ってさえいれば、一緒に帰ることを選択していれば、あいつが死ぬ未来を変えることができたはずなのに……
「……クソが」
雨が激しく降りはじめる。でも俺はその場に立ち止まっている。
あの日の最大の過ちを、不可能とは知りつつもどこかで挽回できないか願う自分がいる。
その一方で、どことなくあいつの死を受け入れている自分もいる。
そんな自分を、薄情なやつと蔑む自分もいる。
暗い思考を遮るように、誰かが自分の頭の上に傘を差し出した。
「……すいません。わざわざ入れてくれて」
「いいって。君が傘持ってきてないこと予想して二本持ってきてたし」
どこか聞きなじみのある声に、思わず顔をあげる。久しぶりに聞いた声、忘れかけていた声、この半年、ずっと待ち望んでいた声。
見間違うはずもないその顔と姿。死んだはずの親友が今、俺に向けて傘を差し出している。
「なにボケっとしてんだよ。いい加減に受け取れって」
あいつは、優しくニカッと微笑んでいた。遺影にも使われたその笑顔が、目前に。
◆
――目の前の光景は、夢か現か……果たして。
雨の中、俺はあいつと一緒になって学校へと向かっている。あいつに気をとられ過ぎたせいか、足元の水たまりに気づかず、右足の靴を盛大に濡らしてしまった。
水しぶきが、あいつのズボンにしっかりとかかった。
教室に着いた。急な雨にやられたのか、何人かはびしょぬれになっていた。かくいう俺もその一人だ。
教室に着くやいなや、自分の席に座り、教科書を机の中に運ぶ。
「おーいちょっとちょっとちょっと……そこ俺の席だって」
「……え?」
あいつじゃない友達が俺に話しかけてきた。
「……俺、いつもここで授業受けてるけど」
「いや記憶どうなってんだよ、お前の席は俺の後ろな」
……どういうことか。教室の後ろに貼られた座席表を確認する。
……俺の席がある列の先頭に、死んだはずのあいつの名前がある。そうか、だからずれているのか……?
……後ろを振り返れば、あいつは悠長に席に突っ伏して二度寝の準備をかましている。
……俺はとりあえず考えるのを止めて、大人しく自分の席に座った。
「なぁ」
さっきの友達が、振り返って俺に話しかける。
「今度の週末さ、ゲーセン行こうぜ。そんでもってリベンジかまそ」
ゲーセンの誘いだ。先週も行ったばかりというのに、よく飽きないな。
「……いやあ流石に金なくてさ今……来月にしてくんない?」
「オッケ。……くっそ、先週あの二度寝野郎にぼこされたの、今でも悔しいわ」
「ゲーム如きでいらつくなよ、情けねぇ。…………二度寝野郎?」
二度寝野郎って誰だ? リュックからスマホを取り出し、写真フォルダを開く。
……先週のゲーセン時に撮った写真。俺は太鼓のゲームや音ゲーをする時、必ずスコアを写真で記録する癖があった。先週のスコアの写真の中に……死んだはずのあいつがいた。
写真フォルダをスクロールする。ここ半年の写真を、一つ一つ眺めていく。ゲーセンの写真、カラオケの写真、寄り道した時に撮ったなんかいい感じの路地の写真……。
その一つ一つに、あいつが映り込んでいる。
……どうなってんだよ、クソが。
授業中、俺はずーっと黒板じゃなくて目の前のあいつを見つめ続けていた。
別に片思いしてるわけでもないが、目が離せない。まぁそれも当然といえば当然のことだが。
なぁ、お前、交通事故で死んだんじゃねぇのか? ここ半年の出来事も全て改造済みってか?
このまま生きてますよーってシラ切りとおそうってか? 俺は覚えてんだぞ?
お前が死んだ日のことを……
「おーい? 起きなさい」
掛け声と共に、激しく肩を揺さぶられる。どうやら寝てしまったようだ。
「……ほら、黒板の内容、ちゃんと板書しなきゃダメでしょ!」
「……すいません」
ペンをとり黒板の内容をノートに書き写す。俺が教師に怒られている間、あいつは後ろを振り返ってニヤニヤしながら俺を見つめていた。
◆
休憩時間になれば、あいつは俺のもとへ話しかけにきた。昼休みになれば一緒に食堂に行った。
……正直、驚くほどなじんでいる。あいつも俺も。互いが互いのボケに突っ込み、笑いあう。半年前の日常が突如として復活した。
あいつが死んだ日々は、暗い、暗い夢であったかのように、急速になりを潜めた。
食堂での何気ない会話も、半年ぶりのはずなのに、妙に安定している。比喩抜きで毎日毎日繰り返しているような安心感。ああ、心地よい……あいつが死んだことが噓みたいだ……。
「なぁ、放課後さ、なんか部活の予定とか入ってる? 無かったらなんか遊ぼうぜ」
「えー……どうしよ、今月ピンチなんよな。来月ならええけど」
「……あっそ。じゃあ一人で帰るか」
「来月になったら遊べるんだし、我慢しろって。それに……」
考える間もなく、席を立ったあいつの手首を掴む。
「……どうした急に」
「……ああ、なんか……やっぱり遊ぼうかなって……ほら、なんか俺、めちゃくちゃチキン、コンビニで売られてるチキン食いたいし……」
「昼飯食ったばっかなのに? 今月ピンチなんじゃねえの?」
「じゃんけんで負けたお前に、奢ってもらうことにした」
「こいつ! 俺だってお前にアイス奢ってもらうことにしたよ」
……ほんの一瞬、忘れていた。死んだ事実も後悔も。表情に出てたであろう、手首も相当力強く握ってたであろう。内心の動揺を、俺は上手くごまかせてないとは思う。
だが、俺の焦りを見てあいつはどう思ったのだろう。ほんの一瞬、わずかの一瞬ではあったが、あいつもきょどった顔をしていた。まるで自分の悪事がばれたような顔を。気のせいか?
結局、放課後は何も無かった。登校時にはあれほど降っていた雨も放課後にはすっかり晴れていた。
俺はあいつにアイスをただ奢っただけ。……別にいいけど。
◆
俺の幼馴染は、ひょっとして死んでなかったんじゃないだろうか?
あいつが日常に戻ってきてから、もう二週間が経過した。あいつのいない半年は、すっかりなりを潜めてしまった。それどころか、あいつが半年消えていたという事実が、ことごとく塗りつぶされている。
俺が撮った写真には当然あいつが映り込んでいるし、周りの皆もあいつとよくつるんでいると公言している。まるでこの現実そのものが、あいつが死んだ事実を、ごっそり切り取ったようだ。
いや、あいつが生きている事実を、上から塗りつぶしたのかもしれない。そんで、あいつが死んだことを覚えている俺が唯一の塗り残しなのだろう。
……それってつまり、俺の方がおかしいってことなんだろうな。世間から見たら、あいつが死んだと思ってる俺の方が異常者……それでもいいか。あれは夢だったんだ。半年間にも及ぶ長い悪夢を、俺はずっと見続けただけなんだ。
こっちが現実。この二週間の方が現実……いや、こっちの方が……夢? 俺は、あいつが死ななかった夢を見続けているだけなのでは? ……いや、夢だとしては嫌に現実的……それはどっちもか。
思考を遮るようにスマホのアラームが鳴り響く。あいつからだ。
久々にあいつの家で遊ばないか誘いが来た。他の奴らも誘ったそうだが、断られまくったらしい。
どうしようか……あいつの家に行ったのは……お参り以来か。
あいつのお母さん……すげえ錯乱してたなぁ。葬式行った時、周りの目も気にせずに号泣してた。
自分の息子だし当然っちゃ当然か。お参りであいつの家に行った時も、散々泣きはらしたのか、目元も真っ赤に腫れていた。
「今日は来てくれてありがとね」
あいつの家に上がって、あいつの部屋にお邪魔した。参考書が散らばった勉強机、ベッドに投げられたパジャマ、ケースに詰め込まれたフィギュア……あいつの生きている痕跡が乱雑に、生々しく残っている。
そんな生の香りをかき消すように、仏壇と骨壺がひっそりと佇んでいる。ついこの前まで隣を歩いていたあいつが、この小さな骨壺にすっぽりと収まっていると思うと、なんだか不思議な感じがする。仏壇のお供えには、あいつの好物だった、飴玉が山々と盛られていた。
仏壇の前で手を合わせた後、リビングであいつのお母さんと、二人で話し込んだのを覚えている。
話した内容は本当に些細な事だった。学校での様子とか放課後の付き合いとか、そういったあいつが生きてた日常を話し込んだ。
……あいつに彼女ができたことを知らなかったのは流石に驚いた。こっちは辟易するくらい彼女との惚気話を聞かされたのに……。
そうやってあいつの話をする内に、あいつの母さんはだんだん笑っていく代わりに、自分の方がボロボロと泣き出すようになって、なんだか恥ずかしかった。
二人でひとしきり話し合ったら、あたりはすっかり暗くなっていた。自分が帰る時、あの人は玄関先まで見送ってくれた。その顔はどこか憑き物が落ちたような表情をしていて、ようやく息子の死を受け入れることができたような、そんな顔をしていた。
「あら、いらっしゃ~い。随分と久しぶりね」
……そんな出来事も、過去どころか存在しない話。あいつの母さんは、今ではすっかり元気を取り戻して……取り戻してもないか。今に至るまで元気なままになっている。
「ごめんね~うちの子まだ外に出てるのよ。とりあえずあの子の部屋に入っちゃって~」
この陽気な振る舞い、優しい笑顔。鼻歌まじりにリビングへ向かう後ろ姿には、葬式で泣きじゃくった姿の面影もない。……平和だ。だから、これでいいんだ。たとえ夢でも噓でも、幸せな状況が一番に決まっている……。だから……あいつはやっぱり死んじゃいないんだ。
あいつの部屋に入る。以前お邪魔した時とは変わって、ある程度綺麗な部屋。机の上の参考書も、ベッドの上の服も、どこかに片づけられた。だけど、どうしても奥の棚にある白い壺から、俺は目を離すことが出来なかった。ひっそりと佇む、あの骨壺。
吸い込まれるように、俺は骨壺へと近づいていった。おかしい。あいつが生きている今、お前はいらないはずだ。存在してはいけないはずだ。だというのに、どうしてさも当然かのようにそこに居座っている?
俺がようやく、あいつが生きている事実を、受け入れることが出来たというのに!
足取りはおぼつかない。手の震えは止まらない。それでも、俺はこの白い骨壺をそっと両手で抱きかかえた。思いっきり床に叩き付けたくもなりはしたが、やらないでおくことにした。中身はある。開けたら、元に戻れなくなる気がする。だとしても、俺はこの骨壺の蓋を恐る恐る開けた。
骨壺には、あいつが好んでよく食べた、飴玉がぎっしり詰まっていた。