06 眠れる場所
早朝と呼ぶにもまだ早い時間帯、ルシアはひっそりとギルドに戻って来た。
街道の門は閉まっている時間だったが、きちんと見張りの兵士に、通して、と告げて歩いて通っている。
なにやら十分程見つめ合っていた気もするが実力行使には至らなかったので問題もないだろう。
深夜勤の職員は明日貼り出す予定の依頼票をのんびりと作成していた。
ルシアが入っていくと早い帰還に驚きつつも、嬉しそうに完了した依頼票を受け取る。
先に持ち帰った分の依頼品も提出し、それからトニに何度も言われた勇者の件も忘れずに報告した。
ここから先は悪だくみだ。
ルシアがアントニオがいない休暇を冒険者として過ごすのは日常ではある。
が、少々依頼を押し付けすぎた。
昼の内に反省した職員たちが、危険度の高い依頼はトニに押し付けようと話し合っていたのだ。
けれどもその押し付け依頼中に勇者と遭遇してしまっている。
ベテランおじいちゃん職員は朗らかに言った。
「緑竜にはたまたま遭遇した事にしましょう」
本日ルシアに回した依頼の一覧表を見ながら、これとこれが目的で、ついでにこれと遭遇したからこうなってと、話し合う。
アントニオからお叱りをうけないギリギリの線で調整できたのではないだろうか。
みんなで迂闊な発言には気を付けようと言いあった。
一通り話が済んだルシアは、食事と仮眠と身支度のためにギルドに併設された寮へ戻る。
寮は何時でも人の気配があって、こんな時間でもあまり気を使わなくてもよい雰囲気だ。
今の時間なら早番で起床が早い者や、遅番を終えて趣味や雑事に興じている者の声もする。
それから食堂で調理をしたり食べたりする生活音も聞こえた。
食堂は二十四時間開いてはいるけれど、決まった時間に寮に住む人数分、全員に同じ物が用意される形式だ。
足りない人や食べ損ねた人対策に、スープとパン、前日のパンを揚げたり焼いたりした菓子類も常備されている。
ルシアは調理場を覗き込んで、近場にいた職員に途中で狩ったウサギを差し出した。
「これ、食堂のみんなで食べて。これから仮眠。スープとパンだけ貰う」
帰り際にたまたま遭遇したのでちょっとした差し入れである。
ついでに朝食の辞退と、仮眠前なので軽く食事を摂ると報告したつもりだった。
「昨日の昼から外仕事で携帯食だったんだろう? 動いてきたんなら栄養を取らないとね」
ちょっと待って、と、オムレツを作ってくれた。
いかにも美味しい物を作りそうなふくよかな女性のウインク付きである。
ありがとう、と受け取ったルシアは、アントニオみたいになれるかしら? と腕を曲げて力こぶを作って見せた。
職員はカラカラと笑い、ちゃんと食べて休むんだよ、と自室に向かうルシアを見送ってくれる。
食堂で食べるには服が汚れすぎていて気が引けたのだ。
着替えてから食事をしに行くのは面倒に思える程度には疲れている。
あくびをしながら廊下を歩き、何人かの職員と挨拶を交わした。
「お。朝帰りか? ギルマスにバレんなよー?」
そう声をかけてきた職員こそ朝帰りで酒の匂いをさせている。
「ルシアさんだ! 素材バッチリ?」
昨日早番だった調剤課の職員は今日も早番らしい。
「バッチリ。だけど、届くのは昼前」
「トニさんか! えー! じゃあ調合は遅番の仕事かぁ! くっそぅ!」
依頼期日よりも調合がしたいがための依頼だったらしい。
「また取ってくる」
「やったぁ! ルシアさん大好き―! これあげる―!」
脳にいいからと果物から抽出した糖分の塊をくれた。
依頼中に食べるのに最適らしい。
早く行けって催促かしら? と思いながらも気持ちは嬉しかったので受け取った。
部屋の前ではまだ十にも満たない子どもがゴミ箱を持って走っているのに遭遇する。
「おはよう。ゴミ捨て?」
「おはようございます。ルシアさんゴミ箱は? 大丈夫です?」
毎朝部屋の前にゴミ箱を出しておく決まりなのだ。
これは子ども用に無理矢理作った仕事で、出し忘れても自分で出しに行けるので困りはしない。
「ご苦労さま。大丈夫。問題ない」
ルシアはアントニオの真似をして軽く子どもの頭をポンポンとして、そのまま自室に入った。
寮を管理する職員は訳アリの人間が多い。
冒険者の夫を亡くした女性や、まだ働ける年齢でない子どももいる。
アントニオに相談すると大体ここに放り込むのだ。
衣食住付きでお小遣い程度でも給料が出て、休日に低級の冒険者依頼を請ければ貯金もできる。
純粋なお人好しじゃなくて悪いけど、それならお互い都合がいいだろう? と。
生活課と名前こそ付いているけれど、独立支援施設に近い状態になっている。
ルシアも引き取られた当初こそここで仕事を手伝っていたけれど、十歳になってすぐに冒険者登録をしたクチだ。
そこからギルド職員になれる十五歳までは冒険者として過ごした。
アントニオからは養女なんだし働かなくてもいいぞ、と言われはしたけれど。
(最初から父親とは思ってない。ずっと好き)
出会った日の事は今でも夢に見る。
七歳のルシアは自室の真ん中で両手を上げて立っていた。
ガラスの割れる音、誰かの悲鳴、誰かの怒声、炎の音。
部屋に飛び込んで来たアントニオは血まみれで、片手には誰かの首をぶら下げていた。
ルシアに驚きはしたけれど、すぐにその異質さに気が付いたのだと思う。
両手を上げて立っていろと命令されたルシアには、手を下げろと言われても下げる事はできなかった。
次の命令まで体勢を維持しなければきっと死ぬより酷い目に合う。
あらゆる手段で体勢を変えようとしてくるのだ。
騙されてはいけないと、ルシアは頑なだった。
アントニオは誰かの首をルシアの前に掲げて、
「一番偉そうにしてたヤツだ。もう死んでるぞ?」
と笑った。
命令をしたのはこの男ではないけれど、とルシアは思う。
最終的に確認を取るのはこの男だった。
確認が取れないなら、私は死ぬまでここで両手を上げて立っていなければならないのだろう。
諦めが浮かぶ顔に、アントニオは男の首を床に置き、すっかり血の気が失せて冷え切ったルシアの両手を掴んだ。
「これからは自分で考えて動け」
血で湿り気を帯びたアントニオの手は熱かった。
体勢を変更された事に絶望し、ああ、このままこの男に殺されるのだと、ルシアは思う。
「自分が幸せに生きられるように、これからは自分で考えて動け」
もう一度言われた考えていた内容と逆の言葉に、反射的に体が動いた。
アントニオの首を蹴ろうと足を持ち上げる。
瞬間、掴まれた両手が引かれてベッド目掛けて投げつけられた。
ベッドの上、きっちり受け身を取って慌てて起き上がったルシアに、
「元気じゃねぇか! ちっと待ってろ」
心の底から楽しそうに、アントニオは笑ったのだ。
それはルシアにとって、初めて見る本当の笑顔だった。
(何人も拾ったけど、引き取られたのは私だけ。だから、特別)
寮の部屋は家族部屋で、アントニオの寝室もある。
風呂からあがったルシアはアントニオのベッドに潜り込んで眠った。




