45 アントニオは困惑する
諜報部は紛れもなく国の正式な組織である。
半壊する程暴れまわるなど当然重罪だ。
だがそれは、諜報部が正常に機能していればの話。
「あっさり自白してんじゃねぇよ」
笑顔を浮かべたまま、アントニオは踏み込んだ。
まっすぐに伸ばされた右腕は男の顔面を狙っていたが、男は仰け反って後方に回転して避ける。
アントニオは予測していたのか、男の着地点に先程まで男が踏みつけていた肉塊を蹴り込んだ。
男は当然その上に躊躇もなく着地、が、体勢は乱れる。
そこから崩そうと、アントニオは男の眼前まで更に踏み込むが、男は覆い被さる様に迫って来たアントニオに、下から炎魔法を放出した。
ゴォっと炎魔法の風圧でアントニオの上半身が浮く。
そのまま後方倒立回転をして蹴りを入れつつ炎を霧散させたが、すぐに追撃の炎が背中を直撃した。
ジュっと血濡れのシャツが蒸発して湯気を上げるが意に介さず。
四つん這いの体勢で着地してそのまま男に飛び込んだ。
「馬鹿の一つ覚えッ……ガッ」
嘲笑って再び魔法を放った男の前から一瞬で姿を消す。
飛び上がって上方から両足で男の顔面目掛けて着地を試みたが、両腕で防御された。
外側の腕が砕ける感触と、ぐしゃりと嫌な音が耳に届く。
アントニオはごろりと転がって体の向きを変えると、そのまま男の口内に拳を叩き込んだ。
「お互い様だろ」
ニカリとまた良い笑顔で笑うと、胸ぐらをつかんで体を半分だけ持ち上げて足を踏み砕く。
くぐもった悲鳴は拳に阻まれて音にはならなかった。
無詠唱魔術は呪文を音声化していないだけで呪文を必要としていない訳ではない。
喉を塞げば発動自体は困難だった。
加えて先に腕も潰している。
作成済みの魔法陣を所有していたとしても発動は難しいはずだ。
アントニオがそう考えて掴んでいた胸倉を離した直後、反動を付けて男が後方に倒れ込む。
頭を打ちそうであれば口内に収まったままの拳を引けばよいと、アントニオは慌てる事もなかった。
バリンと、なにかが割れる音がするまでは。
恐らくは背中に仕込んでいた回復薬であろうその威力は聖女の回復薬に間違いはなく、
「……」
即座に回復した腕は袖口に隠し持っていたナイフでアントニオの手首の辺りを切り落す。
口内に残ったアントニオの拳を自身の歯ごと引き抜いたところで互いに距離を取った。
双方回復薬ありきでは体力勝負になる。
アントニオにとってかなり不利な状況だ。
なにせ散々暴れた後。
笑顔はいつの間にか消え、戦闘再開まで一呼吸というその一瞬の事。
「止めて止めて! 二人とも止めてちょうだい!」
しわがれた男の声が響き、二人の間、地面から壁が生えた。
***
アントニオと、交戦していた男は、駆けつけた兵士によって国境門の詰所に運び込まれていた。
秘密裏に、ということだろう。
同室ではあるが、衝立が立てられ、互いの姿は視界に入らない。
「ねぇぇぇぇ、アントニオちゃぁぁぁぁん。本っとぉぉぉぉに無茶しないでちょうだい?」
しわがれた声の男は半泣きでアントニオに上級回復薬をザブザブとかけている。
着用しているワインレッドのローブには金糸で王宮勤めの証明でもある紋章が刺繍されていた。
疑う余地もなく、オスコリダ壊滅戦に参戦していた魔導士のマヌエル・アソリン、その人である。
壊滅戦では喉を潰されていたが、その後聖女が訪れた際に治療され、今ではすっかり元通りだ。
アントニオは久々に耳にしたマヌエルの声と言葉にうんざりとしながら押し黙る。
「お姉ぇさんも心配してたのよぉぉ。ここまで来たがったのだけれど、ダメよーって、引き止めるのも大変だったんだからぁぁぁ」
言いながら感極まったのか本当に涙を流しながら、回復薬でびしょびしょになったアントニオの胸にグリグリと頭を押し付けた。
白髪のウェーブのかかった長い髪。
スキンヘッドでなければルシアもこんな感じだろうかと、思わず頭をポンポンと叩く。が、その髪の手触りに、
(爺さんだった……)
と追加でうんざりした。
とは言え泣かせているのは自分である。
こなれた優しい手付きに涙は止まるどころか盛り上がり始めたので、落ち着くまで放っておくことにした。
諜報部の本拠地は王宮からは離れている。
問題のなさそうな相手は殺さずに解放していたので、その内の誰かが王宮まで報告に行ったのだろう。
報告を受けて派遣されたのがマヌエルというのが、
(身内に弱いってのが計算に入っちまってるな……)
完全に読まれていた。
止めに入ったのがマヌエルでなければ止まらなかった。
向こうはそうでもなく、その動きを止めさせたのは瞬時に出現させたあの壁である。
炎魔法が反射して男を燃やしたらしい。
最短確実な完璧な対応だったのだ。
苦笑いを浮かべて采配したであろう現在王宮で働いている何番目かの姉を思い浮かべる。
元々諜報部に在籍していた姉にはルシアの件で随分と手を煩わせた。
トルエバ国のギルドマスターになってからは、お互いの立場と状況を考え、交流も絶っている。
「うん?」
それでも情報が潤沢に得られていたのは、オスコリダと諜報部、ルシアとの関係性に由来しているものと思っていた。
考えてみれば交流を絶っていたのはアントニオばかりで、母親や兄弟からは情報が入っていたのかもしれない。
手紙の類は読んでも返事を返さなかった為、いつからか届かなくなった。
だから世界各国の情報に、時折、たまたま、家族の情報が紛れていて嬉しく思っていたのだ。
「……なぁ……ひょっとして……」
嫌な予感に独り言の様に呟けば、マヌエルがピタリと泣き止んでアントニオを見上げる。
なんとも言い難い顔をした後、衝立の向こう、先程までアントニオと交戦していた男に向かって声をかけた。
「ちょっとあなた! 会ったら謝るって言ってたわよね? どーゆーつもりなの?」




