32 届きそうで届かない距離
ルシアは立て続けに五回、全力の風魔法を放ち、五本目の魔力回復薬を飲む。
金額にして一般人の二ヶ月分の収入。
魔法特化の冒険者が半年で消費するかしないかの量である。
良く言えば鬼気迫るだとか決死の覚悟、かもしれない。
単純にどうかしているだけだけれど、と、トニは横に移動してきたルシアへ手持ちの回復薬を手渡した。
ケプリと胃に溜まった空気を吐き出しつつ受け取って、
「もう一発?」
と尋ねる。
トニの方が戦略には長けているのだ。
「っすね。もう一発はもう一発っすねー」
乗っていた木は降下飛行に移っている。
このまま落ちれば衝撃で目立つはずだ。
逆に都合がいいかもしれない。
「あっちっかし、木が間引かれてるっぽいんで、拠点みたいのあるかもなんで、」
水晶岩の左側を指差して、
「潰す勢いであっこに向かってもう一発やっときましょうか。んで、俺らは降りちゃいましょう。俺はセコるんで、魔力使わんで後追いしてください」
とニタリと顔を歪ませた。
そこに冒険者や国の兵士がいたとしても知った事ではない。
潰せたら潰せたで面倒がなくていい。
「……了解」
ルシアは短く答えると同時に木を蹴って後方に飛んだ。
足元を通り過ぎて行く木の最後、落下しながら切り口を視界に入れて六度目の全力の風魔法を当てる。
そのまま落下しつつ魔力回復薬を口にし、手近にあった木に飛び移った。
身体強化にも魔力は必要で、ギリギリで間に合った左手で何本か枝を折りながら止まる。
トニはまだ木の上だ。
左右に何度か風魔法を放って方角を調整している。
やがて飛び降りた。
木は無人状態で落下を続け、木々を揺らし始めたところでルシアは掴んでいた枝を放す。
トットッと軽い音を立てて木を蹴って進んだ。
(ゆっくり行かないと)
トニは斥侯するから魔力は使わずに後から来いと言っていた。
ルシアが合流する頃にはすぐに水晶岩を調べ、対応できる状態にするつもりなのだろう。
過保護だな、と思う。
先輩、などとルシアを呼ぶが、その実、後輩などとは微塵も思っていないのだ。
バキバキと木々の倒れる音が響く。
ぶわりとそれまで潜んでいた鳥が一斉に飛び立った。
鳥たちは水晶岩の上空をクルクルと飛び、半数ほどが打ち落とされている。
(やっぱり下に人がいるんだ)
ルシアは立ち止まり、装備を再確認した。
幻影魔法は解いている。ここから先は顔を認識されるかもしれない。
呼吸の妨げにならない様に気を付けながら顔を布で隠し、解けない様に頭からも布を被る。
対人戦にも使えて水晶岩も登るなら斧だろうか?
野営用の小型の物しか携帯していない。また魔力押しになりそうだ。
弱くて困る、と自嘲気味に笑んで、斧と投げナイフの装備位置を整える。
残りの回復薬の数を確認し、一度情報収集の為に魔力を使ってから口にした。
怒鳴り声が少しと、人々の移動している音。まだ遠い。
トニにはあまり道徳観や倫理観がないのだ。
無事にヨランダがいたとして、惨状を見せる訳にはいかない。
すぐに離脱できる様にトニにも少し無理をしてもらわなければならないだろう。
すう、と息を吸いこんで、ルシアは向かうべき方向を少しだけ修正した。
トニとは合流せずに真っすぐ水晶岩へ体を向ける。
(アントニオもそうだけれど、)
森を駆け、ぽっかりと不自然に開けたその場所には大木が生えていた。
ラウルの作った遠見台にも似た五本の木の集合体は、登りやすく螺旋にはなっていない。
木は火魔法で所々燃やされ、根と枝は人々や動物を貫いていた。
樹下は折り重なる屍を隠す様にまだ青々とした葉が積もっている。
燃やされた樹頭がむき出しになった中心部分の水晶岩を覆い隠そうと蠢いていた。
動いては崩れ落ち、その炭がパラパラと落下して黒色の雨を降らしている。
魔導士が二人、騎士風の制服を着た人間が五人。
生き残りか、距離を取っての調査か、ヨランダの護衛と呼ばれていた二人の女の姿はない。
木々に隠れて猿やリスも水晶岩を伺っていたが、ルシアへの敵意はなかった。
(迷わない。後で非難されても、結果よければそれでよし)
一度目を瞑って呟く様に頭に思い浮かべて、ルシアは目を開く。
身体強化は最大に、まずは魔導士の後ろへ回り込む。
中途半端に行動不能にしても魔法を使われる。
昏倒させたとして最悪のタイミングで目を覚まされるのも同じ事。
力量差があればその喉を的確に、余裕があれば確実に首を取れ。
幼少期に習ったそれは奥底に染みつき剥がす事も出来ず、悩んだ時期もあった。
(一人目)
魔導士の後ろを通り過ぎながら首を落とし、
(二人目)
驚いて吹き飛んだ首を目で負ったもう一人の魔導士の首にナイフを投げる。
(三人目)
駆け寄って来た騎士の後頭部を斧で割ってその背を蹴って跳躍。
(四人目)
剣を構えた騎士の手にナイフを投擲して剣を落とさせつつ、着地点に居た騎士に斧を振り下ろす。
(五人目)
向かってきた騎士を風魔法で転ばせてから、剣を落として下を向いている騎士の後頭部へ飛び乗った。
(六人目)
そのままその騎士の胴体を掴み、なんの行動もとれていない騎士に投げつける。
重力操作で潰れた頭がビシャリと音を立てて内容物をまき散らした。
ああ、確実ではないかもしれない。
念の為にナイフを眼球目掛けて投擲する。
(最後)
風魔法で転ばされた騎士は状況もつかめずにただ空を見ていた。
覗き込む様に視界に入ってきたルシアの顔は、布で覆われて性別も分からない。
けれど、声は確かに女だった。
「あなたで最後。ここで何をしていたの? 聖女に心辺りはある?」
言葉に反応して見開かれた目がわずかに水晶岩を探した。
聖女の、護衛あるいは見張りか。
「お疲れさま」
両手で頭を掴み、少しだけ持ち上げてそのまま地面に打ち付ける。
細かい事はトニが調べて、必要があれば報告してくれるだろう。
目的はヨランダを見つける事なのだから、どうでもいいのだ。
騎士を全力で放り投げ、跳躍して落下してきた騎士を蹴ってより高く跳躍する。
まだ木の部分が多く残る高さだ。
落下を始める前に斧で木を刺して止まる。
が。
斧を避ける様に樹幹が動いた。
これは一本の木ではない。木の集合体なのだ。
樹下の屍はこの木部分が生み出した物らしい。
「チッ」
刺した場所が不味かったか、とルシアは舌打ちをして樹幹を蹴る。
跳躍しては斧で刺し、引き抜きながら跳躍を繰り返した。
気を抜いたつもりはない。
樹頭までどの程度の距離か、一瞬だけ視線をやった時。
鞭の様にしなった枝が、ルシアの脇腹を貫いた。