02 副業OKな職場です
ギルドマスターとその養女の事など日常茶飯事だ。
何事もなかった、いや、何事もないので引継ぎが終われば通常業務の開始である。
職員たちは各々の部署に分かれ、夜の内に準備されていた新しい依頼書の確認や貼り出しを始めた。
夜勤明けだったルシアは交代になる。
退勤を告げて商業ギルド本部へ向かうアントニオの見送りに馬車寄せへ同行した。
商業ギルド本部は隣街。
移動で半日、会議が長引く事を考慮に本日は宿泊予定だ。
戻りは明日の昼以降だろう。
「はしゃぐなよ?」
片目を瞑るアントニオの顔には呆れも浮かんでいる。
ポンと頭の上に手を置かれて、ルシアは小さく笑うだけだ。
そっけなく馬車に乗り込むアントニオに頬を赤らめて、
「いってらっしゃい」
と声をかけて馬車を見送った。
(今の! 新婚みたい!)
ルシア二十五歳。この国の平均初婚年齢は二十二歳である。
すでにちょっと行き遅れだ。
ジーっと馬車が見えなくなるまで動かないのは毎度の事。
その横にはフランシスコと職員が一人いたが、ルシアを置いてさっさと持ち場に戻った。
一人残ったルシアは馬車を目で追いながら、今日はこの後どうするかと頭を働かせ始める。
ふと、引継ぎを一つ忘れていた事を思い出した。
馬車が視界から消えると同時に事務所へ向かう。
事務所では依頼ボードへの貼り付けも終わり、受付開始時間までのゆったりとした時間になっていた。
各々飲み物を用意したり、受注されずに残りそうな依頼の話などをしている。
「昨日も解体が少なかったけど、依頼数は変わりませんよね?」
「大物が多いから受ける人が少ないんでしょうね。ギルマスが商業ギルドでなにか頼まれて来てくれるといいんですけど……」
(アントニオが期待されている!)
ルシアはニヤニヤと顔を緩ませながら受付に向かって足を進めた。
「大物……イツィアルさん辺り引き受けてくんないかなぁ」
「あー。イツィアルちゃんトコは昨日からダンジョン入りだよ。帰還予定届け出てる」
冒険者はダンジョンで死ぬ場合もある。帰還予定の提出は必須だ。帰還報告がなければ捜索隊が出される。
「うわぁ、一週間後だ。期限近いのだけギルドから指名依頼出さなきゃですねー」
ピタリ。
ルシアは本日の受付担当のマリアの前で足を止めた。
「あれ? ルシアだ。どうしたの?」
気が付いたマリアが顔を上げれば、ルシアは依頼ボード前の職員を見ている。
(ギルドから指名依頼? アントニオに書類を作らせるつもり?)
つもりもなにもそれがギルドマスターの仕事である。
ルシアはアントニオの仕事が増える事がとても嫌いだった。
「おーい、ルシア?」
マリアがルシアの前で手を振ると、
「……ゴメン、引継ぎ、一つ言い忘れた、けど、その前に、」
視線は動かさずにそのまま依頼ボード前の職員に向かってルシアが言う。
「大物、請ける。期限間近、まとめて」
さっと掲げた右手に、職員からわっと歓声が上がった。
「ルシアちゃん愛してる!!」
「これと、これと、方向一緒だからこれもお願いしたい!」
「待て待て、ルシアさん、シフトは?」
「ついで依頼あったろ!?」
蜂の巣をつついたとはこの事かとばかりに活気づく。
ルシアの後ろではどこかへ走って行く職員もいた。
マリアは、あーあ、と本日の依頼数がごっそり減っていくのを横目に、ルシアの袖を引く。
「ルシア? 引継ぎって?」
改めて確認する間にも掲げたルシアの右手に依頼票が重ねられる。
先ほど走って行った職員、ルシアと同じ部署のトニは、すぐに戻って来て、むんずとルシアの黒髪を掴んで剥ぎ取った。
「さっきの、来たら絡まれるかも」
黒髪のかつらの下はギルドマスターとおそろいのスキンヘッドである。
かつらを剥ぎ取ったトニはルシアの頭にタオルを巻き、薄い金属ヘルメットをかぶせ、仕上げに帽子をかぶせながら言った。
「了解っす。俺つきますんで心配無用っすよ。ギルマス戻る前に帰ってきてくださいね」
えーっと? とマリアは首を傾げつつ、なんとなく事態を把握する。
マリアの髪の毛で作ったかつらをかぶり、先程の冒険者を撃退した。
受付に居れば髪色だけでなにかトラブルになるかもしれない。
つまりはそれを言いに来たのだろう。
トニは早番なので、昼から交代の十五時までは受付に居てくれるらしい。
そんなところか。
トニはルシアの右手から依頼票を取り上げてザっと確認しながら並べ直している。
「残業、ゴメン」
どうやら残業になってしまうかもしれないと謝っている様だ。
ルシアは謝りながら制服を脱いでいる。
ギルドの制服は濃紺のコートだけで、コート下はみんな私服だ。
ルシアのコート下は冒険者の間でアンダーと呼ばれる伸縮性の高い素材で出来た襟のないシャツにパンツスタイル。
脇と太ももに取り付けたホルスターにはルシアの武器であるマチェットやナイフなどが収めてある。
勤務中も装備してたんだ、と、何人かの職員は思った。
百六十五センチと高すぎない身長に細身の体。アントニオとは似ても似つかない。
当たり前ではあるが、ルシアには不満だった。
もう少し身長が、もう少し筋肉が、せめて瞳の色が同じなら、と思う。
くるりと制服を裏返せば冒険者用の黒のコートに早変わりだ。
トニが何枚かの依頼票を避けてルシアの手に持たせる。
「俺、明日は遅番だから、こっちは夜にでも行ってくるっす」
「って、どの依頼ですか!?」
慌ててマリアがトニの持っている依頼票番号を確認する間にルシアも渡された依頼内容を確認した。
それらをいつの間にか用意していたバックパックに放り込むと、手袋をしながら時計を見上げる。
「不正出発、あり?」
時刻は九時前。
一般冒険者はこれから受付である。
もっとも早朝から活動したい冒険者は昨日の内に依頼は受けているはずだ。不正と騒ぐほどでもない。
「あり、あり」
「誰も請けないから大丈夫」
問題ないと口々に背中を押す職員たちはもう発注完了書類に手を付けている。
言質が取れたのでルシアはひとつ頷いた。
「明日は私も遅番。アントニオが戻る前に戻る」
所属するギルドをホームと表す冒険者もいるけれど、ルシアにとっては間違いなくギルドは家だ。
「じゃ、いってきます」
だから職員は家族で。
「いってらっしゃい!」
見送りの言葉に、ルシアは冒険者仕様の無表情のままどこか満足気に顎をあげ、煙の様に姿を消した。




