14 どちらさまですか?
本日のルシアは技術部調合課の業務に立ち会っていた。
平民を下に見たり、女性職員が出て来るまで延々と値切る。
そんな厄介なお貴族さまの対応があるのだ。
なにせ職員はほぼ全員が平民。
そんなに平民が嫌ならば従者を寄こして本人が来なければいいだけの話なのだが、なぜか来る。
そんなに平民が嫌ならば先触れを出して会議室を予約すればいいのに、なぜか一般受付。
きっと加虐趣味でもあるのだろう。
毎朝ベッドの角の小指をぶつけて転げまわればいいのに、と、これは職員の総意である。
ひょっとしたらその場にいる平民全員の総意の可能性もゼロではない。
アントニオが男爵のため、ルシアも一応は貴族の娘。
それならばルシアが対応すれば早いと踏んだのが前回。
だがしかし相手は伯爵。
調合された薬品に関して事細かに質問し、少しでも言い淀めば家の格がどうのと言い出す。
仕舞にはルシアに勉強の場を設けるから屋敷まで来いと言いだした。
結局ギルマス対応となり、ルシアはアントニオの手を煩わせた事にとても落ち込んだ。
それでも、ぶん殴らずに堪えて偉かったと頭に手を置かれ、すぐに気は持ち直した。
ぶん殴っていたら散々文句を言われて毎回ぶん殴る羽目になる。
その内拘留されたかもしれないのだから、我慢した自分を褒めよう。
「配合しているこの植物は何時に収穫した物だね?」
今回もニヤニヤと嫌な笑いを浮かべながら職員を質問攻めにしているが、対策は万全だ。
「そちらは午前中、日差しが強くなる前に収穫しております」
詳細見積に成分表、関わった職員の年齢、性別、家柄等々、調べつくしている。
ルシアは前回、黒髪のかつらで対応していた。
今回は背中の真ん中まである赤毛のかつらを緩く三つ編みにして前に垂らし、最初から困った顔に見える化粧をしている。念には念をと眼鏡もかけた。
そして、先程からおどおどと質問内容に合わせて震える手で書類を職員に手渡している。
そう。
釣りだ。
コツコツとこの日のために準備をしてきたのだ。
「なんだ、緊張しているのか?」
そして食いついた。
さぁ針を飲み込め、と、ルシアは書類の上でビクッと手を止める。
カウンターの上、向こう側から触れる位置だ。
「伯爵。申し訳ございません。まだ新人です。どうぞご容赦ください」
対応していた職員も申し訳なさそうな声を出す。
「ああ、どうりで見覚えがない」
ルシアの指に指を絡める様に手を置きながら伯爵は言った。
「なに。貴族対応も多いだろう? 私で少し慣らすといい」
指と指の間に指、そんな気持ち悪さもなんのその。
釣れた!
とルシアは心の中で大喜びである。
「伯爵、とおっしゃいまして? でしたらその手は少々不敬ではございません?」
伯爵の後ろ、キンとどこか冷たい女の声が言った。
伯爵は思う。
後ろには自分の従者がいる。ならばこの言葉は別の職員からの自分への援護だ、と。
「ははは、そうですな。握り返す程度の可愛げを見せてもらわね……ば……」
ポン、と伯爵の手の甲に触れた扇は家紋入りだった。
伯爵の加虐心が急速にしぼんで行くのが目に見える。
最近取引があった家で、爵位は一つ上の、と、答えに辿りつく前に女は言う。
「ウシュエ、自己紹介を」
ルシアはおずおずと、いつもより高くか細い声で嘘を吐いた。
「ウシュエ・ロブレスと申します。……あの、本日は、職業体験を、しております」
そう、ロブレス家だ。侯爵の。
そう思い至った伯爵は、扇を辿って持ち主の顔を見る。
受付の女と同じ赤毛。
女は嫣然とした微笑を浮かべて伯爵を見ていた。
「ご機嫌麗しゅうございます、伯爵さま。ロブレス家長女、カルメンと申します」
グイっと扇を手首の下に入れて持ち上げれば、伯爵の手はすぐにルシアの手から離れた。
「ウシュエはアタクシのいとこですの。許可もなく触れるのはご遠慮願えますかしら?」
この国では爵位が下の者から上の者に、ましてや男性から女性に、許可なく触れるのはご法度である。
大慌てで謝った伯爵は、最初に提出していた正規価格を支払うと、後は従者が、と言い残して足早に去って行った。
残された可哀そうな従者は、カルメンが伯爵の後ろに現れてからずっと、あわあわと言葉にならない声を漏らしていた。
ただならぬ気配に気が付いていれば、もう少し平和的な解決案もあったかもしれない。
残念な事である。
ちなみにこれ以降伯爵は、自ら冒険者ギルドを訪れなくなり、社交界では変態伯爵などと呼ばれる。
自業自得なので誰からも同情は得られなかった。
***
「お疲れルシア! 新しいウィッグ、可愛いわね!!」
カルメンと寮の食堂に移動してきたルシアに、お茶をしていたマリアが声をかけた。
「ありがとう。今日の為、準備した」
カルメンの家は軍事関係の家で、冒険者ギルドとの関係も深い。
マリアとも面識があり、簡単に挨拶をしてそのまま席に着いた。
「ああ! 例の伯爵対応!」
今まで散々愚痴を聞いてきたのだと、マリアはカルメンに礼を告げる。
カルメンには昨年ルシアに助けてもらった借りがあった。
困った時は返すからいつでも言って。その前にお友達になっておきましょうか。侯爵でもそれなりに後ろ盾にはなれるから。
別れ際にそう告げて、それからは有言実行とばかりに月に一度はギルドを訪れてお茶をしていた。
先々月、困った伯爵に仕返しがしたいから借りを返して、と言われた時は驚いたけれど、
「参加できて楽しかったわ。準備も根回しも勉強になったし、これから噂を撒くのも楽しみ。たまにそのかつらを誰かに付けてもらって、侯爵令嬢が働いていると噂させるのもいいんじゃないかしら? ウシュエは研究者で表にはまず出ないから」
借りは返せたかしら? と微笑んだ。
ルシアも小さく笑って、助かったわ、と三つ編みを撫でる。
「その赤毛、カルメン様のご家族の髪ですか?」
「そう。叔父の髪なの。物凄い面倒臭がりで、もうそろそろ床掃除を始めそうだったからちょうど良かったわ」
「え……洗った、よね……?」
「安心して。かつらにした時に念入りに洗ったそうよ」
クスクスと女三人仲良く笑いあっている所に、勇者一行が入って来た。
「ご歓談中に失礼します。マリアさん、ルシアさんと打ち合わせをしたいのですが、どちらにいらっしゃるかご存じですか?」
ラウルがマリアに話しかけ、ルシアはきょとんとラウルを見る。
初対面は冒険者として帽子を着用していたし、二度目は金髪のかつら。顔は多少目元を変える程度で別人と呼ぶほどでもなかった。そして昨日は顔を見ていない。
「? 初めまして」
見上げるルシアに、ラウルは疑問を顔に浮かべつつ挨拶し、その後ろでミゲルがトンと背中を押した。
「ルシアだよ」
「え?」
どうやら勇者には気配とかで分かるらしい。
現在真顔が困り顔のルシアはミゲルに視線を移す。
「それも可愛いけど、冒険者してる時が一番かなぁ。今のところは、ね」
ミゲルはぼんやりとそう告げて、歓談が終わったら声をかけてね、と近くの席に腰を下ろした。
ところで侯爵令嬢のカルメンは当然一人では行動はしていない。
気配を消して同行していた執事はいつのまにか茶の準備を終えて後ろに控えていた。
多分護衛も兼ねている。