01 冒険者ギルドの朝
「ガンガンガンッ!」
昨晩この街にやって来た冒険者は苛立っていた。
「っんで閉まってんだよ! ッソだりぃぃなぁ!」
円形の小さな盾で冒険者ギルドの正面玄関を殴りつけ、立て掛けてあった木製看板を蹴り上げる。
木製看板によると受付は九時から二十一時までらしい。
街道の門が開いたらすぐに出発する予定でいたのにと不満を顔に浮かべている。
「チッ」
街道で待ち合わせている仲間と合流するかと踵を返したところで、急に後ろから首を絞められた。
「ッグ……!」
気配も殺気も感じなかった。
手足は拘束されていないが動かせず、ただただ苦しいだけの位置。
片手で首を絞められ、もう片方の手で腰の少し上辺りから上に押し上げられ、上手く息ができない。
「冒険者受付は九時から。出直してください。抵抗する場合は器物損壊で拘束します」
耳元で抑揚なく話しかけられた声は女のもので、カッと頭に血が上ったが声にはならなかった。
「……っぁ……ぅ……」
緩まぬ手に、そもそも返事を聞く気があるのか? と再び怒りがこみ上げてくる。
無防備に背後を取られて動けなくされているのだ。
相手は格上に違いないが、そこに気が付く余裕もなかった。
「了承なら私の手を二回叩いてください」
涼しい声で告げられて、男のプライドとばかりに抵抗を試みるも状況は悪くなるばかり。
グッと奥歯を噛みしめたが、酸欠で視界が歪み始め、これは勝てないと急激に頭が冷えた。
もう腕も持ち上げられず、女の手すら叩けない。
指先だけで空を掻くとすぐに手は緩まり、ヒュッと入り込んだ空気を吐く間もなく再び首が絞まった。
首からぶら下げていた冒険者タグを引かれたのだ。
内容を確認して今度こそ首が解放される。
その場に崩れ落ちてゴホゴホと咳き込めば、ダメ押しとばかりに肩を押されて地面に頭を着かされた。
「修繕費の見積があります。来訪は昼以降に。お待ちしてます」
肩口で揃えられた黒髪がさらりと揺れ、顔色の確認か茶灰の瞳が細められる。
濃紺のロングコートはどこのギルドでもお馴染みの制服だ。
肩口にギルドのマークが刺繍され、胸元には職員証が留めてある。
”ベイティア支部 ルシア・マルティン”
女はふぅ、と小さく息を零し、音もなく後退して距離を取ると、そのまま煙みたいに消えた。
(意味が分かんねぇ! 怖すぎんだろ! なんなんだあの職員!)
冒険者はノロノロと起き上がり、塗装の剥げた扉と割れた木製看板を視界に入れる。
仲間とギルドと、どれだけ怒られるだろうか。
反省と絶望に大きくため息を吐くのだった。
***
ここ、トルエバ国南部にあるベイティアの冒険者ギルドも、他国のギルドと同じく二十四時間営業ではある。
魔獣や自然災害時の対応は営業時間など考慮せずに訪れるのだから仕方がない。
が、人は別だ。
余程の緊急事態でない限りは常識的な時間に訪れろ。
ギルドマスター、アントニオ・マルティンのありがたいお言葉である。
従って冒険者の対応は朝九時から夜の九時までの十二時間。
職員の大半が併設された寮住まいなので、深夜勤務の職員は必要最小限にしての三交代制。
他のギルドと異なり、職員の心に余裕があるので仕事も円滑。
昨年は優良冒険者ギルドとして組合から表彰されるまでになった。
職員あってこそだからな、と。
その場で職場環境が最悪と名高いギルドのギルドマスターを殴り飛ばしたのはすでに伝説になっている。
そんなアントニオは通用口から戻って来たルシアに一瞬だけ視線を向け、
「報告」
と短く告げて視線をすぐに手元の資料に戻した。
ルシアはにっこり笑顔でアントニオのすぐ隣まで移動する。
「よそ者がアントニオの完璧なギルド運営を理解できてなかった」
「名前で呼ぶな馬鹿娘。報告」
シッシと手を振りながらアントニオは手元の資料から目を離さない。
朝の引継ぎ中だからと、もう一つ理由がある。
ギルドマスターのアントニオ・マルティンは四十三歳の大柄な男だ。
二メートル近い長身に、今でも現役だと思わせる筋肉質な体型と日に焼けた肌。
加えて三白眼に浮かぶ青灰の瞳は獲物を狩る野生動物のそれである。
しかも生えていれば柔らかな栗毛が優しさをプラスしてくれるのだが、残念ながら現在スキンヘッド。
目が合うだけで怯えられるので、一瞬しか視線を合わせないのが癖になっている。
もちろん養女のルシアには当てはまらない。
なにせ七歳で引き取られて現在二十五歳。
十八年の付き合いだ。
ルシアは臆する事も威圧される事もなく、一度むぅっと唇を尖らせてから、その場にいる職員に向かって報告した。
「騒音の原因及び被害報告です。営業時間前の待機中に物に当たり、その影響で正面玄関扉と案内板の破損が発生。来訪した冒険者はカサス国出身のスー・シン。パーティ―名はヴァッカ。経理部は施工業者へ修理見積を依頼してください。昼以降来訪予定です。営業部は受付対応をお願いします」
経理部と営業部の引継ぎ参加者はささっとメモを取っている。
この間にとばかりに、ルシアはチラチラとアントニオに視線を送りながら内心で思う。
(アントニオの手を煩わせない完璧な対応。褒めて?)
資料を読み終えたアントニオはワンテンポ遅れて報告内容を理解し、眉間にシワを寄せて言った。
「あ? 相手は男か。おまえ、向こうから触らせてないだろうな?」
ルシアはカッと顔を赤くして言い返す。
「当たり前。いつまでも子ども扱いは止めて。私はそんなに弱くないし油断もしない」
そういう意味じゃないと思うんだけれど、とは職員の総意である。
「そうですよ。やり過ぎを心配してください」
副ギルドマスターのフランシスコがうんざりした顔で話に割り込んだ。
肘でアントニオを小突くのも忘れない。
「あー、悪かった。別に弱いとか油断するとか思ってねぇよ。対応ご苦労さん」
ポン、とルシアの頭に片手を置く。
置かれたルシアは追加で顔を赤くした。
顔面土砂崩れの笑顔になっている。
同席者は今日も居た堪れない。
それこそ毎日見せられているのだ。
アントニオの父親としての親バカぶりを。
ルシアの、本気か勘違いかは微妙な所ではあるが、女としての恋心を。
職員一同は全力で目を逸らしつつ引継ぎの締めに入った。