8・品定め
アゼンタを連れて奴隷商の店を出ると、通りを風が強く吹き抜け、秋から冬に差し掛かる季節を身に染みて感じた。勿論、アゼンタはマルジが持ってきた外套を着せてあるから、寒さで身を震わせる事はないだろう。
……と、思っていたのは俺だけだった。
「……旦那様、アゼンタの手を握ってください」
「えっ? なんだいマルジ、何を急に……」
マルジに促されたその時、さっきまで元気だったアゼンタが突然立ち止まり、どう見ても何かに怯えたような表情のまま動かなくなってしまった。
「おい、アゼンタどうした?」
余りの変化に声を掛けると、アゼンタは肩を震わせながら、
「……あ、あの……べ、別に怖い訳じゃないんです……でも、でも……ずーっとあそこに居たから……急に離れちゃうと……その……」
ああ、そうか……こいつ、今まで女みたいに育てられてきたって聞いてたけれど、本当に心の芯まで女と同じなのか。
「……悪いがうちに連れていったら……君は花売りになるんだ。他の道は無い」
俺は心を鬼にしてそう言ってみると、アゼンタは小さく頷きながら手を差し出してきたので、マルジに言われたように握り返してやった。
「……旦那様、ありがとうございます……」
アゼンタはそう言いながらギュッ、とか細い指先で握り締め、少しの間だけそのままで居たが、静かに振り向いて店の方に頭を下げてから、
「……皆さんありがとう、そして……さようなら」
そう呟いてから俺の手を離し、マルジの後を追って歩き出した。
「……今日からこの店で働く事になったアゼンタだ。もし、何か判らない事が有ったら、誰でも遠慮なく聞いていい。それじゃ宜しく頼むよ」
【月夜の帷亭】に戻った俺とマルジは、アゼンタを店の者達に紹介した。まあ、いくら元奴隷だったにしても見習いから始めるのは当然だが、問題は誰に付けるかだ。店のルールから始まり、客あしらいに伽の相手としての技術……ま、そっちは任せるにしても……誰が適任だろう。
「……旦那様、宜しいですか」
マルジが俺の考えている事を察したのか、助言してくれるようだ。
「アゼンタはポーラに見習いとして付けるのは、如何でしょうか」
「……ポーラ、どうだ?」
彼の助言をポーラに確かめてみる。勿論、店の主と楼主の言葉に反論する筈も無く、
「はい、畏まりました。僭越ながら私がアゼンタの教育を致します」
律儀に両手を重ねて頭を下げながら、ポーラが承諾する。たったそれだけの言葉遣いなのに、凛とした風情が漂い場の空気が引き締まった気がする。
ポーラか……アルマとミウラの二人と並び、この店の主軸として商売を支えてくれているが、ポーラの評価は客によって大きく異なるようだ。
明るく闊達なアルマ、そして楚々として貞淑なミウラの二人は人柄が高く評価されているが、ポーラは全く違う。初対面と同じ印象のままのアルマは、常に変わらぬ接客態度を貫き通す。そして常に透明な水晶のようなミウラは、客に対しても礼儀正しく丁寧に接し、双方はそれぞれ高く評価されている。
けれどポーラの場合はまた異なり、今しがた見せたような態度が伽に至ると豹変するらしい。曰く【人の姿に化けた吸精魔】らしく、勇ましく性豪を誇る客を相手取っても一歩も退かず、悉く返り討ちにしてきたそうだ……。
「アゼンタ、宜しくお願い致します」
「は、はい!」
全く表情を変えず落ち着き払った声でポーラがそう言うと、アゼンタは緊張しながら返事をする。まあ、何を言っても駆け出しの新人だから、一通りの礼儀作法から教えていくのだろう。
「では、二階に参りましょう。お客様にどのような接し方をするか、実践で丁寧に教えますので」
「……えっ? わ、判りました……」
……いきなり夜伽の仕方か? 随分と張り切って新人教育に臨むもんだ、まだ日も高い時間だってのに。しかし、二階に上るポーラの表情に見慣れない微笑みが浮かび、いつもより足取りが何だか軽やかに見えるのは、俺の目の錯覚なんだと信じたい……。
娼館って所は、店を開けるのは夕方からだ。店の前に提げた飾りランタンに火を灯し、客に開店を知らせるのが決まりだ。因みに娼館でも男娼を主とする店は、区別をつける為にランタンの灯りを薄紫色にしなきゃならない。以前、裏口担当のコンラッドが加勢したような事態は珍しいにしても、余計な揉め事は無い方がいいからな。
「……あ、旦那様。アゼンタの教育は一段落着きました」
と、ポーラが二階の檀上から軽やかな足取りで降りながら、俺に話し掛けてきた。いや待て、お前まさか半日も夜伽の指導してたのかよ!?
「お、おお……それはご苦労様だったな。で、アゼンタの様子はどうだ?」
「はい、とても素直で素質も有りますから、近日中に初仕事に出せると思います」
丁寧な仕草で頭を下げながら、ポーラが落ち着いた口調でそう説明する。そうか、近日中にか……近日中?
「……今夜は無理って、そんなに疲れてるのか」
「ええ、今夜は無理でしょう。色々な意味で」
しれっとそう答えるポーラだったが、口調とは裏腹に、何故かやや紅潮した頬と潤い切った唇が妙に気になる。何と言うか……やり切った感に満ち溢れた雰囲気じゃないか? 色々な意味……ねぇ。
「じゃあ、ポーラも疲れてるだろう? 今夜は無理をせずに……」
「いえ、私は特に問題有りません。あれはあれ、これはこれ、で御座います」
……あー、そうか。仕事はまた別腹って訳なのね。いやはや、ポーラ凄い……。