6・コンラッド
寄り合いから数日経ち、店での自分の立ち位置が漸く判り始めた時、その事件は起きた。
いつものように夕暮れから夜の帳が降り、色街に照明の灯りが輝くと、静かだった街の雰囲気がガラリと変わり、一時の憩いや思い思いの欲望を満たす為、人々が通りを賑やかに歩き始める。
俺は三階の執務室の窓から街の様子を眺めながら、散々苦労して何とか書き終えた帳簿を閉じて階下に降りようと部屋を出たその時、ロビーの辺りからセヘロの怒声が響いた。
「……ああぁ!? もう一回言ってみろ!!」
「だから女を出せって言ってんだろ!? 判んねぇのか!!」
どうやら、ガラの悪い客と揉めているようだ。うちが女を置かない店だと知っていながら踏み込む辺り、まともな客には思えない。彼女だけで追い払えるならそれに越した事は無いが、気配を察すると一人では無いようだ。
多勢に無勢なら何もしないより俺も行って、と思った瞬間、娼館全体が小さく揺れる程の激しい衝撃が伝わり、騒ぎが一瞬静かになる。
急いで階段を駆け降りて一階に出ると、セヘロを囲むように数人の男達が床に倒れ、最後の一人らしい奴が見慣れない風体の者に片手で吊り上げられ、顔を真っ赤にしながらバタバタと足を振っていた。
「コンラッドッ!! 止せっ!! そいつ死んじまうぞ!?」
セヘロがそいつに向かって怒鳴りつけるが、本人は全く動かない。俺も駆け付けて何か言おうとした瞬間、そいつがくるりと振り返った。
「……ああ、若旦那か。おれ、コンラッドだ。裏のみはり、してる」
泡を吹き始めた男を足元に転がる仲間の上に投げてそう言うと、セヘロの方に体を向けながら、
「……セヘロ、コンラッドわかってる。こいつら、ころすと……店、なくなる」
そう呟いて、軽く屈んで指先を男達の襟元に引っ掛け、そのままズルズル引き摺りながら扉の所に行き、
「……おまえら、客じゃない。さっさとでていけ」
まるで藁束でも扱うように軽々と腕を振り、通りの真ん中へと投げ捨てた。とんでもない怪力の持ち主だなと思いながら、コンラッドに話し掛けようと近付く俺に、
「……若旦那、ちかづく、だめ。コンラッド、のろわれてる」
傍目から見ても恐ろしい事をさらりと言い、コンラッドはそのまま振り向かずロビーから出て行った。
「驚かせちまったよな、若旦那……コンラッドは悪い奴じゃないんだが……」
セヘロが襟元を直しながら口を開き、俺に彼の詳細を伝えてくれる。
「大旦那に拾われた頃には、もう全身に呪いが回っちまっててね。あいつの身体に長く触れてると、石みたいに固まっちまうんだよ」
呪いなんてなかなか御目に掛かれない上、他人に伝播するとは、余程呪いの効き目が強いんだろう。
「そうなのか……でも、やたらと力強かったが、それは呪いと関係あるのか?」
「あー、たぶんあるだろうさ。何せ十人掛かりで引き合っても勝てる位なんだからね」
十人とは又、随分と凄いもんだ。しかし親父も人外やら呪い持ちやら、変わった奴を平気で雇ったもんだ。
「……コンラッドはいつも裏口に居るんだろ、さっきはどうして表に回ってくれたんだ?」
「あー、うん……私もたまに下手打つ事はあるからさ、そんな時は加勢してくれんのさ。まあ、滅多にないんだがね」
軽い口調でセヘロが答えるが、そんな事がしょっちゅうあったら大変だろう。彼女もそれなりに立ち回れるにせよ、用心棒が舐められたら仕事にならないし、そんな時の奥の手なのかもしれない。
「ところで表の連中、放っておいて構わないのか? 後から因縁付けられたら迷惑だろう」
「あいつらか? 流しの破落戸だろ、気にする事はないさ! それに何かあったら掃除屋が片付けてくれる手配になってるし、場所代に含まれるから心配要らねぇぞ、若旦那!」
……殺しはご法度でも、それ以外は何でも有りかよ。おっかない所だ、全く……。
後から知った事だが、ああ言う連中は縄張りを犯したって扱いで、地回りの荒事屋が叩き出す手筈になっているそうだ。荒事屋、とは揉め事を専門に処理する連中で、喧嘩や因縁絡みに介入して睨みを利かせる代わりに、一定の報酬を貰うらしい。中には外であぶれた冒険者崩れが一役買ってたりするとか。今の立場に居なければ、俺もそうなっていたんだろうか。
「……なあ、若旦那よ。コンラッドの事はともかくさ、あんた……この店をどう思ってるんだ?」
店の中が静かになり、客待ちの準備を再開した従業員達が動き始めた気配を察した時、セヘロが俺に聞いてきた。
「この店? いや、別に……親父から受け継いだだけだし、特に何も……」
「……何も、って事はよ……ああ! 面倒だな! 若旦那は男の娘共を抱けるのかい!?」
突然何を言い出すのかと思ったが、セヘロの表情に冗談の気配は無かった。しかし、急に尋ねられても……
「……いや、俺は女の方がいい。何でとか言われても、今までそうだったしなぁ……」
「おぉ! そうだよな! なら、いいんだ!!」
妙に元気な声でセヘロはそう答えると、俺の腕を掴んで身体を寄せながら、周りに聞こえないよう小さな声で囁いた。
「……若旦那がさ、その……働いてるあいつ等に惚れちまったら……私も……あれだからさ……」
それだけ言うと俺の身体を突き放し、さっさと向こうに行けと手を振ってセヘロは背中を向けた。もう話は終わったと言いたげな態度に、俺は妙な気分になりながら執務室へ戻った。