5・キャロンとルビー
「……なあ、ジムよ。ちょっと面貸して貰えないか」
さっさと帰ろうとセヘロを伴い席を立った俺は、【猫目石亭】の外に出た所でキャロンに呼び止められた。
「おいキャロン! うちの若旦那に絡まないでくれねぇか? ……まさか引き抜こうってつもりじゃ……」
俺とキャロンの間に割って入ったセヘロが、ぐっと拳を握り絞めながら目付きを鋭くすると、
「いやいや、そんな話じゃないさ……ただ、何と言うか……さっきの詫びみたいなもんだよ。いいだろ?」
そう言って彼女は跳ねっ毛の先を指先で回しながら、俺の返答を待ってくれる。別に悪い人じゃなさそうだけど、不器用なのかもしれないな。
「……セヘロの姐御、女将さんも悪気が有った訳じゃないんですって! ま、そこらへんは納得して貰えません?」
と、キャロンの後ろから似たような背丈の猫人種の女性がするりと現れ、セヘロの前で尻尾を振りながら彼女の手を掴んだ。
「……うおっ!? こ、こら手を離せってんだルビー!! お前はすーぐそうやって馴れ馴れしくする!!」
「あにゃ~? 姐御ったら男には強いクセに女は苦手なん? もー、たまんないぃ♪」
「いひぃ!! くっつくなぁ~!!」
……何だか妙な気配になってきたけれど、キャロンは二人をほっといたまま話を進めたいみたいだ。
「ま、立ち話も何だから、ウチの店に寄ってって貰うと嬉しいね。ほら、近いから行こうじゃないか」
「あっ、ああ……判ったよ……」
気付けばセヘロと同じように、キャロンに手を引かれて彼女の店へと案内されていた……まあ、まだ日も高い時間だから、客として扱われるような事も無いか。
案内された【常緑の庭】って店は、女性が接客する普通の娼館だった。まだ店を開ける前だという事もあり、店内の灯りは絞られて薄暗く、明かり取りの窓から射し込む陽の光で、前に座るキャロンの髪が燃える松明のように輝いて見えた。
「……まあ、そんな訳で酒でも何でも好きな物を飲って構わないからさ、気楽にしてくんな」
彼女の言葉を聞きながら、流石に昼間から酒を飲むつもりはなかったので、アップルサイダーを頼んだ。
「……おやまぁ、若いのに慎重だね。誰も酔わせて取って食うつもりじゃないのにさ」
「俺はただ、明るいうちから酔っ払うのはみっともないって思っただけだよ」
「強情だこと! ……ま、そんな所も大旦那に似てるかもね」
何度も親父の話を蒸し返された俺は、彼女と親父の関係を聞いてみた。
「……関係? そうさねぇ……昔々は男と女の関係ってのも有ったけど、最近はそんなのも無くなっちゃって、只の師弟みたいな間柄……って、感じだったかな」
面と向かってそう言われ、俺の心が少しだけざわついた。母さんを早く亡くしたから、仕方ないと言えば仕方ないが……んっ?
「……キャロンさんって、幾つなんだ?」
「……失礼しちゃうわね! 淑女にそういう事を、明け透けに尋ねるもんじゃないわよ?」
俺の質問で機嫌を損ねたのか、彼女は横を向いて足を組んだ。
「……まあ、小人種だから、そりゃ見た目と歳が噛み合わないのは判るけど!」
しかし、拗ねていても埒が明かないと判っているからか、直ぐに彼女は話題を変えた。
「……ところでさ、話ってのはそんな事じゃないのよ。私の【常緑の庭】と君の【月夜の帳亭】、業務提携出来ないかって思うんだけど……どうかしら?」
……即答したくないな。さっき絡んで来たのも、話を持ち出し易くする方便なら、きっと利害を向こうに運びたいからだろう。あーあ、こんな風に穿った考え方するのも商売人のお約束なんだろう。やれやれ……。
「……そっちは娼婦で、こっちは男娼だろ。提携も何もしようが無いと思うけどね」
「私の店にも、たまーに来るのさ。男買いしたいって奴がね。だからお互いにそんな客を融通し合えば、儲けも増えないかしら?」
そりゃ有り得んだろ。向こうはともかく、うちの店は男娼専門なんだ。どんな取り分でもこちらに来る客が増える気はしない。なら、どうして振ってきたのか?
……まさか、指南役目当て? あのシャロンとかいうサキュバスは、戦争の末に取り残された魔族の一人なんだろう。少数ながら、生き残りの魔族が定められた条件と引き換えに亡命したって話を聞いた事がある。サキュバスの場合、身売り絡みの商売は一切禁止されてる。じゃないと国中の男が滅ぶからな。
「……それは直ぐに決められないな。あんたの店から客が回って来たら、その時どうするか答える事にするよ」
「……信用されるだけの実績を寄越せって事かい? やれやれ……案外強気だねぇ」
呆れたようにキャロンが言い、その言葉を切っ掛けに俺は席を立った。
「……また、親父の話を聞かせて貰いに来るよ」
「……そうかい? じゃあ、その時は私が直々にお相手しようか!」
と、唐突に色街の女らしい顔になりながら、キャロンが形の良い胸を寄せて見せつけるように揺さぶった……クソ、最後の最後に余計な事しやがるなっての。
「あー、全く嫌になっちまう……こっちが手を上げねぇって判ってるから、ルビーめ調子に乗りやがって……」
寄せ来る羽虫を振り払うように首を回しながら、セヘロが俺の前を歩きながらぶつぶつと呟いている。
「あのケット・シーと知り合いなのか?」
「……あぁ? そーだよ組合の絡みでね……用心棒にも組合があるからさ、そこで散々、顔を合わせてたもんでな」
「どんな仕事にも組合があるもんだな」
俺の問いに答えると、セヘロはそのまま暫く黙っていたが、俺の横に並びながら口を開いた。
「……なあ、若旦那。あんた、男と女、どっちが好きなんだ?」
「バカな事を聞くなよ……俺は……」
そう言いかけて、セヘロの顔を見た。
額の真ん中にもう一つ目が有るだけで、それ以外は全うな女に見える。詳しい種族は知らないが、こいつも亡命してきた魔族の一人なんだろうな。
……まあ、生まれる前から続いてて子供の頃に終わった戦争の話なんてろくに知らないし、セヘロが見た目より年上なら……いや、年下だったら幾つなんだ? どう見ても若いし、同年代に思えるが。
「……ん? そんな事を聞いてどうするんだ?」
「……いや!! 何でもないぞ若旦那!!」
「ん~、ご両人お熱いですねぇ~! でもウチの店の前で見せ付けてると、女将さんが嫉妬しちゃいますよ~?」
セヘロと言い合っているうちに、いつの間に現れたのか、ルビーが真後ろから横槍を入れてきた。こいつも足音させない奴かよ……。
「んあぁっ!? またお前かっ!!」
「も~、姐御は直ぐムキになるからぁ~! ……逆にそそられちゃう……♪」
「わっ、私はお前と違うんだよっ!!」
しかし、ルビーって用心棒なのに、セヘロをやたら構うな。しかも明らかに情熱的な言葉で迫っている気がする……あ、もしかしてコイツは女が好みの奴なのか。
「……ま、こうして姐御と遊んでたいけど、ホントの用事はこっち! ……ねー、アルカーソンの若旦那! あんたも気をつけた方がいいよ~?」
と、さっきまでのふざけた態度をコロッと変えながら、俺に近付くとルビーが囁いた。
「……ここだけの話、アルカーソンの大旦那と同じようになりたくなかったら……慎重に動かなきゃ、だよ?」
「おいこらルビー! 若旦那に妙な事を吹き込んでんじゃねぇ!!」
遂に堪忍袋の緒が切れたのか、セヘロの拳が唸りを上げてルビーに……当たらなかった。
「おおっと! 危ない危ない~、あんまり姐御を怒らせたら身が持たないから逃げよーっと!! じゃ~またねぇ~!」
セヘロの豪腕をひらりと避け、身軽に大きく飛び退いて距離を保ったルビーは、そう言いながら通りを駆けて【常緑の庭】の中へ消えていった。
……親父と同じになりたくなかったら……だって……何の事なんだ?




