4・初仕事
白いシャツが似合うグラマーなセヘロだけど、頭の中身はどうにも子供っぽい。
「ところでよ、若旦那は女を抱いた事があるのかい?」
いきなりこんな事を真顔で聞いてくる辺り、そういう経験が無かったからなんだろう。
「……んー、あるよ」
「あるのかっ!? で、どうなんだ!!」
「……は?」
「だからよ! ……その、何て言うか……どんな奴だった!!」
……情緒もへったくれも無い奴だなぁ。まあ、別に隠してもどうしようもないし。
「……どんな奴、か……うーん、そうだな。まあ、背丈は俺より小さかった……か?」
「ほうほう!!」
ほうほう、って何だよ……セヘロの奴、まるで棒切れを投げられて取りに行く犬みたいな顔してるぞ。
「それで……髪は短めで……」
「おう! ……短かったのか!!」
そう言いながら自分の髪の毛をシャカシャカ撫でまくり、こんな感じだろと熱心にアピールしている。
「……眼は二つだったな」
「……そうか、まあそうだろうなぁ……」
俺がそう答えると、水を掛けられた綿みたいにシュンとしちまった。おいおい用心棒なんだろお前、なんでしょげ返ってガッカリしてるんだよ。
「……ところで、セヘロ」
「おう、何だい若旦那!!」
「……威勢良く返事してくれるのは良いが、こんな状況でする話なのか、それ?」
俺は周りの視線に堪え切れず口を塞いだけれど、セヘロは全く気にしていない。マルジはどうして空気を読まないセヘロを同行させたのか……あ、一応こいつが用心棒なんだっけ。
「……会合?」
「はい、どのような所でも地に根差した業種には組合が必ず御座います。無論、【月夜の帳亭】も娼館の組合に加入しています」
朝飯の席に着いた俺に、そのまま聞いてくださいと前置きしながらマルジが説明する。何でも近い内に組合絡みの用事があるらしい。
娼館の主になった俺は、次の日から店に住む事になった。所有条件の一つに【店の三階に住む】ってのが有ったし、元住んでいた場所も短期の貸し長屋だったから、引き払うだけで特に問題なかった。
この店の所有者になった今、主としてどんな仕事があるのか気になりマルジに聞いてみると、日常的な管理運営の大半は楼主である彼が担い、俺には殆ど無いと言われた。うーん、予想通りだから別に構わないが、面と向かって言われると少し残念かもしれない。
(……後は残された数少ない仕事が、俺に向いているかだけど……断れる訳もないんだよな)
「……急な話で申し訳有りませんが、娼館組合の会合が明日、色街通りの【猫目石亭】で開かれます。その会合に出席して頂きたいのです」
「ああ、それが仕事なら……ってマルジ、何だい妙な顔してさ。遠慮は要らないから言って欲しいな」
いつも丁寧な物腰のマルジだけど、俺が彼の頼みに軽く応じると、何か言いたそうな様子だ。気になって聞いてみると、マルジは一礼した後、詳細を教えてくれた。
「……旦那様、許されるならば私もお供致したいのですが、残念ながら会合の場所には本人と用心棒一人のみ、と決められているのです。ですから、セヘロをお付けします」
「そりゃそうだろうなぁ。組合と言っても他の所有者は商売敵にもなる訳だし、私情や逆恨みで荒事になったら大変だろうし……えっ、セヘロを?」
マルジの口からセヘロの名前が出た時、何となく会合なんて真面目な場所に? と思ってしまったが、用心棒の仕事に長けているならまず間違いはないだろう。いつもの粗野で荒っぽい態度に対し、先日の頬を赤くした彼女のイメージに若干違和感があったとしても。
「……会合に出席する時、幾つかの条件が有りまして……先ず、武器を持ち込まない。次に、会合の場で争い事を起こさない、と常識的な条件ばかりなのですが……」
そこまで説明したマルジが、改まって俺の顔をしかと見つめながら口を開いた。
「娼館の新たな所有者になり組合の会合に参加する時は、その場にて組合員の承認を得る取り決めになっています。承認を得て、初めて旦那様は組合内で正式な【月夜の帳亭】の代表者として認められます」
「じゃあ、承認されてない今の俺は、何なんだい」
「……畏れながら申し上げますが、組合から見れば只の居候で御座いますな」
おお……そう言い切ったマルジの微笑む顔ったら……全く、楼主ってのはみんな、こうも食えない連中ばかりなんだろうか。
「……さて、早速だが組合の新顔を紹介しようか」
【猫目石亭】の所有者で、今回の娼館組合の会合を取り仕切るタンザが立ち上がり、俺の方に指先を向けながら口を開いた。
(……若旦那よ、タンザって野郎は気障な奴だが商売上手だ。うちの店にしょっちゅう身内を来させて様子を窺ってやがるから、注意しとけよ)
会合が始まる前、セヘロが俺に小声で教えてくれたが、パリッとした折り目正しい格好の如何にも遣り手そうな男だ。俺より歳は上みたいだが、まだ年寄りには程遠い。
「……先代のオリバー・アルカーソンが亡くなり、【月夜の帳亭】の代表も暫く空席になっていたが……漸く後継者が現れた、という訳だ。では、新たに我々の仲間になる、ジム・アルカーソン君を紹介しよう」
彼の言葉を聞きながら俺が立ち上がると、テーブルの周りに座っていた面々が立ち上がり、疎らに拍手しながら視線を向ける。
「ご紹介に与りました、ジム・アルカーソンです。まだ若輩者ですが、宜しくお願いします」
予め言い含められていた挨拶を口にすると、居並ぶ半数から控えめな歓迎の言葉が、そして残りの半数からは無言の視線が向けられる。前者は【月夜の帳亭】より大きな店らしく、後者はその逆で規模の小さな店らしい。商売敵か、そうでないかは互いの金を生み出す力が決め手になる。そんな業界だとマルジが言っていた。
「……では、形だけで御座いますが……ジム・アルカーソン君が組合に加入する事を歓迎する方は立ち上がり、改めて賛同の意を表してください」
そう、タンザの言う通りに形だけの承認になる筈だ。何故なら、組合で力の有る娼館から見れば、月夜の帳亭は格下に当たり、いちいち目くじらを立てるような存在じゃない。そして売り上げが低く格下の店ならば、いちいち喧嘩を吹っ掛けても軽くあしらわれるだけだ。
「……私は反対だね。何処の馬の骨とも判らない若造が、親父から与えられた店に居座ってるだけなんだろ?」
……但し、例外ってのは何処にでも、何にでも付き物みたいだ。俺の向かいに立っていた小柄な女が、捕まえた盗人でも見るような目付きで俺を睨みながら言い放ったからな。
「おいおい、キュレンよ随分と食って掛かるじゃねぇか……どうしたんだ?」
俺の隣に居た禿げ頭の男が問い掛けると、名前を呼ばれた跳ねっ毛で気の強そうな女が、ムッとした表情になりながら、
「……私はね、先代のオリバーに大恩があるから、敢えて言わせて貰ってんのさ。素人にみっともない商いされて潰されたら堪らないし、下手すりゃこっちにまで火の粉が降りかかるってもんだろ?」
そう言って腕を胸元で組みながら、自分の発言で静まり返った室内を見回してから、俺の隣の男に向かって話し出した。
「……なあ、ジャンさんよ。あんたやそっちの若造の店と違って、私んとこみたいな店ってのはね……舐めた真似すりゃ直ぐに客足が遠退いて潰れちまうんだ。だから組合に半端な奴が割り込んで色街の評判を落とされたら、堪んないのさ」
「……キュレン、お前さんの言う事も判るがな、組合は組合だ。そこは弁えて口を開いて貰いてぇな……」
ジャンと呼ばれた禿げ頭が、さっきまで穏やかだった口調から、声色を落とすと彼女も諦めたのか、
「ああ、判ってるよ! ただ、私はオリバーの顔に泥塗るような真似はするなって言いたかっただけさ……ジムって言ったっけ、あんた。私は【常緑の庭】って店のキュレンだ。良い商売して稼いどくれよ、大旦那の為にもな」
キュレンはそう言って両手を広げると、薄い衣越しで透けて見える蠱惑的な身体を曲げて軽く屈み、承認するよと短く告げた。
「……まあ、キュレンの言う事も一理有りだな。我々の商売は、互いに潰し合っても共倒れになる。共存といこうじゃないか、なあ?」
タンザが取り仕切り役らしい言葉で場を納めると、今度こそ全員が同意して拍手を送り、組合の会合はお開きとなった。やれやれ、一時はどうなるかと思ったが何とか終わったな……。