3・ポーラと外住まい達
今更だが、俺は常にこう思っている。食べ物を売る商売人は、自分が売っている商品を口にしない。味見や残り物ならともかく、売り主が商品に手を出しても利益が出ないからだ。だから、稼業で扱う物に手は付けない。
この館の主な商品は男の娘だ。だから、俺は手を出さない……いや、出せない。だって俺は……間違いなく女の方が良いから、だ。
「……お疲れ様でした、それでは半休に入ります」
「ああ、お疲れ様。短い時間だけど、ゆっくりしてくれ」
俺にペコリと頭を下げて、ポーラが執務室から出ていく。常駐の三人目、銀髪のポーラが今夜の接客を終えて規定の半休に入る。この店の決まりで一度客を取ったら、必ず半日は休みにしているそうだ。まあ、仕事自体が過酷な肉体労働って奴だし、精神的にキツい仕事でもあるから仕方ないだろう。
ポーラも、他の二人と同じように男娼だ。繊細で男に見えない容姿に、長く綺麗で見事な銀髪が特徴で、無口な性格と相まって【月夜の帳亭】で一番の稼ぎ頭なんだが……どうにも取っ付きにくい。
客にしてみれば、そうした見た目に相応しい敷居の高さが、逆に一夜の伽の相手になると違った面に変わるのが良いそうだ。まあ、そういう評判だって話ってだけで、俺にしてみれば詳しい事は良く判らない。
「若旦那!! 今夜はまだお客さん来ますか~?」
「ああ、まだ夜明けまで時間は有るし、何人か来るんじゃないか」
執務室から出て階下に降りた俺に、外住まいのエリンが話し掛けてくる。彼は常駐ではなく、店が用意した下宿から通って来る。館に常駐する事は一見すると便利に思えるが、客が来れば問答無用で仕事が始まる。それだけ個人の自由は無くなるが、稼ぎは比例して跳ね上がる。エリンのような通いの者はその分稼ぎが少なくなるけれど、一日丸々休める訳だから個々のバランスは取れているのだろう。
「あーあ、ポーラが羨ましいなぁ……だって、一回お客さんを相手すれば半日休めるんだよ?」
やや長めに伸ばした髪を一つ纏めに束ねたエリンが、客待ちのカウンターの上に身体を伸ばして呟く。たぶん本気で言っている訳じゃないだろうが、一晩買い(と言っても泊まらず帰る客も居るが)のポーラと違い、客待ちで身売りするエリン達は客が付いても時間が経てば、そこで会計を済ませて貰い、また新しい客の相手をする。エリン達目当ての客も少なからず居るのだが、圧倒的に売上額が多いのは、予約が必要なポーラ達だ。エリンは常駐の彼等と違い、一回の額も安い。ある程度の額を稼ぐには、一晩で五人は相手にしなきゃいけないし、それだけ働いても常駐の売上には追い付けない。
(……それでも、普通の仕事より稼いでるんだよな……エリン達は)
細身のポーラと違い、やや丸みを帯びた体型のエリン。五人も居る兄弟姉妹や病弱な母親の為、身売りして稼いでいる割りに、悲壮感とは無縁な性格だ。聞けば食べる事が好きで、何度か禁じられている匂いのキツい物を隠れて食べて、出勤停止を命じられたらしい。判る気はするが……全く。
「……ねー、若旦那もコレ食べな~い?」
エリンがカウンターの向こうからひょいとサンドイッチを手に取り、一口齧りながら勧めてくる。
「俺か、別に腹は空いてないから大丈夫だよ」
「ふ~ん、そう? 美味しいのになぁ~」
モグモグと口を動かしながら一枚目を平らげて、エリンが更に二枚目を掴む。夜通しで商売する娼館だから、従業員や客の為にこうした食べ物を常に作り置きし、館の売り上げにしている。因みにエリン達が自分で食べた分は稼ぎから引かれるが、客が与えれば売り上げになる。まあ、エリンの場合は本人が全く気にしていないんだが。
「ねえ、若旦那って前はどんな仕事してたの?」
客待ちで退屈になったのか、エリンが俺に尋ねてくる。
「前の仕事か? 普通の冒険者だったよ」
「えっ! ホントに!? どんな感じだったの!! 魔物とか倒した事あるの!?」
急に元気になったエリンが、眼をキラキラさせながら勢い付いて質問責めしてくる。うーん、コイツはホントにポーラと真逆の性格だな。
「倒した、かぁ……まあ、魔物っていっても魔導じゃないと倒せないような危険な連中は、あんまり相手してないな」
「じゃあじゃあ、ワイルドボアとか!? あれって食べられるって聞いたよ!」
「ワイルドボア? ああ、デカいイノシシか。あれは肉が固いんだよ……でも、狩りたてなら腿肉が柔らかくて旨かったね」
ねだられてつい、そんな話をしてしまう。何だかんだで冒険者になった俺は、才能らしい物も無く、ただ毎日必死になって剣を振り回していた思い出しかない。但し、一回だけ……派手に立ち回った事が有ったか。
「……それで、村の連中に頼まれて吸血鬼の眷属を相手にした時、他の冒険者が魅入られて次々と自分の武器を使って倒れちまったが、俺だけ耐えられたんだ」
「うわぁ!! 凄いっ!! で、その後はどうなったの!?」
「ああ、それで……」
そこまで話が盛り上がった時、カラランと客が訪れた事を知らせる扉の鐘が鳴り、用心棒のセヘロが扉の陰から現れる。
「……ああ、あんたかい。今夜は随分と遅いじゃねぇか……マルジ、後は宜しくな?」
「ようこそ、月夜の帳亭へ……今夜はどのような花をご用意いたしましょうか」
セヘロから引き継いだマルジが、丁寧に接客しながらエリンに目配せすると、彼は少し残念そうにしながらカウンターから離れる。
「あーあ、続きはまた今度だね、若旦那! じゃ、行ってきまーす! ……わあ、来てくれてエリン嬉しいよ!」
まるで旧知の恋人に会うような気易さで客に抱き着きながら、エリンが二階の接客室へと上がっていった。見事な切り替えの速さは、流石は身売りを生業にしている男娼なんだろうが……俺は、何だか少しだけ切なくなった。
……いや、別に昔話が途切れたから残念だって訳じゃない。それに話のオチは、夜明けになって日の光を浴びて弱った吸血鬼を、村の者全員と一緒に袋叩きにしたって終わり方で、締まらない結末だったからな。