1・アルマ
「……旦那様、ホントに大丈夫ですか?」
寝所に案内してくれたアルマが、ベッドに腰を預けていた俺の額に、前屈みになって手を宛てながら聞いてくる。大丈夫なんだけど、大丈夫じゃない。身体に異常はないけど、心がかなり大丈夫じゃないんだよ……
「……長旅の疲れが出たかもしれないんだ、寝たら少しは良くなる……と、思う」
「そうですか! 気付かなくて申し訳ありません!」
そんな俺にアルマは少し短く切り揃えた髪を揺らして微笑みながら、額に宛てていた手を離した。それにしてもアルマは……良い匂いだ。同じ性別だと思えない位。
「……なあ、ところでアルマは幾つなんだ」
「僕ですか? 十八才です!」
……えっ、俺より年下かよ。……そんな若さでこいつ、男娼やってんのか。でも、見た目は完全に女みたいだし、俺より若く見えるぞ。
「あの、もしかして僕が男だって事が気になってたんですか? ……でも僕、ずーっと……こんなだったんで、あんまり気にした事なくて……」
「いや、悪くないよ全然……」
「……そうですか?」
つい、取り繕うとして言葉を滑らすと、アルマは少しだけ上目遣いになりながら、俺が腰掛けていたベッドの上に座った。音も立てずに沈むマットレスは、僅かにへこむと直ぐに元の高さに戻る。いや、マットレスなんていうより何か別次元のモノの上に座ってるみたいだな……。
「ああ、ホントだよ。同じ男だと思えない位、綺麗だし……良い匂いする」
そう言った瞬間に隣のアルマの気配から、今まで感じた事の無い何かが生じ、俺の周りに纏わり付く……何だ、これ……?
「わぁ……良い匂いですか? エヘヘ……そう言われると少しだけ、嬉しいです!」
そう言いながらアルマの表情がすっと明るくなり、更に輝くような印象へと変わっていく……喜怒哀楽の豊かな奴だな、アルマって。
「僕たち、いつも寝る前と起きた時に花から採れる香水を飲むんです! そうすると身体の内側から良い匂いがするって言われてて……ずーっと続けてきました!」
パチンと両手を合わせて鳴らしながら、アルマが説明する。うーん、そうなのか……それはともかく、こいつ所作の全部が可愛らしい。そりゃまあ、そーゆー感じになるよう時間掛けて仕込まれてきたから、なんだろうが。
「……大旦那様に拾われるまで……男のクセに女みたいだ、とか……役に立たない奴だって親にも言われて……でも、大旦那様はそんなボクを【お前の魅力が必要なんだ】って言って、拾い上げてくれたんです!」
「……そうかい、そりゃ……良かったね」
……だから俺の顔を見ながら親父の話をするなって。まるで俺がアルマを拾ってきたみたいじゃねぇか。でも、親父はアルマを何処で見つけたのか知らないが、他の男娼もそうやって集めてきたんだろうか?
「ここに来て、色んな事を教わりました。でも、辛いって思った事は一度も無かったです!」
「あー、そうなのか。でも、色んな事って……お前に誰が教えたんだ?」
「……指導ですか? 勿論、大旦那様もでしたし、通いのシャランさんも丁寧に教えてくれました!」
お、大旦那……親父の事だよな、うん。
「う、うん……そうか……大旦那もな、そうだよな……」
……親父、何してんの!? アルマはすげー綺麗だし、見た目は完全に女の子だよ確かに!! でも、付いてるからな!? 全く……付いてるけどよ、付いてるけど…… 訳判らん!!
「……? どうなさいました? 旦那様……」
いや、だからアルマ近寄るな! お前の顔が近付くと頭が変になるんだよ!!
「……だ、大丈夫だよ心配しなくて……な、なあ腹減ったんだが、食堂行ってもいいか?」
「あっ、申し訳ありません! お腹空いていたんですね! 直ぐに準備するよう言ってきます!」
アルマはそう言って立ち上がると、さっと扉の向こう側へ消えていった。どう見ても女そのものにしか見えない後ろ姿を、俺の目に焼き付けながら……。
(……それにしても、アルマっていつから此処で働いてるんだ? 親父が亡くなった時の事は誰も教えてくれないし……ただ、あいつの口振りからすると、結構長く居るみたいだな)
アルマが下に降りて知らせてくれたお陰で、娼館で初めての食事にありつける事になった。そんな訳で厨房で働くサワダの後ろ姿を眺めながら、何とはなしにアルマの事を考えていると、
「……どうぞ」
低い声と共にテーブルに湯気の上がる料理を置かれて、漸く自分が結構な時間をボーッと過ごしていた事に気付いた。何でだって? そんなの判るだろ……俺は男に興味なんて全くは無いのに、受け継いだ店が男娼の館だったんだぞ? あんだけはしゃいだ気持ちを返せってんだ、全く……
……と、思うけれど、別にアルマ達が館で働く事が悪い訳じゃないってのは理解してる。ただ、俺自身が受け入れられないだけだ。何を言おうが国からお墨付きを頂いてる真っ当な商売だし……ん? そう言えばお墨付きって言えば、国から認められてるって事は……それなりに位の高い役人が視察に来てるって訳だろ? おいおい、それじゃ後見人は国の重鎮って事で……この国の重鎮って、男色家が多いのか?
「……ん?」
ふと我に帰りながら顔を上げると、サワダの視線に気付いた俺は話し掛けてみる。
「あ、済まん……ちょっと考え事してて……」
「……料理、冷める。早く食べる、美味しい」
何とも片言だが、無表情の割りに世話焼きなのかもしれないな。言われてフォークを使い、目の前の皿からベーコンとジャガイモの炒め物を口に運んだ。
……うん、ベーコンの焼き具合は実に絶妙で焼き過ぎて硬くもないし、火の通りが悪く生焼けでもない。それどころかジャガイモも下茹でしてから炒めたのか、十分柔らかいのに揚げたみたいな芳ばしさだ。ついでに芋そのもののふんわりとした甘味まで感じるとは中々どうして凄いもんだぞ! ……おいおい、只のベーコンと普通のジャガイモだろ……何をどうすりゃこんな旨くなるんだ!?
「なあ、サワダ。 一体何処でこんな技を……」
顔を上げて尋ねようとした俺は、サワダの背中に言葉を弾き返される。無口なのか、それとも世間話が嫌いなのか判らないけど、料理の腕は確かみたいだ。ただ、やっぱり無口なせいで何考えてるのか判らないが。
俺は食堂で遅い昼食を食べて(本当は頼めば誰かが部屋に運んでくれるそうだ)執務室に戻って暫くすると、ドアをノックする音が響く。おかしいな、マルジなら直ぐに会う予定はなかったけれど。
「……誰だい?」
俺が尋ねてみると、ドアの向こう側から答えが返ってきた。
「……ミウラです。入っても宜しいですか」
「ああ、構わないけど」
ミウラって確か、三人居る男娼の一人だったな。名前で判るアルマ以外のどちらかなんだろう。
「失礼します」
ドアが開いて執務室の中にミウラが入ると、途端に部屋の照明が明るくなったように感じた。いや、本当に明るくなった訳じゃない……ミウラの身体から光が出ているような、そんな風に感じたからだ。
「……自己紹介が遅くなりました、旦那様」
……アルマと同じ背丈のミウラだが、口を開いた瞬間に周りの音が一瞬静まり返った気がする。いや、そうじゃない……その声が透き通った水面に雫が落ちたみたいに、心の中に響いてきたから……だった。
「……長旅でお疲れの所、申し訳ありませんが……ミウラで御座います。どうか、お見知りおきを……」
丁寧な口調でそう言うと、ミウラは深々と頭を下げた。さらりと長く伸ばした金色の髪が垂れ、尖った耳が現れる。そうだった、ミウラは……エルフの血を引いたハーフだったっけ……。
「……どうかなさいましたか、旦那様」
「……いや、別に……」
ミウラの声に漸く気付いてから、俺は閉じていた口を開くと、何とか声を絞り出した。
「……ハーフエルフが珍しいですか?」
そんな俺にミウラが問い掛けてくるが、正直言うとハーフエルフなんてそこまで珍しい訳じゃない。ただ、何と言うか……その見た目が余りにも綺麗過ぎて、言葉が出てこないんだよ!
「そうじゃないが……ああ……取り敢えず座ってくれ」
何とか言葉を絞り出した俺が椅子を勧めると、ミウラは短い丈のズボンの裾を伸ばしてから、膝を揃えて腰を下ろした。ああ、そうだよ真っ白な脚だし男らしさの欠片も無い完璧なバランスって感じだな! でも、でも……何でだよって言いたくなる位、ちゃんと俺達の仲間だってミウラの足の真ん中が主張してるんだよ……何なんだよ全く……。
それから俺はミウラと暫く話をしたが……あんまり覚えていない。だって、話の最中にミウラが首を少しでも動かせば、蜂蜜みたいな金色の髪から華やかな香りがするし……声に集中すれば頭の中がボーッとしてくる。おまけに顔を見れば切れ長の綺麗な眼が、俺を射貫くみたいに真っ直ぐ見詰めてくるし……相手が男だって意識しても、そこらの女性より遥かに女らしい所作のミウラが、直ぐ目の前に居ると思うだけで……いや、余計な事を考えるのは止めよう。
挨拶を終えたミウラが執務室から立ち去ると、俺は椅子の背もたれに身体を預け、深々と溜め息を吐いて心の中で呟いた。
(……はあ、疲れたな……)
正直言うと、まさか自分がアルマとミウラの二人に会って、ここまで混乱するとは思っていなかった。アルマは人懐こさが有って明るい感じだったが、ミウラは正反対に話す言葉や仕草に打ち解け易さは薄い。でも、それを全て帳消しにするだけの……って、俺は何を真面目に考えてるんだ?
夕方までそんな繰り事で頭を悶々とさせていた俺は、唐突に明日の予定を思い出した。
(……あ、そうだ……館専属の指南役と顔合わせするんだ)
王国内屈指の娼館の、指導役ねえ……何を教えてるかは詳しく知らない俺が、会って何が判るってもんだが……そもそも相手が男か女かも知らないんだよ。