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17・遠い記憶



 目醒めて最初に気付いた事は、ぼやけた視界と聞き馴染み無い男女の声だった。視界は薄い膜越しに見ているような感じで良く判らないし、男女の声は記憶の何処にもない。ただ、何となく二人は穏やかな調子で口論している気がするのが何故だか判る。


 次に感じたのは甘い匂い。それが自分を包む布から漂っているようで、その理由は判らないが……安心感で満たされる、そんな匂いだった。


 少しづつ記憶がハッキリしてくるうちに、昨日の夜は楼主のマルジと親父の形見の酒を飲んだ事を思い出した。なら、酔ってそのまま寝てしまったんだろう……でも、今の状況は何なんだ。相変わらず目は見えないし、話をしている二人の声も良く聞き取れない。いや、でも……全く知らない他人の声なのに、どうしてもそれが記憶すらない親父と母親の声なんだと心の中で理解している。


 ……ああ、これは夢か。何だそうかと不意に気付くと、霞みが晴れるように頭の中がすっきりしてくる。つまり、今のこの状況は夢の中で赤ん坊の頃の自分を追体験しているんだな、と。ならば、俺は()()()()に包まれて母親に抱かれているに違いない。


 「……私はジムを、あなたと同じように戦場へ行かせたくないの」

 「ああ、判っている。けれど俺達が戦わない限り魔族の侵攻は……」


 夢だと気付けば、病弱だと聞いていた筈の母親の声は若々しく精気に満ちているし、親父の声もまるで今の自分と大して変わらない年頃だ。だからこそ夢だと判るが……じゃあ、記憶に有る筈の無い若い二人の事を、どうしてこんな風に生々しく思い出せるんだ?


 そんな声と匂いだけしか判らない状態のままでいると、親父が立ち上がり家の中から外へと出ていく気配がする。直ぐに身体がふわりと浮き上がり、母親に抱き抱えられて明るい室外へと出る。きっと親父を見送る為に母親が俺と共に後を追ったんだろうが、そこで再び意識を失った。




 (……夢……だった……のか?)


 どっどっどっ、と鼓動の高鳴りと共に意識を取り戻した俺は、ベッドの上に横たわったまま暫く動けなかった。いや、目覚めて直ぐはおくるみに包まれて動けない感触が生々し過ぎて信じられなかったからだ。


 そうしてじっとしたまま時間が過ぎ、ようやく自分の顔を手で撫で回して掌をちくちくとヒゲが当たる感触に、


 (……赤ん坊じゃあ、ヒゲは生えんよな?)


 と、馬鹿馬鹿しい理由で納得しながら身を起こした。そして部屋を出て毎朝の日課、顔を濡らした布で湿らせてからカミソリを当てて剃っていく。そうして無心で手の感触を頼りに髭を剃りながら、目覚めるまでの夢の内容を噛み締めていた。


 若々しい親父と母親。おくるみに包まれた俺。親父の言葉に母親の答え。


 ……親父は魔族を束ねる長と戦う為、人間を始めとした様々な種族の連合軍に参加した。その後、俺は病気で母親を失い、叔父と叔母に育てられた。幼い頃の俺は親父が戦死したとばかり思っていたが、十六才になった時親父がそうして出征し生死不明のままだと告げられた。だから、俺は親父が信じられなかった。どうして、直ぐ帰ってこなかったのか? 俺は要らなかったのか? そう思う度に悔しさと怒りが込み上がり、親父が許せなかった。


 ……だが、もし夢が事実だったなら……


 親父は、きっと後ろ髪を引かれる思いを振り切りながら出征したんだろう。母親は、そんな親父を赤ん坊の俺と共に待ち続けたんだろう。叔父も叔母もそうした話はしてくれなかったが、以前降霊術で親父と話した際に事の真相を話さぬようにと言っていた。亡くなった戦友の為に娼館を立ち上げた為、そうした事情を含めて子供だった俺には告げ難かったのも今は判る。


 古傷っていう程時間が経った訳じゃないが、子供の頃の傷口がじくじくと生乾きのまま残ったような心の痛みは、今の自分には無い。叔父と叔母が斡旋してくれた平穏で長閑のどかな商店での住み込み働き口を、一年足らずで逃げ出した後はお決まりの流れだった。自分より遥かに年上の荒くれ連中と絡みながら剣の振り方を憶え、危ない橋も何度か渡った。でも、剣の才能は人並み程度だと判った時、それ以上深入りするのは諦めた。そして、親父が残した遺産が元で自分を探している代理人が居ると聞き、会う事を決めた。


 「……遠回りしたけれど、親父が遺したこの店に引き寄せられていたのかもしれないな……」


 何となくそう呟いた時、部屋のドアを聞き慣れたリズムで叩く音。


 「おーい、若旦那!! そろそろ出掛けるぞ!!」


 すっかり打ち解けた調子でセヘロが向こう側で叫び、今日は約束の日だったなと思い返す。宵闇祭りの後、彼女に以前言っていた昼飯を奢る話はどうなってるんだって詰め寄られてつい返事したけれど……セヘロは、俺に気でもあるんだろうか。


 だって、ドアの向こう側にはいつものスラックスとは違うめかしこんだ格好で、


 「……さ、さぁ行くぞ! ……じゃない、行こう若旦那!!」


 とか言って俺の腕を掴もうと手を伸ばすセヘロが待ってたんだから。




 

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