13・サワダと先代館主
昼間の【月夜の帳亭】は、夜と比べてとても静かだ。店の表の扉は閉ざされて人の出入りも無く、無人のロビーは音らしい音も鳴り響かない。だからという訳ではないが、俺もつい暇をもて余してしまう。
だが、厨房では料理人のサワダが包丁を振り、夜の店開きに向けて仕込みを行っている。しかし、前から気になっていたけれど、彼程の腕前の持ち主が娼館の厨房で働いているのは何故だろう。何か理由があるに違いない。
(……しかし、聞いても答えてくれるだろうか?)
厨房の入り口から彼の鍋捌きを眺めながら、言い出し難くなった俺はそのまま立ち尽くしていると、
「……若旦那、何か用か」
ポツリと呟いてから、サワダが俺を見返す。どうやら、雑談には付き合ってくれるらしい。
「いや、前から不思議だったんだが……どうしてサワダさんはこの店で働いているのか、って」
そう切り出してみると、サワダは表情に乏しい顔を少しだけ変え、少し間を空けてから口を開いた。
「……先代の、大旦那に拾われた。その頃はまだ、大陸共通語、良く判らなかった」
ああ、やはりそうだったのか。俺の父親は事情を抱えていたサワダの腕を認め、きっと何も言わずに雇ったんだろう。
「でも、十分会話は出来ているよ」
「……そうか。でも、まだ、難しい」
そうたどたどしく答えながら、しかしサワダは彼らしい丁重な言葉遣いで、
「……だから、大旦那の恩に、報いる為に……ここで働いている」
そう言って再び鍋を掴み、料理へと戻っていった。でも、折角話に付き合って貰えたんだから、もう少し掘り下げても構わないよな?
「なあ、サワダさんは南方の出身かい? 何と言うか独特な訛りがあるもんでね」
「……南方、違う。若旦那、【転生】を知っているか」
「……【転生】? ああ、よーく酔っ払いが俺は本当は王様だぁーっ、て騒いでる……のとは、違うみたいだな」
俺は途中まで言いかけていた言葉を飲み込み、サワダの様子を窺う。
「……自分は、ここの生まれじゃない。本当は、違う世界の……違う社会で、生きていた」
「……どうやって、来たかは覚えてない。でも、前の記憶、少しある。そして、ここに来て、能力貰った」
そう続けながら、サワダは振っていた鍋を扱う手を止めて味見し、暫く悩むように手元を見てから再び話し始めた。
「……若旦那、【魔王の舌】知っているか」
「……【魔王の舌】? 何だいそれは」
「【魔王の舌】は、何でも舐めてみれば、その物の全てが、判る。料理だろうと、人種だろうと、何でも」
そう告白するサワダの表情は、やっぱり乏しい。何と言うか、喜怒哀楽が抜け落ちているというより、各々の特徴が現れ難いって感じだ。
「それは凄いな……人種?」
「人に化けた魔物でも、舐めただけで判る。但し、どうやって舐めるか、難しい」
そう返答するサワダだったが、俺より少しだけ年上の外見に似合わない苦渋が滲み出ている気がする。
「……だから、料理は得意。でも、言葉の壁、なかなか越えられない。それに……」
そこまで話したサワダが、また言葉を止める。彼は長々と話すのも得意ではないらしく、頭の中で話す事を纏めてからでないと、続きが出てこないようだ。
「……元々、人と話すのが、苦手……だった」
と、途切れ途切れに言葉を繋ぎながら話し終え、喋り過ぎたと言いたげに口を閉ざした。
「まあ、いいんじゃないか? ここの従業員とも上手く付き合っているようだし」
そう話を合わせてみると、サワダは今まで見せた事の無いギョッとした表情になり、
「……自分は、男の娘、好きではない」
それだけ言うと鍋の中に視線を落としたが、
「でも、友達……いや、仲間? として付き合うのは、いい。みんな、とても心が綺麗だ」
そう締めくくり、サワダは仕事に戻った。だが、ここまで話が出来たのだから、ついでにもう一つ聞いておこう。
「そうか、ところで……先代の大旦那、俺の父親はどんな人だったんだ?」
そう俺が切り出すと、サワダは料理の手を休めず動かしながら暫く考えていたが、
「……大旦那、若旦那と似ていた。敵を作らず、誰にでも同じように、平等に優しかった」
「……それに、立場の弱い者には、特に優しかった」
と、それまで表情の乏しかったサワダの顔に、その頃を懐かしむ優しげな雰囲気が漂う。そしてその表情も元に戻った時、彼の口から意外な言葉が出た。
「……若旦那、先代の事、気にするなら墓参りすれば良い」
「……墓参り?」
「……そう。墓・参・り……」
思わず聞き返すと、サワダは自分の発音が気になったのか、一言一言を区切るように繰り返した。しかし、改めて言われてみれば俺は親父の墓が何処にあるか、聞いてすらいなかったぞ。
「……この街を見下ろす丘に、墓地がある。そこに埋葬、されている。行ってみれば、何か判るかも」
そう諭すようにサワダは言い、また料理を作る為の作業に没頭していった。
「……成る程ね、ここに埋葬されているのか」
独りで街外れまでやって来た俺は、墓地の管理人に身分を明かし、ここに埋葬されている親父の墓が何処か尋ねてみた。
「グレース……アルカーソンですか。ああ、それならこの先の区画、十二番の一番新しい墓がそれですね」
墓地管理所で墓守りの男に手間賃を握らせると、彼は帳面を捲って直ぐに場所を教えてくれた。
「それで、グレース・アルカーソンの埋葬の時はどんな人が集まったんですか」
「ううん、確か……組合の偉いさんみたいな連中が、お付きの人を連れて何人か来てたと思うが……」
「それは娼館の組合か何かかい?」
「いや、俺もそこまで詳しくは判らんよ」
墓守りは先に立って歩きながら、案内がてらそう教えてくれる。そして目的の墓所に着いた俺は、案外小さな墓碑に刻まれた名前を確認した。
【 グレース・アルカーソン 人々に惜しまれながら天に召される 】
ああ、親父は此処で眠っているのか……まあ、顔も見た事ないけれど。
と、物思いに耽っていると、墓守りの男が咳払いをしてから、意外な事を言ってきた。
「……あー、うぅん……そのですな、自分は教会から派遣されている為、教徒として看過するべきではないと存じてはいますが……最近、墓所の周りに怪しげな【降霊術】を行う者が出没する……とか」
「……【降霊術】?」
「そう、死者の魂と通じて現世の者と会話出来る、そんなまやかしを持ち掛けてくるそうです。まあ、自分は知らないですから、それだけは良く覚えておいてください」
そう言うと、墓守りは管理所に一人で戻ってしまった。何なんだそりゃ……
「……旦那、何かお困りですか」
「……うおっ!?」
不意に背後から若い女が俺に声を掛けてきて、思わず叫びながら振り向いてしまった。
「もし、私がお力添い出来る事が御座いますなら……きっとお役に立てると思います」
……その若い女はそう言うと、親父の墓碑を横目で見てから呟いた。
「……グレース・アルカーソン様は、何か言い残した事が有るようですよ?」
その言葉を聞いた俺が一歩前に出た瞬間、彼女は掌を突き出しながら、当然の事のように言った。
「……では、お先にお代を頂きます」