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12・お客様



 夜が来る。


 いや、いつだって日が暮れれば夜になるに決まっているが、今日も【月夜の帳亭】にお客が来る時間が迫っている。尤も、娼館の主人なんて、盛り付け皿の端に置かれた飾りの野菜並みの存在だ。有れば多少の見栄えもするが、無くても誰か騒ぎ立てる程でもない。


 「……暇だな、セヘロ」

 「あーあ、それ言っちまったら、ホントに暇になるぞ?」


 俺の呟きにしかめっ面になりながら、セヘロが告げる。


 「いいかい、若旦那よ。こういう商売ってのは、験担ぎも色々と有ってな。暇な時に口に出して言うと、その日一日が本当に暇になっちまう事が多いのさ。だから、私らの取り分が減っちまう事は言わないでくれ」


 そう念押しされて、俺は悪かったと謝るしかなかった。まあ、そう言われても知らない事は知らないし、暇に変わりは無いんだが。


 「……あら、今日は随分と静かなのね」


 と、入り口の向こうから一人の若い女性が、ポピーに先導されながら応接間に通されて来る。


 「これはこれは、お久し振りで御座います」

 「まあ、マルジったら意地悪な事を仰有いますね……」


 直ぐにマルジが対応すると、女性は手に持っていた扇子で口元を覆いながら眉を寄せる。一見すると気を悪くしたように思えるが、きっとこれも小難しい駆け引きの一つなのかもしれない。


 「……お付きの方々はいらっしゃるのでしょうか」

 「……ちゃんと待つように言っておきました。私が一人で来るとお思いで?」


 勧められて椅子に腰掛けながら、女性はさっきと同じように口元を扇子で覆い、マルジと静かに会話している。だが、俺とセヘロの姿は視界に入っていても、全く気にする様子は無い。余程肝が据わっているのか、それとも最初から意識すらしていないのか。


 「旦那様、こちらは()()()の御一人で……」

 「……此処へは只の暇潰しで来ただけ。ゆえに何もお尋ねにならぬよう御配慮頂けます?」


 と、マルジの言葉を遮ってぴしゃりと言い停める。いやはや、権力が有りそうな人だな……。


 「……申し遅れました。当館の主人、ジム・アルカーソンで御座います」

 「初めまして、ジム。ところで今夜はエリンは出勤かしら……」


 その女性は俺にそう尋ねると、妙に落ち着かない様子でそわそわと辺りを見回し始める。勿論、エリンも今夜は店に来ているが……ああ、そうか。


 「あっ、お久し振りです! お元気でしたか?」

 「まあ、エリン……今夜もとても可愛らしいわぁ!」


 どうやら、彼女はエリンに御執心なようで、彼の顔を見た瞬間、パッと表情と口調を改めて立ち上がり、


 「さあ、さぁ……参りましょう!」


 と、頬を赤らめながら彼の手を取り、二階の接待室に向かって行った。いやはや、何と言うか……まあ、男女の組み合わせなのだから、誰が見ても文句のつけようは無いか。但し、身なりや仕草から見て相当住む世界の違う身分に見える。それどころか年齢から考えると、旦那が居てもおかしく無いぞ?


 「若旦那、あんまりジロジロ見るもんじゃないぞ。ああいう高貴な身分の人はな、お忍びで遊びに来るもんなんだよ」

 「ああ、判った。それにしても、堂々と男漁りに来るとはね……」

 「そんなの些細な事なんだろーさ。金さえ有れば何でも好きなだけ出来るのが、この色街なんだからよ」


 セヘロにそう押しきられ、俺は口を閉ざす。そんなのは判ってるが、浮気の現場を押さえられたら言い逃れ出来るんだろうか。


 「……浮かない顔すんなって! きっと向こうの旦那も、何処かでお楽しみなんだぜ?」

 「そうなのか……?」

 「そんなもんさ!」


 彼女にそう言われ、ほんの少しだけ気が紛れる。余り深刻に考える程じゃないか。こちらも不倫の中継ぎをしていたと言われても、所詮は金で買う遊びだと言い訳すれば済むのだろう。それに、色街のルールは【客の秘密を漏らさない】なのだ。


 「それにしても、あの人はエリンに惚れてるのか? 随分と入れ込んでいるようだが」

 「あー、まあそうだな。でも、この店に来る女の客は、大抵【取り換え遊び】するって聞いてるぞ」


 聞きなれない単語が出てきたので聞いてみると、何でも男女の立場を入れ換えて夜伽を楽しむそうで、あのご婦人はそれが大層お気に入りだそうだ。


 「……抑圧された身の上を、ここで晴らしてるのかねぇ」

 「さあ、そこまでは判らないけどよ。気に入らなかったらぶん殴ってりゃ済むのにな」

 「みんな君みたいだったら、世の中大変だ……?」


 そんな他愛無い話をしていると、何か二階の方が騒がしい。まだエリンとご婦人以外は居ない筈だから、その二人が入った接待室で何か有ったのか?


 まさかと思いつつセヘロと共に二階に向かうと、廊下に響く程の言い争う声が聞こえてきた。


 「……若旦那、鍵は持ってるな?」

 「ああ、今すぐ開けてみる!」


 興奮したご婦人の怒声と、弱々しく抵抗するエリンの声。争う二人が殴り合いでもしているのかと焦りながら、腰に下げた鍵束を掴もうと手探りで探したその時、二人の声の変化に気付いた。


 「……いや、ちょっと待て。何か違うみたいだぞ?」

 「そんな訳……んん? あー、確かに」


 何と言うか、今夜はいつもとは趣向を変えたらしく、主従の関係を逆にしてお楽しみのご様子で、事態を把握した俺とセヘロは静かに退散した。



 「あのまま踏み込んでたら、大騒ぎだったかもしれんな」

 「……全く紛らわしいったらないぜ! ……でもよ、若旦那はあんなのもお好みかい?」


 ロビーに戻った俺に、セヘロが聞いてくる。そう改めて尋ねられても、俺は普通の方が良い。第一、セヘロを例に考えても、いつも伝法な彼女が「おやめになって、旦那様……」みたいにしおらしく言われても、違和感しか無いんだよ……。


 「……無いな、そういう趣味は」

 「まあ、そうだろな……」


 俺が短く答えると、セヘロは納得したように呟いた。でも、心なしか彼女の言葉にいつものような勢いは感じられなかった。



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