9・初顔見世
結局、【月夜の帳亭】にやって来たアゼンタは、あれから表に顔を出さず一日を終えた。ポーラ曰く「初めてにしては頑張った」方らしい。何をどう頑張ったのかは、聞かなかったが。
「旦那様、アゼンタの【初顔見世】の事ですが」
「あー、うん。済まないけど、その辺の事に疎いんだ。だから詳しく教えてくれないか」
執務室でマルジにそう切り出された俺は、娼館特有の行事【初顔見世】について説明してもらった。
ざっくり言えば【初顔見世】は、新しく娼館にやって来た娼妓を御披露目する意味と、そうした新参者に常連の客がどれだけの金を積めるか、を競わせる二重の役割が有るそうだ。常連客は新人に御祝儀を弾んで景気の良さを示し、店は宣伝の為に新人を派手に着飾らせる。そうして新人の顔を広めて商売に生かし、と……そんな感じらしい。
「……ですから、アゼンタには初顔見世に備え、仕立て屋を呼んで衣装を作らせます」
「判った。ではアゼンタを呼んで来て……」
「いえ、旦那様……それには及びません」
……何でだ?
「旦那様、こうした時は必ず後援者の皆様が、初顔見世を手助けしてくださいます。そうした御厚意にお任せするのも、必要な心得の一つです」
そう言ってマルジが名を上げた後援者の名前は、新参者の俺には勿論馴染みない物だったが……問題はその肩書きの凄さだった。
「……海運業で財を成した大店の○○様、そして木材卸の組合長を長く務めている○○様。そして王宮の……」
「うん、マルジよ判ったから。ウチの後援者の皆様は俺が知らないだけで、世間では名の通った立派な名士ばかりって事だな?」
「はい、その通りで御座います」
……はあ、何だかな。しかし良く良く聞いてみると、娼館の後援者ってのは有る意味、家庭円満に繋がる良い趣味だと世間では認知されているらしい。しかも、どれ程入れ込んでも、相手は男娼なら嫡子騒動とも無縁で浮気の心配も無用。金持ちの奥方はみんな「その位のお遊びも適宜なら」と眉一つ動かさないそうだ。
「それにしても、【月夜の帳亭】の後援者だと言って名が広まる事は、気にならないものかね?」
俺が不思議そうに呟くと、マルジは蔑みもせずに丁寧に教えてくれる。
「この【月夜の帳亭】には、男娼の中でも特に品格と作法に優れた者しか居ません。それだけの格を有した店は王国内でも稀で御座いますから、後援者の方々も自然と品格を備えた名士が揃うのです」
……そうですか、なる程ね……でも、男の娘なんだよなぁ。ともかく、俺にはただ、それだけなんだが。
そういった経緯もあり、アゼンタの初顔見世は俺の知らない所で準備が進み、三日後まで持ち越しとなった。随分と日を跨ぐが、これが店一番の花売りで祝い事となると……とんでもないらしい。例えば身受け(決して無い話じゃないそうだ)されて店から身受け先に出た、となると……店を閉めて支度するのだが、その飾り付けやら衣装の豪華絢爛たるや、王宮に輿入れすると思う程だとか。尤も、そんな事は【月夜の帳亭】でも過去に一度しか無かったそうだ。
そして三日後を迎えたんだが……衣装合わせやら何やらは終わってもやる事は果てしなく多い。と、言っても俺に宛がわれる仕事と言えば……
「あなたが新しく主人になったジム殿ですか、いやはや若い方が跡目を継いだとは聞いていましたが……」
「お初に御目にかかります、こちらこそご挨拶に伺わず失礼致しました……」
そう、次々と現れる後援者の皆さんと面通しし、礼を言ってもてなすホストの役割だ。お互いに初対面だから、そんな文句を交わして適当に話を合わせ、後は適当に向こうから振られる話に付き合う。そうしていれば良い、とマルジから言われた通りに繰り返して半日が過ぎた。でもいい加減、飽きたぜ正直言って……。
(……若旦那よ、顔に飽きたって書いてあるぜ?)
油断していたのか、不意にセヘロが背後からそっと耳打ちしてきた。だから足音を消すなっ……と?
「ぅおっとっ!? わっ、若旦那ぁっ!!」
つい振り向こうとしたら、俺の肘に柔らかく弾力に溢れるモノが当たり……ああ、判ってるよセヘロのお山だよ立派な肉球だありがとう!!
「わ、悪いわざとじゃないから!」
「あ、あああぁ……わ、判ってるさ知ってたうんうん大丈夫だぜ私はレーセーだぜ!?」
……何時に無く冷静さを失ったセヘロが、壊れた人形みたいに頭をカクカク縦に振りながら、レーセーレーセーと繰り返しては、はぁはぁと息を荒げてる……何だか悪い事したみたいだ……。
「わ、私は若旦那の護衛だからその……」
「判ってるよ、だから少し落ち着きな、な?」
そう言って諭すと、急に周りの視線が気になったのか、セヘロは咳払いして一歩下がりながら、場を取り繕う為に言ったのが……
「……お見苦しい姿を見せて、申し訳にゃい」
……んっ!? にゃい?
語尾を噛んだと気がついた瞬間、顔を真っ赤にしながらセヘロは不意に姿を消した。ホント、こういう所が何と言うか……
セヘロが姿を眩ませてからも、俺は後援者(中には女性も居たりするのには驚いた)に挨拶をし、そして夕方の御披露目の時刻になった。
「……僭越では御座いますが、楼主として旦那様の替わりに私、マルジ・オルドロスがご紹介致します。当娼館【月夜の帳亭】に初顔が参りました」
マルジの言葉と共にロビーに集まった後援者、そして馴染みの客の拍手に迎えられながら、二階から踊り場に白いベールを被ったアゼンタが、ポピーら見習い達に先導されながら降りてくる。そう、真っ白なドレスを纏い、美しい花々を頭や襟元に付けたアゼンタがゆっくりとした足取りで一歩、また一歩と階段を踏み締めて一階へとやって来た。
……何度も言うが、アゼンタは男だ。それは良く判ってる。だが、何処をどう見ても女にしか見えない……。
「……当館に新しく参りました、花をご紹介致します……アゼンタで御座います」
マルジの声と共に、俺は目の前までやって来たアゼンタのベールを捲って、口紅と頬紅に縁取られた白い顔を露にする。
「……皆様、初めまして。アゼンタで御座います。これから皆様に可愛がって頂けるよう、精進致しますので……ご贔屓に」
つい先頃まで、奴隷商の館で過ごしていたアゼンタが、今夜から花売りの一人として色街で生きていく。勿論、【月夜の帳亭】が大金を積んで仕入れた大事な商品だ。でも、目の前に佇むアゼンタは光り輝く花のように鮮やかな肌色と蜜が溢れたような黒い髪で、夜の街で身売りして生きていくようには到底見えない。
でも、綺麗な花はただ咲いて終わりだけどここは【月夜の帷亭】なんだ。
「……旦那様! 旦那様っ!! アゼンタさん、すごくキレイでしたねっ!!」
ポピーが、声を弾ませながら明るく、話し掛けてくる。ポピーは、早く花売りが出来る歳になって、大金が稼げるようになりたいんだろ。だから……
「ああ、そうだな。綺麗……だったな」
だから、綺麗に飾り立てて仕事がしたいのか。十一人の兄弟姉妹、それに飲んだくれの父親と身体の弱い母親を食わせる為に、だから……早く稼ぎを上げたいのは、判る。
「あ~、早く僕も仕事を任されるようになりたいなぁ~!!」
だから、ポピー……お前は、身を売りたいって言うのか。君はそれでも言うのか、自分を……。