相続したのはとんでもない店だった……
大きく、そして分厚い木の扉。背丈を遥かに越え威圧感すら感じるその扉が、俺が立つと同時に向こう側へ。勿論、軋み一つ立てずにだ。
一歩踏み込んで最初に感じたのは……花の匂い、だろうか? 甘く、そして切なくなるような香り。但し、日向に咲き誇る花なんかじゃなくて、宵闇にひっそり咲く月下草みたいな儚い奴だ。
「お待ちしておりました、旦那様」
扉の脇で控えていた初老の男が、丁寧な口調で俺に頭を下げる。旦那様、ねぇ……柄じゃないけど、まぁいいか。
「……俺が相続した本人だって、よく判ったね」
「恐れながら申し上げますが、大旦那様のご子息、ジム・アルカーソン様はこの世にお一人で御座います。亡くなった大旦那様とジム様は……目元と口元が実に良く似ておりますので、一目で判りました」
見た感じで此処の管理を任されていた人物だと判り、俺は彼の前まで歩み寄りながら手を差し出すと、恭しく一礼してから手を握り返した。
「お初にお目にかかります、楼主のマルジと申します。それと後ろに控えているのが……用心棒のセヘロ、魔族です」
と、俺の後ろから用心棒がするりとマルジの横に出て、前髪を掻き上げて額の真ん中に開いた眼を開けながら、ニッと愛想笑いを浮かべた。三つ眼の魔族には初めて会ったけど、かなりの美人だから怖さは無い。
「あんたがそうなのかい? ……まだ旦那様って貫禄じゃないけど、大旦那はもう居ないんだしね。仕方ないからあんたの顔と匂い、よーく覚えておくよ」
冗談めかせて指先をコキリと鳴らしてから、セヘロは俺の横をすり抜けて居なくなった。噂に聞く【闇に溶け込む】って能力をみせながら、果物みたいな良い匂いだけ残してな。それにしても魔族だからか知らないが、すげぇ巨乳だったぞ!? たゆんたゆんって……用心棒の仕事じゃ邪魔にならないか?
「では、旦那様……ここで働く者を紹介いたします。こちらにおいでください」
「ああ、よろしく……」
セヘロの匂いに酔いそうな俺を、マルジが先に立って案内する。用心棒であの美貌と体型なんだろ? じゃあ、娼妓はどうなんだよ……今しがた会ったばかりのセヘロより、更にその上が来たら俺は……俺は……
……あ、ヤバい鼻血が出そうだ。
親父、マジでありがとう……顔も見た事無いけど。
……話は一日前に遡る。
「……と、いう訳です」
待ち合わせ場所の酒場に現れた代理人は、俺の反応を見ながらテーブルの上に書面を差し向けた。そこには公的な認証を得ている蝋印が捺され、俺の名前もちゃんと記されている。
「……いきなり跡取りだからって言われても、困惑しますよ、正直に言いますとね……」
そう言う俺に彼も同意して頷いたが、本心は全く違った。
(……困惑するとか関係ねぇっ!! 娼館って聞いて誰が断るかってーの!!)
俺は心の中で両手を振り上げて叫んだ。そりゃそーだろ当たり前さ。働かず楽して暮らせる錬金術みたいなモンが、向こうから勝手に『おいでくださいませ♪』って手招きしてんだからな。しかも娼館だぜ……それに乗らない男が居るか?
「……でも、親父……いや、父上は俺に全所有権を委ねるって言い残したんですね」
……と、出来るだけ無表情を取り繕いながら、彼に聞いてみる。俺は生まれて直ぐに母さんを亡くし、親戚の家に預けられ、親父の顔も知らない。親戚曰く、家業が子供を養う上で悪影響になる、と親父が判断したらしい。だから、今こうして説明されるまで、どこで何をしていたかも知らなかった。
「ええ、お父上……アルカーソン様は、貴方の成長を見届けられなかった事を深く悔やみ、全ての財産を相続させる旨を私に託されました。それがこちらです」
相続代理人の彼は書面の束から一枚抜き出すと、机の上に置いた。そこには娼館の屋号と王国の許可証、そして俺の名前が書いてある。
【 月夜の帳亭 】
【 フェルガモル王国内に限り娼館営業を赦す 】
【 所有者 ジム・アルカーソン 】
「……判りました。私が受け継ぐ事にします」
書面に目を走らせながら、間違いの無い事を確認した俺が答えると、代理人の彼は立ち上がって手を差し出し、
「……では、今日から貴方が【月夜の帳亭】の所有者です。私が代理人として、娼館の全ての権利が貴方に譲渡された事を認めます」
そう言うと差し出した俺の手を握ると、ソッと顔を寄せて付け加えたんだ。
(……王国内、いや……大陸でも五指に入る噂の名店だそうで。いやはや、ホント羨ましいですよ……)
代理人は周りの目を気にしながら小声で囁くと、ニッと笑ってから立ち去った。
「……コックのサワダは腕は確かですが……口数が少ない上に、公用語が得意ではありません。但し、性格は温厚ですから御心配には及びませんよ」
マルジに紹介された調理担当のサワダは、黒い髪に茶色い肌の無口な奴だった。でもまあ……腕が良いなら何でも良いか。
俺に向かってサワダは少しだけ頭を下げると、無言のまま厨房に戻っていった。温厚なのは有り難いが、もう少し接し易いといいんだけど。
「……では、お待たせいたしました……我が店の花々を御目にかけます」
厨房を出てホールの階段下にやって来たマルジは、そう言うと大きな踊り場を指差した。やっと……やっと顔合わせかぁ……うう、そう思った途端に胸の高鳴りが……ホントにヤバい。
と、思ったその時、二階の角から一人、また一人と人種も見た目も違う娼妓達が降りてきた。
髪の長い者、短めに切り揃えた者に……あ、森人種も居るぞ? いや待てエルフって……マジで!? 本物か……? すげぇ……。
「……では、自己紹介を」
マルジの言葉を聴きながら、揃った三人が俺の前に並んで頭を軽く下げてから、口を開いた。
「……お初にお目にかかります! 旦那様」
いや待て、ちょっと待て。その声……
「……アルマといいます、旦那様!!」
……恭しく頭を下げてから、アルマって名乗った小柄で俺より若そうな娼妓……いや、うん。今、ハッキリと判った。
三人揃って俺と同じ男、おまけに足の間には、どー見たって俺と同じモノがきっちりかっちり自己主張してるよ。見慣れた膨らみだよな、だって毎日毎朝拝んでるんだ、自分のをね。
「……当店に常駐している娼妓はこの三人、アルマとミウラ、そしてポーラで御座います。他に通いの外住まいが三人、見習いの二人と共に……如何なさいましたか、旦那様?」
マルジが俺の様子に気付き、心配そうな顔で覗き込んでくるが……そりゃそーだろ!? 俺の期待と胸の高鳴りはどーなるんだよっ!! 娼妓って言っても全員男娼じゃねーかっ!! 男の子だよ男の子!! ちゃーんと付いたまんまの立派な男子が整揃いだなっ!! ……何だってんだよ、女が一人も居ないぞ!?
「……あ、ああ……何でもない。続けてくれ……」
「そうですか? しかし……ご気分がすぐれないのでしたら……アルマ、旦那様を寝所にご案内しなさい」
「ハーイ! 判りました! 旦那様、こちらにどうぞ!!」
そう言うとアルマが俺の手をそっと掴み、ふわりと一歩踏み出した。
……何だよ、それ。手の平、無茶苦茶柔らかいじゃねぇか……これがホントに男の手なのか? しかもアルマが動く度に甘い匂いがしやがる……頭がどうにかなりそうだ。親父……あんた、何をしてたんだ……?