Written statement
【最高機密案件第0-921号 関係者取調報告書】
以下の者の取調についての報告をする。
国籍 ロシア連邦
職業 実業家
氏名 イヴァン・アキーモヴィッチ=スダーノフスキー(67)
上記の者は、本職に対し任意次のとおりに供述した。
5月に日本へ入国した。その際に使用した旅券は偽造である。ロシアの知人に依頼し作成した。
入国の目的は、渕之辺 優子の墓参りである。仕事が多忙だったため、一度も墓参りできていなかったのを悔やんでいた。
渕之辺 優子の親族である、みちるが入院していると聞き、見舞いにも行った。このように、あくまでプライベートでの旅行である。
渕之辺 みちるからは以前より敵視されており、公園内での事案についても、渕之辺 みちるの襲撃に対する正当防衛を主張する。
また、秘書であるイリーナ=コンスタンチノヴナ・ロマキナが、渕之辺 みちるが用意した氏名不詳の男に殺害されたのを見た。この許されざる犯罪は、日本警察の威信に関わる重大な事案であり、犯人確保を第一に、真相究明を強く訴えたい。
私の身に起きたことは、渕之辺 みちるによる謂れのない言いがかりが発端になったものである。
公園内で起きた事案は、私の意図ではなかった。公園内にいた武装した人間だったとは初耳だ。私は、指示を出した記憶がない。
もしかすると秘書が手配したのかもしれないが、前述の通り、彼女は殺害された。
私は常々、渕之辺 みちるは、醜悪の塊だと思っている。
私の古い友人である阪原 秀哉が、病状悪化により入院した事実を伏せるために、さも私が阪原を殺したと思わせるような虚偽の情報を流した。
一言、相談してくれたなら、私は協力を惜しまなかったのに、わざと私を陥れるようなことをした。
今回私はプライベートで渕之辺 優子の墓参りに来たというのに、とても災難な目に遭った。こうして身柄を拘束されるのは、不条理だ。
私の自由を保障するよう、関係各国に求めたいと思う。
まず私がこの不当な扱いを受けている処遇について、日本国政府に訴えたいことが|
担当取調官 真咲 圭一郎
*
イヴァンの身柄確保から八日目の夜。
雛型の必要箇所を埋め、イヴァン・アキーモヴィッチ=スダーノフスキーの主張を纏めて書き出しているのだが、その途中で真咲の手は止まっている。
「この報告書ってさぁ、取り調べした側の言い分だけ書かなきゃいけないじゃん。だから俺、嫌いなのよ。特にこの男、ずーっと不平不満をつらつら言ってるだけだし」
真咲は気乗りしない様子で椅子の背凭れに寄りかかる。
「でも、ちゃんと書いてください」
真後ろのデスクにいる加野 杏樹は、そんな真咲の様子を見もせず、ぴしゃりと言い放つ。
「取調報告書を書き上げてて、こんなに虚無な気分になったの初めてだよ。あーヤだ、疲れた」
深い溜め息を吐き、座ったまま真咲は背伸びをする。
「イヴァンから見た物の見え方は、そうなんじゃないですか?」
杏樹はゆっくり立ち上がると、真咲のパソコンのディスプレイを覗き込む。
「うーん、認知の歪み is とっても怖い」
「この文字数だと、捜査報告書のボリュームと釣り合わないですよ」
取り調べした本人の主張を書き出した取調報告書と、捜査した内容を書き出した捜査報告書をセットで用意する。そういうルールがある。
捜査報告書の内容に比べ、イヴァンの主張を書き出す取調報告書の内容はだいぶ薄い。
「この作業の進まなさ、大学時代を思い出すなぁ」
「真咲さん、どこの大学だったんですか?」
二人して何かの作業をしながら他愛もない話をするのも、慣れてきた頃だ。
「オックスフォード」
「またつまらない冗談を」
「いやガチだってば」
真面目な顔で杏樹に畳み掛けるものの、杏樹は自分のデスクに戻ってパソコンのモニターを見ていて、真咲の存在など気にしていない。
「この話すると、誰も信じてくれないんだけど、何で? ねぇ加野たん、無視しないでくれない?」
*
【最高機密案件第0-921号 関係者取調報告書】
以下の者の取調についての報告をする。
国籍 日本
職業 アルバイト従業員
氏名 渕之辺 みちる(18)
上記の者は、本職に対し任意次のとおりに供述した。
本事案の発生した公園へ、イヴァン・アキーモヴィッチ=スダーノフスキーから、18時に来るように呼び出された。
イヴァン・アキーモヴィッチ=スダーノフスキーとは以前より険悪な状態が続いていたが、前年に渕之辺 優子が亡くなった原因となるリエハラシア渡航をサポートしたのがイヴァン・アキーモヴィッチ=スダーノフスキーだったので、その経緯を聞き出すために、顔を合わせた方が良いと判断した。
本事案発生当日、イヴァン・アキーモヴィッチ=スダーノフスキー が現れるのを確認してから噴水広場に向かったので、落ち合ったのは18時5分頃だったと思う。
その場には、前年リエハラシアでテロに巻き込まれた際に脱出を手助けしてくれた男性に、立ち会いを願った。その男性の素性については、詳しく知らない。
私一人でイヴァン・アキーモヴィッチ=スダーノフスキーと会うより安心できると思ったので、依頼した。
私とイヴァン・アキーモヴィッチ=スダーノフスキーが話し始めてしばらくすると、イヴァン・アキーモヴィッチ=スダーノフスキーの秘書であるイリーナ=コンスタンチノヴナ・ロマキナが現れた。その隣には私が立ち合いを依頼したリエハラシア人の男性がいた。
四人で話し合っていたが、頭上にイヴァン・アキーモヴィッチ=スダーノフスキーが手配したヘリコプターが現れ、イヴァン・アキーモヴィッチ=スダーノフスキーがこの場から逃げ出そうとしているのを察した。それを止めようとして、トラブルになったのは事実である。
私とイヴァン・アキーモヴィッチ=スダーノフスキーは言い合いになり、その最中にイリーナ=コンスタンチノヴナ・ロマキナは死亡していた。
それに気づいたイヴァン・アキーモヴィッチ=スダーノフスキーは私に発砲し、私は左肺を撃ち抜かれた。それと前後して、イヴァンが逃走用に用意したヘリコプターは、噴水に墜落した。
その後、救急車に乗せられたと聞いたが、そのあたりの記憶は、意識がなかったので、わからない。
担当取調官 加野 杏樹
*
イヴァンを確保した当日。渕之辺 みちるは緊急手術の後に、杏樹との簡易的な取り調べに応じていた。
「ザクっと説明すると、そんな感じ」
渕之辺 みちるがベッドに横たわりながら、淡々と話した内容は、その後、杏樹が取調報告書に記載した内容とほぼ同様のものだ。
「だいぶ端折った説明ですね」
もちろん、渕之辺 みちるが話したことが全てではない。杏樹はそれを理解しているが、呆れ笑いで受け入れるしかない。
「でも、私が話せる内容はこれくらい。どうせイヴァンは、自己弁護めいた主張をすると思う」
この時はまだ、イヴァンの取り調べは始まっていなかった。
この後始まったイヴァンの取り調べでは、渕之辺 みちるの予想通り、イヴァンは自己弁護を全面に打ち出した供述をする。
「私がもっと上手く立ち回れたら、ビスクドールは死ななかった」
目を閉じ、苦しそうな顔を浮かべる。
ビスクドールの死を悔やむから、こんな顔をするのかもしれない。だが、ただ傷が痛むから、苦しそうなのかもしれない。
「そうですね」
どちらにせよ、ビスクドールと呼ばれた、イヴァンの右腕として活躍していた秘書が死んだという事実は変わらない。
「いつも、失敗ばかり」
そう自嘲して、渕之辺 みちるは泣きそうな笑顔を見せる。
「……私もです」
杏樹も視線を虚空に向け、相槌を打つ。
何かを成し遂げた実感もなく、失くしたものの大きさが、お互いの胸の中に疼いている。
「私、加野さんは嫌いになれないかも」
「その言い方だと、真咲さんのことは嫌いだって言ってるようなものですけど?」
渕之辺 みちるのちょっとした呟きに対し、杏樹は不意に真顔になって尋ねた。
「物言いがめちゃくちゃストレートでビビる」
杏樹のリアクションに、渕之辺 みちるは声を上げて笑いだしたが、すぐに傷口を押さえて苦しそうにする。笑ったせいで、傷が痛んだのだ。
「ちなみに、リエハラシアの梟については、どのような扱いを希望しますか?」
話のついでで、杏樹が切り出すと、
「希望できるんだ?」
渕之辺 みちる自身が持ちかけた条件なのに、少し意外そうにする。
そんな渕之辺 みちるの様子が、杏樹にはいくらか不思議に思えた。
「野生動物みたいな性格だから、距離感が大事」
要領得ない回答で、杏樹は少し首を傾げるしかない。そんな杏樹の様子を見て、渕之辺 みちるは小さく笑った。
*
【最高機密案件第0-921号 関係者取調報告書】
以下の者の取調についての報告をする。
国籍 リエハラシア
職業 不明 リエハラシア政府からの情報提供より陸軍所属だった経歴有り
氏名 不明
年齢 不明
特記事項:リエハラシア陸軍特殊部隊所属時に出生記録など過去に関わる一切の記録が抹消済み、リエハラシア陸軍時代のコードネームが「梟」だったとの情報有り
この者には取調を一週間実施したが、本職に対し全て黙秘した。
よって、本事案に関わる捜査報告書を参照願う。
担当取調官 真咲 圭一郎
*
イヴァン確保から一週間。
イヴァンの取り調べと並行して、取り調べを受ける人物がいた。
「かれこれ一週間も取り調べしてるって言うのに、喋らないね」
真咲は大袈裟に困った顔で、話しかける。
机を挟んで向かいの席に座る男は、癖毛の黒髪で、灰色の眼をしている。
奇遇なもので、この取り調べ室は、この黒髪の目つきの悪い男と同郷の、「狐」と呼ばれていた男を取り調べしたのと同じ部屋だった。
もちろん、この男はそれは知らない。そして真咲の記憶からも抜けていて、前室でこの様子を見つめている杏樹だけが、それを覚えている。
真咲はおもむろに胸ポケットに手を入れ、取り出したものを机の上に置いた。
「みっちゃんにほんのーり似てるでしょ? でも赤の他人でーす。これは、俺の愛する奥さん。栞って言うの」
机の上に置かれたのは、一枚の写真だった。丁寧にラミネートされている。
長く伸びた真っ直ぐな黒髪に、アーモンド型の大きく黒い瞳、口を大きく開けて笑う女性の姿が映っている。
「死んじゃったんだよ、二年前」
真咲の眼は、写真の女性を愛おしく見つめている。
「栞に害をなす者は何だってやっつけてやる! って思ってたのに、敵が病気じゃあさ、俺じゃ何の役にも立たないわけ」
対する黒髪の男はただ黙って、無表情で写真に目を遣っている。
「オロオロして、不安になって、酒飲まないとやってらんなくなって。情けないったらありゃしない」
自嘲した笑みを浮かべ、真咲は話を続ける。
「栞はさ、俺がイヴァンを追いかけてる間に死んじゃった。
そのせいで奥さんの家族からは白い目で見られて、いまだに墓参りも許されてない」
前室でガラス越しにこの様子を見ている杏樹は、すっと息を呑む。
「何のために俺生きてるんだろ、って毎日考えてる」
真咲の独り言のような言葉は、写真の中で笑う栞に向けたものだ。
「イヴァンを捕まえて、マークしている容疑者をどんどん検挙して、そして俺に待ってるのは一人寂しくビール飲むだけの日々よ」
真咲は写真を胸ポケットにしまい、目の前にいる男に語りかける。
灰色の眼の男は、机の上で組んだ己の両手に視線を移していた。
何を言っても聞いても、興味なさそうに目を伏せたり、死んだような眼でこちらを見てくるだけで、手応えがない。
この一週間、男はずっと黙秘している。
真咲は軽く咳払いをして、椅子に座り直す。机に前のめりになって、男の顔を下から覗き込むようにする。
「大前提として、日本は『ファラリス』に興味を持っていない。だからこれは、俺の個人的な興味で聞くから、答えたくないならそれでいい」
囁く程度の声で話しかける。
とは言っても、机に備え付けられたマイクから音声は拾われ、前室の窓越しから様子を見ている杏樹にも聞こえている。
「今となっては梟ちゃんしか知らない、『ファラリス』の本当の性能って、なぁに?」
ニコッと人の良さそうな笑顔で、尋ねる。目の前の男は動じず、真咲を制するように強い眼差しで見つめ返す。
「外事って部署は、当然各国の諜報部とも繋がりがあるのよ。だから、梟ちゃんが何を目的としてるのか教えてくれるなら、手を貸せるかもなって思うわけ」
男は静かに眼を閉じる。今まで何度も繰り返された、一切答えないというアピール。
「梟ちゃんは、『ファラリス』を使ってどうこうしようって性格じゃない。だから、ガイツィナロクナフ博士と阪原……じゃないや、サハラから、本当の用途を教えてもらえた」
そこまで言うと、真咲は椅子の背凭れに寄り掛かる。
「っていうのが、俺の解釈なんだけど」
あくまで、外事課の捜査班から見解ではなく、真咲個人の意見だと付け加える。
男はゆっくり眼を開けるが、何も言わないしリアクションをしない。
「ずっと隣にいたみっちゃんにも話さなかったんだし、急に俺に打ち明けてくれるとは思ってないけどさ。
これも何かの縁だから、俺の名刺あげるよ。いつか、お互いに世話になるかもしれないからね」
シャツの胸ポケットを探り、そこには栞の写真しか入っていないのを見て、真咲はボトムスのポケットを漁り始める。
やっと見つけた名刺入れから、自分の名刺を一枚取り出し、裏に自分の携帯電話の番号を書き入れてから、机の上に置いた。
机の上の名刺を見つめ、男は黙っている。真咲は頬杖をついて、男の目の動きや指の動きを注意深く観察した。
男の右手が、おもむろに名刺へ伸びる。手に取った名刺を一瞥し、自身のシャツの胸ポケットにしまった。
真咲も、男も無言の時間が生まれる。男は眼を瞑り、ゆっくり眼を開ける。それまでの時間、真咲は男をじっと見ているだけだ。
「死んだ人間を思うなら、より長く生きて、苦しんで死ね」
取り調べ七日目。
それが取り調べ室で、男が初めて発した言葉だった。
「やっと喋ったぁぁぁぁ! あっでも栞の話したのは恥ずかしいから、そこだけ内緒にしてね?」
わざとらしいまでに喜んで見せた後、真咲は自分の唇に人差し指を当て、内緒にしてくれとポーズを取る。
「オフレコードにする基準がおかしい」
面倒臭そうに、男は顔を曇らせた。
杏樹は男がここに来て初めて感情を見せたことに驚きつつ、大袈裟に騒いで周りのペースを巻き込んでいく真咲のやり方が、少し厄介だと思っているのが自分だけじゃなかったのだと、ホッとした。
もちろん、真咲の独特な言動が、杏樹にとって学びが多いのも事実なのだが。
真咲はふふっと声を出して笑い出し、
「はい、それじゃあ、今日で取り調べは終わり。お付き合いありがとーございましたっ!」
椅子に座ったまま、深々と頭を下げた。
真咲と杏樹が何度も見た、死んだような眼で、男は真咲の後頭部を見つめている。
いきなり頭を下げた真咲の姿に、杏樹は眼を丸くして驚いた。
頭を上げた真咲は、男に向かって微笑んだ。目がなくなる、穏やかそうに見える、真咲の得意の笑顔だった。
「もう日本国内で暴れちゃダメだからね」
真咲のその言葉に、男は僅かに口角を上げた。
「わお……スマイルが不気味」
笑顔と呼ぶには、どこか不穏なものを漂わせるものを見て、思わず心の声が漏れていた。
真咲の言葉に、男は眉間に皺を寄せて舌打ちした。
7月1日。
イヴァン・アキーモヴィッチ=スダーノフスキーはロシアに送還された。帰国後のイヴァンは、ロシア国内から出ることを禁じられた。
7月12日。
ロシア領空上で、イヴァンがプライベートで乗っていたセスナ機が消息を絶った。生存は絶望的だと思われている。
10月13日。
リエハラシア大統領アヴェダ・ドリーナエリン=スルエディクが、国内の反政府勢力によって大統領の座を追われた。30年以上の独裁政権の終焉である。
これを機に、長年にわたってリエハラシアとクルネキシアで起きていた紛争は、クルネキシアが圧倒的優勢となる。
その翌年1月7日。
リエハラシアの領土の80%がクルネキシアによって制圧される。
クルネキシア側からの公式発表はされていないが、リエハラシア側の発表によれば、市民の犠牲は3万人以上にのぼるとされる。
1月10日。
リエハラシアとクルネキシアは休戦協定を結んだ。
これは形式的なもので、実際のところは、リエハラシアがクルネキシアによる実効支配を受け入れる案である。
2月14日。
リエハラシアとクルネキシアは正式に統合され、体制を一新し、新しい名前の国家として出発する。




