1.
「今日も元気そうでよかった。周りの雑草、取り除くね」
私は目の前の芍薬に向かって声をかけた。
「こここ、こんにちは」
振り向くとタオルさんが立っていた。
「こんにちは」
私は慌てて挨拶を返す。
もしかして今の独り言、聞かれてたかな。
恥ずかしい……。
私には昔から植物に話しかけてしまう癖がある。
「あの、聞こえていましたよね。すみません、気持ち悪くて。でも、お花とお話ができるとか、そういう特殊能力じゃなくて、一方的に話しかけてしまうだけで……て、それだって、なんだか気持ち悪いですよね」
「いいい、いや、そんな。きき気持ち、わ悪くなんてないから」
タオルさんは両手を振った。
彼は公園の花壇を作るボランティア仲間で、いつも長いタオルを首にかけている。
そして更に今日はタオルイン麦わら帽子に、ナイロンのパーカーという日焼け対策ばっちりの格好だった。
若者らしくない格好だけれど、多分私と同じ高校生じゃないかと思う。
活動の日にはいつも決まって、彼のほうから話しかけてくれる。
タオルさんとは、前からもっと長くお話してみたいと思っていた。
「あの、私、蓬莱琴羽って言います。あなたのお名前……」
私は彼を見つめた。
「ああああの」
彼は目を逸らし、タオルで顔を隠した。
「そそそんなに、みみみみ見ないでほしい」
彼はそう言って数メートル後ろに下がった。
そうして謝りながら、更に後退してゆく。
え?
い、行かないで……。
呼び止めようと思ったけれど、あっという間に姿が見えなくなる。
彼はいつもすぐどこかへ行ってしまう。
また、今日も名前を聞くことができなかった。
いつまでもタオルさんなんてあだ名で呼びたくはないのに……。
私は小さくため息をついた。
家に帰り、今日の出来事をねえねに話す。
ねえねというのは私の双子の姉のことで、その呼び方は、小さいころからずっと変わっていない。
「それは、いよいよ恋だね」
ねえねは嬉しそうに目を輝かせた。
「恋?」
「だって、いつも話に出てくるそのタオル君とやらのことが、気になるんでしょう?」
私は正直に頷く。
「しっかし、男子高校生で園芸が趣味とは渋いよね。しかも聞いた感じだと外見も気にしなそうなタイプだし、話は弾まないどころか会話にならなそうだし、一体どこがいいの?」
「タオルさんはすごく優しい人なの。綺麗なお花の上辺だけじゃなくて、葉っぱに虫がついてないかちゃんと見て回ってるし、高齢の方が重いものを持とうとしたら、すぐに気づいて変わってあげるし、話は続かないけど、気遣っていつも私に挨拶してくれるんだと思うな」
「それで好きになったと?」
「もう、ねえね!! 好きとかじゃなく、とりあえずお友達になりたいなぁって。もっと長くお話してみたくて」
「まあ、恋だろうが恋じゃなかろうが、趣味が合うし、琴がそんなに言うならきっといいヤツなんでしょ。仲良くなれたらいいね」
「うん。仲良くなりたい」
「がんばれ」
ねえねは、私の頭を撫でながら笑った。
同じ顔なのに、ねえねと私は全然違う。
ねえねはしっかり者で優しくて、でもさっぱりとした明るい性格で、誰とでもすぐに仲良くなれる。
ねえねと一緒にいると元気をもらえる。
数年前から参加しているボランティアの活動は、月に二度ほどで、次にタオルさんに会えるのは二週間後だった。
今度会ったら、私の方から積極的に挨拶してみよう。
それで、何とか名前を聞き出したい。
できれば年齢も知りたいし、何のお花が好きなのかも知りたいし、一緒にお花が綺麗に咲いている場所をお散歩してみたい。
もう、思い切ってお友達になってくださいって言ってみようかな。
「けど……やっぱり、迷惑だよね」
学校の花壇の桔梗に如雨露で水やりをしながら、無意識にまた声に出してしまっていた。
学校では園芸部に所属していて、こうして校内の花壇やビニール温室などのお世話をしている。
「こここ、こんにちは」
後ろから声をかけられ、振り向いた瞬間、飛び上がってしまった。
「タオルさん!?」
「タタタオル?」
彼は怪訝な顔をした。
「いえ」
今の彼の首にはタオルがない。
とても似つかわしく、うちの学校の制服を着ている。
「あの、びっくりしました。同じ学校だったなんて」
「そそそそそうだな」
「すごい偶然ですね。でも、よかったです。実は会いたいと思っていまして」
私は如雨露を持ったまま、思わずタオルさんに駆け寄った。
彼は俯きながら、前に立つ私から如雨露を奪う。
「え?」
「いいいや、おお大きい鉄製だから、おおお重いんじゃないかと」
「すみません」
もう水を撒き終わって空っぽだったし、そんなに重い如雨露ではないけれど、彼の気遣いが嬉しかった。
「えっと、聞きたいことがたくさんあるんです。あの、まずお名前を教えて欲しいです」
「おおお俺の?」
「はい」
「ひひひ」
決して笑い声ではない。
「ひ?」
私は首を傾げる。
「ひひ氷上藍流」
「氷上さんですね」
彼は頷いた。
「私は二年七組なんですけど、氷上さんは?」
彼は質問に答えず、視線を上げ、ちらりとこちらを見た。
「みみみ見てる……。えええ、笑顔でずっと俺を見……」
「氷上さん?」
氷上さんは固まって返事をしてくれない。
「氷上さーん?」
私はもう一度呼びかける。
「ごごごごめん」
氷上さんは謝ると、突然くるりと踵を返し、走り去ってしまった。
「あ、如雨露……」
彼の姿はもう見えない。
私はただ呆然と、彼が去って行った方向を見つめるしかなかった。
それからしばらくして部室に戻ると、さっきの如雨露が定位置に置かれていた。
彼が戻してくれたらしい。
それにしても、まさか同じ学校だったなんて……。
「きっとまた会えるよね。今日は名前を知れてよかった」
歩きながら花壇のアナベルに向かって話しかける。
アナベルは何も答えてはくれなかったけれど、励ますように白い大きな花房を揺らした。