体育祭3
体育祭当日、治の高校は熱気に包まれていた。
体育会系の生徒たちが良い所を見せようと張り切っているのである。
張り切りまくりで本人たちは気が付いていないが、体育会系以外の人間は軽く引いている。
本来であれば、治も盛り上がる生徒たちを余所に、何か一つは競技に参加するというノルマをクリアして、あとはぼーっとするタイプなのだが、今年は二人三脚に3回も出場する他、昼食を振舞うという大役も担っている。
治にとって、初めてやる事が多い体育祭だ。
とは言え、クラス対抗で競技の順位ごとに加点されていくことで決まる総合順位には、あまり興味が無いのはかわりないのだが。
強いて言うなら、友達が出たら応援しようかなと思っている程度である。
治の交友関係は、未だにとても狭い範囲にとどまっている。
その中でも、友達と呼べる間柄なのは、麗奈、美佳、花蓮、聖羅の4人程度で、その内3人は運動があまり得意ではなく、出場するのも治と一緒の二人三脚だけだ。
治と共に出場するため応援をしようにもできないが、美佳だけはいくつかの競技をかけもちするらしい。
100m走、大玉転がし、創作ダンス、クラス対抗リレーのアンカーと大忙しだ。
走る競技は、全部出てしまうつもりだったようだが、麗奈たちが3ペア分出場するために二人三脚は諦めたようだ。
創作ダンスは、単純に定員割れのために出るよう頼まれただけのようだ。
元々は、人前に出るのに慣れさせたり、自主性をはぐくむために学校で始められたらしいが、体育祭でそんなことをするのは、大抵の生徒にとって罰ゲームだ。
美佳もその手の行為は苦手だそうだが、頼まれるとなかなか断れない性格が災いした。
その練習に付き合わされた治にとっても災難だった。
麗奈「あー……、とうとう本番来ちゃったかぁ……。」
治「すごい嫌そうだな。」
麗奈「だってさぁ……、無駄に長い開会式の後何も楽しくない競技観戦するんだよ?キツイって……。」
麗奈は、朝から不満顔である。
麗奈の心配通り、開会式はとても長かった。
永遠にも感じる校長や来賓の方々の挨拶が終わり、生徒全員での準備体操を行う。
今日も気温が高く、太陽が照り付ける中、恨みつらみを醸成する高校生たち。
とうとう競技が始まる。
最初の競技は、100m走だ。
これには美佳も出所するため、見やすい所に移動する治。
治は、応援されることに慣れておらず、されたらされたで恥ずかしくて全力を出せそうにないと考えているが、美佳は応援されるのが嫌いでは無いらしい。
その為、自分が競技に出場する時には、治たちに応援してほしいと言っていた。
何となく、友達っぽい行為ができる事に感動している治である。
この学校の100m走は、各クラスから5名までしか出場できない。
その為、どのクラスも基本的には、足の速いものトップ5を出してくる。
個人競技の100m走に参加して、ノルマをクリアしたい人間にとっては、参加人数が少ないのはデメリットでしかないが、見応えという面においてはなかなかだった。
美佳「見ていたか!?私が1着だ!陸上部にも勝ったぞ!」
治「おー、おめでとう!」
治には、誰が陸上部なのかわからないが、とてもすごい事らしく美佳が興奮していた。
美佳の走る姿がすごく奇麗な事くらいしか治にはわからない。
100m走と違って、次の大玉転がしはレクリエーションに近い競技だった。
運動が苦手だからここで出場しておこうと思った者が多いようで、中々ハチャメチャな結果になったようだ。
治は、美佳が出ていない部分はあまり見ていなかったが、何度も生徒や観客に大玉が突っ込んでいたらしい。
美佳は、治たちの応援に気を良くしたのか、他のメンバーを置き去りにしてゴールしていたこと以外はよくやっていたように思う。
大玉転がしが終わると、とうとう治たちが参加する二人三脚が始まる。
去年までの治であれば、まず間違いなく参加しようとは思わない競技だが、今年はなんと3走もする。
麗奈「流石に一番最初に走る組になると緊張するね……。」
治「まあ、練習通りにできれば勝てると思う。」
第一走者に選ばれてしまった治と麗奈が、互いの足を縛って体を密着させる
すると、周りの男子からの視線が痛くなるが、治たち本人たちは気が付かない。
体育教師の号令と、スターターピストルによって走り出す治たち。
走ることに集中しているため、自分の順位をみる余裕はないが、少なくとも治と麗奈の相性は今日もいいらしく、駆け抜けるようにゴールへたどり着いた。
後ろを見てみると、治たち以外まともに走れているペアはいない。
治「……もうちょっとゆっくりでもよかったかも?」
麗奈「ふふっ、アタシらの絆を見せつけてしまったか……。」
目立っている事に気が付いてちょっと後悔する治と、何故かドヤ顔をする麗奈。
練習でもダントツで速かった治と麗奈のペアだが、本番で他のペアと比べてもやはり速かったようだ。
他のペアの2倍以上の速さで走ったため、周りはちょっと引いているが、まあ1位で困ることも無いだろうと気持ちを切り替える治。
繋いでいた足のタスキを解き、麗奈を完走者控え所に残して治はスタート地点へと戻る。
今度は、花蓮とペアを組む必要があるからだ。
花蓮「アタシたちも練習ですごく相性がよかったし、頑張ろうね!」
治「ああ!」
練習通り完璧に近い走りができたことで、治のやる気はかなり上がっていた。
そこまで順位に拘りは無いが、やはり勝てるものなら勝ちたいし、勝たせてあげたいと思ってる。
だから、足を繋ぎ抱き寄せられた花蓮の少し赤くなった顔にも、更に鋭さが増した周りの男子たちの視線にも気が付かない程集中していた。
轟音と共に走り出す。
麗奈との時ほどではないにしろ、何の抵抗もなく脚の動きを合わせられる事に感動を覚える治。
花蓮も、男子と密着しているという状況を忘れる程、手ごたえのようなものを感じていた。
もともとスポーツなんてしていない花蓮だが、治たちと何日も練習してきて、今まさに成果を発揮できているのが気持ちよかった。
治「おおー、また一着か。」
花蓮「アタシたちすごくない!?」
実際、走っていた治たちにはわからない事だが、治たちの走る姿は他の選手たちとは違い、しっかりと形になっていた。
そもそも、スポーツが特別得意ではない麗奈たちだからこそ毎日放課後に居残って練習をしていたが、他の生徒たちは別に体育以外で練習などしていない。
その差は、2人で息を合わせて行うような競技において、はっきりわかりやすく差が出る。
それが、一見真面目に練習なんてものと縁の無さそうなギャルがやってのけたのだから、当然目立つ。
歓声を上げるクラスの女子たちに手を振ってる花蓮を待機所に残し、そそくさと目立たないようにスタート地点に戻る治。
今の所、考えうる限り最高の結果を出せている治だが、まだ最後の難関が待っている。
治は、聖羅の元へ歩み寄る。
治が重複して登録されているため、聖羅の順番は2年生の一番最後となっている。
最初の練習時に盛大に転んで治を下敷きにして以来、とても積極的に練習していた。
自分だけが転んで恥ずかしかったのもあるが、何より悔しかったのだ。
文字通り治の足を引っ張ってしまっているのも許せなかったし、なんとかゆっくりでも転ばずにゴールまで行けるようにしたかった。
治もそんな聖羅の気持ちが何となくわかっていたため、この本番では絶対に転ばせずにゴールまで一緒に行きたかった。
治からすると、全く転ばない聖羅や花蓮がおかしいだけで、転びまくるのが二人三脚における普通だと思っているので、別に聖羅が盛大に自分を押し倒したところで特に責める気も無いのだが、真面目に練習している聖羅の事を思えば、転んでもいいなんて言う気にはなれなかった。
聖羅「いよいよですわね……。」
治「緊張してる?」
聖羅「……ええ。ですけれど、精一杯やるだけですわ。」
体育祭でそこまで気負う必要も無いとは思うが、聖羅にとってきっとこれは、心にできた小さな傷を癒すために必要な儀式なのだろう。
そう考えた治は、聖羅と足を結び、肩を抱いてしっかりと密着してから囁く。
治「もし転びそうになっても俺が絶対に支える。だから、練習通りにやろう。聖羅が頑張ったのは俺たちが知ってる。信じてる。」
聖羅「え……?あの……、まあ私確かに頑張りましたし?一緒に練習してくれた方がそう言って頂けるのでしたら……、私も私を信じられますわ……。」
治「じゃあ後は1位になって、麗奈たちにドヤ顔するだけだな。」
聖羅「それは……すごく気持ちよさそうですわね!」
体育教師の呼びかけでスタートラインに着く。
掲げられるスターターピストル。
パァンという乾いた音と共に飛び出す治と聖羅。
一歩踏み出しただけで聖羅の胸の動きで重心がずれて、更に変な反動を感じる治だが、そんなものは織り込み済みだ。
ここ2週間練習した通り、その衝撃を計算に入れたタイミングで脚を動かし、聖羅の負担を可能な限り減らす。
直後、周りから何人もが点とするような音が聞こえた気がするが、今はとにかく自分たちが転ばずゴールすることが重要なため無視する。
麗奈との抵抗の無さも、花蓮との完成度も、聖羅との走りには在りはしないが、それでも努力したのがわかるような走りだった。
ゴールまで20m……10m……。
治「よし!完璧な走りだったな!順位は……。」
治が状況を確認しようと振り返ると、同時にスタートしたはずの他のペアたちが全員倒れているのが目に入った。
何故皆スタート直後の場所で倒れているのかはわからないが、それが意味するのは……。
治「1位か!?やったな聖羅!」
他のペアが全員倒れたからではあるが、目標が達成できたため喜んだ治だったが、隣の聖羅の反応が薄い。
壊れたおもちゃのように、ギギギと治の方をゆっくり見てくる
聖羅「1位……ですの……?」
治「そうだぞ!」
聖羅「……………………や…………。」
治「ん?」
聖羅「やりましたわー!!」
そう叫び治の首に抱き着いてぴょんぴょんジャンプしだす聖羅。
当然治の顔面は、聖羅の豊かな胸に押し付けられる。
男子からの視線が更に一段階鋭いものになるが、治本人はそれどころではない。
治(首!折れる!?)
周りからは、普段からクールで迫力のあるキャラだと思われている事が良い聖羅だが、仲の良い友人たちからするとその評価は反転する。
クールに見えるのは、単純に人見知りで緊張していることが多いからであり、仲が良くなるとむしろ感情表現がかなり豊かな方だとわかると麗奈たちには思われている。
悲しい映画を見れば簡単に泣くし、暗い場所では隣の人の腕に抱き着いて離れない。
この嬉しくなると抱き着いてぴょんぴょんするのも、麗奈と花蓮と美佳は何度も餌食にされている。
昔は、これをされても大したことは無かったが、高校生になって急成長した聖羅が行うと中々のダメージがある。
別に太っているわけではない。むしろ細いくらいだが、一部だけが凶悪な質量を誇っている。
そのため、友人たちによって封印命令が出され、聖羅も普段は我慢していたのだが、今日は感極まって思わずやらかしてしまったようだ。
聖羅「治!見ましたか治!1位ですわよ!私でもできましたわ!ドヤ顔できますわ!」
治「わ!わかったから落ち着いてくれ!」
聖羅「……あっ……。」
顔を赤くしてフリーズした聖羅をとりあえず1位の待機スペースに連れて行く治。
結局、治と聖羅がゴールしてから更に1分程してからやっと他のペアが全員ゴールできた。
どのペアも女子たちがやけに怒っていて何事かと治は戦慄していた。
実は、踏みだした時の聖羅の胸の揺れに目を奪われた他のペアの男子たちのせいで転んで、皆立て直す練習をしていなかったものだからあそこまでもたついていたようだが、最後まで治は気が付かなかった。
聖羅は、デバフをばらまくスキルを使えたようだ。
治たちの活躍もあり、二人三脚が終了した時点で治たちのクラスは学年1位となっていた。
盛り上がる体育会系のクラスメイト達。
それを生暖かい目で見守りつつもちょっと引いてる生徒たち。
未だに二人三脚で1位になれた興奮を思い出しちょっとぴょんぴょんしてる生徒。
そんな中、治はといえば、クラス全体の順位に何の興味も無かった。
これで優勝すれば担任がご飯を奢ってくれるというならばそれはもう必死になるが、そんな豪気な教師がそうそういるわけもなく。
治の今日の予定は、この炎天下の中美佳の応援をしつつ昼まで時間を潰し、女子4人に昼食を振舞って、また美佳の応援をする程度である。
まだ体育祭のスケジュールは、大半が未消化のまま残っているが、治にとっては殆ど終わったと言っていい。
当然だが、治のいる2年生以外にも、1年生と3年生の競技も存在する。
定番の競技は被っていることもあるが、できるだけバラエティに富んだ内容にするためか、学年ごとに全く違う競技が多いようだ。
先ほどは、3年生による今時珍しい騎馬戦が行われていたし、今は1年生による借り物競争が行われていた。
クジを引いて中に書かれているものを借りて行くのだが、何が書かれているのか次々と同級生や先輩の元へ走っていき、お願いしてついてきてもらっている。
各学年間のコミュニケーションを活性化させるのには良いのかもしれないが、自分が選ばれたら嫌だなと考えてしまう治。
できれば今日はもう何もなしで帰りたいものだ。
先ほどなど、男性教師借り物になったらしく引っ張られて走り出したが、10秒ほどでもだえ苦しむように倒れていた。
噂によると肉離れを起こしたらしい。
あの二の舞にはなりたくない。
そうこうしていると、美佳が参加する予定の創作ダンスの時間になった。
治のクラスから参加するのは女子5人のチームで、その中に美佳が入っている。
というか、美佳がセンターなので美佳のチームと言えるのかもしれない。
治に創作ダンスの良し悪しなどわからないが、美佳のダンスはとても奇麗だった。
キレが良いというか、ピッと止まってシュッと一瞬で加速する感じだ。
ただ、ダンスというより日本舞踊のように見えたなぁと思う治。
終わった後、美佳に感想を尋ねられた際には
治「すごく奇麗だったよ。」
と答えた治。
それを聞いて美佳は顔を赤くしていた。
流石にダンスの感想を聞かされるのは恥ずかしかったようだ。
創作ダンスが終わると、とうとう昼食の時間だ。
本来は、グラウンドの周りにある芝生にシートを引いて食べる予定だったのだが、気温が高いために全生徒は屋内で食べるように指示されてしまった。
教室に戻ろうかとも考えたが、弁当を置かせてもらっている調理実習室に行くと、たまたま教師がいたため確認した所、実習室内で中で食事をしてもいいと許可を貰ったため、麗奈たちを呼んできた。
治「さあどうぞ。多めに作ってきたつもりだから遠慮なく食べてくれ。」
体育祭の料理というよりは、料亭から取り寄せたおせち料理のような重箱たちをみて、騒然とする4人。
麗奈「なんかこう……思ってたのと違ったわ……。」
治「あれ?まずかった?」
美佳「いや、期待以上というかだな……、女子力の違いを見せつけられたというかだな……。」
女子力とは言うが、治にこの料理を教えたのは全員だ男性だ。
花蓮「これって何?プリン?」
治「それは茶碗蒸し。この季節に弁当に乳製品入れる度胸は無い。さっきまで冷蔵庫に入れておいたから冷たくて、この暑い日に食べるのには良いと思う。」
花蓮「へー!……そっか、茶わん蒸しって手作りできるんだ……。」
聖羅「私は、クッキーくらいしか作れませんわ……。」
治「クッキーの方が大変じゃない?分量細かく計って行かないとダメなんでしょ?俺が今日作ったもの全部目分量だし。」
最初は、重箱のインパクトに気圧されてたらしい4人だが、食べ始めると気に入ったらしくバクバクと食べていた。
美佳が沢山食べるのはわかっていたが、他の3人もそこそこ食べるらしい。
多少は残るかもしれないと思っていた治だが、奇麗に食べつくされていた。
料理人冥利に尽きるとはこの事か!と感動する治。
一番評判がよかったのは、エビの姿焼きにグラタンを乗せたような料理だ。
治に教えてくれた料理人たちは、エビの姿焼きグラタンと呼んでいたが、割と定番メニューであるにも関わらず、店ごとに呼び名が違って困るらしい。
そんな事を教えたら、麗奈たちにウケたらしく盛り上がっていた。
食後に、冷たいお茶を飲んでゆっくりする5人。
流石にお茶は入れてから時間が経つと味が落ちてしまうため、市販のペットボトルの物にした。
美佳「はぁ……、学校でお弁当を食べてここまで満足したのは初めてだ……。」
花蓮「いっぱい食べちゃったけど、今日は運動したからいいっしょ……。」
聖羅「私……卵焼きがこんなに美味しいと思ったの初めてでしたわ……。」
麗奈「これから毎日味噌汁作ってくれない?」
治「え?じゃあ水筒で持ってくればいいか?」
麗奈「……いや、冗談ね。」
昼休憩が終わり、午後の競技が始まる。
昼食という本日最大の勝負を終えて、ほぼ全ての日程を終えたつもりになっている治。
美佳を除く友人グループも似たようなものだ。
美佳が出た時だけ応援していた。
そして本日最後の競技、学年別リレーの時間になった。
2年生は、1年生の後となっている。
1年生の選手たちがグラウンドに白線で作られたトラックの中に整列しているのが見える。
皆、緊張した面持ちでいるのがここからでも見える。
リレーに出る選手たちは、ほぼ100m走に出た選手と重複するらしい。
つまり、各クラスでも上位のスプリンターが集まっている。
だからこそ、良い格好をしようと気合が入っているのだろう。
1年生のリレーは、大きな問題やケガもなく無事終わったようだ。
1回バトンを落とすハプニングはあったが、立て直しが早かったために落ち着いてみていられた。
そして2年生の番となる。
各クラスの代表が整列している。
治のクラスの代表の中には美佳も見える。
ヤル気に満ち溢れているのがここからでもわかるが、空回りしてケガをしないように祈っておこうと思う治。
体育教師が掲げたスターターピストルから上がる白い煙。
少し遅れて聞こえてくる轟音。選手たちが一斉に始めた。
トラブルが起きたのはその直後である。
待機している走者の中の1人が倒れるのが見えた。
脚を抑えて転げまわっているようだ。
治からは何となくでしか見えていないが、どうもこの前突っかかってきた武田純也というクラスメイトのようだ。
周りのクラスメイトが集まって何かを放しているのが見える。
少し経つとその中に入っていた美佳が、観客席の方に走ってきた。
借り物競争のようにも見えるが、いったいどうしたんだろうと治が思っていると、どんどんこちらに近づいてくる。
嫌な予感がする治だが、逃げ出すわけにもいかずそこにいるといきなり美佳に手を掴まれる。
美佳「来てくれ!」
治が返事をする前に走り出す美佳。
何が何だかわからないが、とにかく引っ張られるままついていく治。
先ほど肉離れしていた先生を思い出しながら、ケガをしないことを意識しながら。
競技を続けたまま走ってトラックの中に向かっているため、走者の間を縫うようにクラスメイトの元までたどり着く。
美佳「代役を連れてきたぞ!ここ2週間私のリレーの練習に付き合わせていたからきっと大丈夫だ!」
治「代役…?俺が走るのか?」
美佳「武田君の脚が攣って走れなくなった!だからアンカーを頼む!治にかかってる!」
治「アンカー!?」
この学校のリレーは、他の競技との選手の重複は構わないが、競技内での重複はダメらしい。
つまり2回走ることができない。
そのため、クラスのトップ5の中から1人減ってしまうと、他の所から連れてくるしかない。
そうなると、美佳と練習してきた治は適任と言えなくも無いのはわかる。
美佳には恩があるため、返せるものなら返したいと思っている治だが、チーム競技な上に、一番目立つアンカーを任されるのは流石に困る。
だが、治が反論する前に美佳はスタートラインに行ってしまう。
美佳「信じてるぞ!」
そう言い残して。
美佳は、女子のアンカーのためにこのコースを1周してくる。
ここに戻ってくるまでにかかる時間は30秒くらいだろうか。
他のクラスメイト達の不安げな視線を受け、とうとう折れる治。
治「わかったって……。でも俺のせいで負けても恨まないでくれよ……?」
4位で美佳が走り出す。
他のクラスの選手も全員スタートすると、男子のアンカーたちがスタート位置に並ばされる。
気持ちを落ち着かせるために美佳の走りを見ていると、1人抜いて3位になったようだ。
そのため、治と隣の選手の位置が交代される。
相変わらず美しい走りで向かってくる美佳。
今日だけでもすごい量の運動をしているはずなのに、スピードが落ちていないのはすごいなぁと現実逃避していた治だが、もう後10秒もしないうちに走り始める事になるだろう。
治は、考える。
自分は素人だ。2週間練習したとはいえ、陸上選手ではない。
周りの奴らの事はわからないが、少なくとも走るのが速い奴らなんだろう。
となると、真っ向勝負で勝てるものではない可能性が高い。
そこまで考えてから治は、バトンの受け渡しが行えるテークオーバーゾーンの限界ギリギリまで下がる。
治は、自身に他の選手と比べて勝てる要素がるとしたら、美佳とのバトンの受け渡し練習と、自転車等で培ったスタミナ位だと考えている。
ならば、この受け渡しのタイミングで順位を稼ぐしかない。
美佳が近づいてくるのを限界まで見届けてから、治は正面を向くことにした。
美佳の方は完全に見ていない。
そんな中途半端なスタートでは勝てない。
美佳は、先ほど俺を信じると言っていた。
だから、治も自分と美佳を信じる事にした。
イメージ中の美佳が治の手にバトンを押し込む直前、美佳のトップスピードに合わせられるタイミングでスタートを切る治。
直後、練習の時のイメージ通りに手に収まるバトンの感触。
2位の組がバトンを受け渡すために減速している横を治はぶち抜いて行った。
治からは見えていないが、後ろには痛快な表情でガッツポーズをする美佳がいた。
あっという間に2位に躍り出たが、まだ1位までは距離がある。
スタートで距離を稼げたとは言え、ここからは走りで巻き返さないといけない。
そのため、とにかく前傾姿勢で加速することを優先する。
最初のコーナーに差し掛かるまでに可能な限り加速すると、1位の選手まで3m程の距離にまで近づけた。
コーナーでは下手に加速すると遠心力でフッ飛ばされて逆にタイムをロスしてしまう。
その為、普通は前の選手の後ろにつけるのが定石だが、それでは追いつける場所は無いと治は考えた。
ならどうするか。
治が出した答えは、距離をロスしてもいいからコーナーでも全力で走る事だった。
他の選手が減速するような場所で勝負に出なければ、勝ち目が無いのは明白だ。
治は、スタミナ勝負を仕掛ける事に決めた。
この1位の選手が何者なのかは相変わらずわからないが、もし陸上でも短距離走の選手であれば、ずっとトップスピードを出すのは難しいかもしれない。
だから、最初からラストスパートのつもりで走り削りあいをする。
最初のコーナーだけで1位の選手に1mまで近づけた。
あとは短い直線と、次のコーナー。その後のもっと短い直線しかない。
次のコーナーで抜けるか、と期待した治だが、前の選手も後ろに走者が近づいてきている事に気が付いたのか、スパートをかけるのがわかった。
理想を言えば気が付かれる前に抜いてコーナーに入りたかったが、スタミナの削りあいという意味では、早めに気が付かれたのも悪くない。
体が酸素を求めて激しく呼吸をしようとするが、どう頑張っても呼吸の早さに酸素の供給量が追いつかない。
そんな時は、短く呼吸するより大きく肺の中の空気を出してからの方が効率が良いと経験上考えている治。
深呼吸のようにゆっくり呼吸すると、コーナーで多少落ちてしまった速さを補うためにまた前傾姿勢となる。
全力の踏み込みにより、体が浮き上がって地面から飛び立ってしまいそうな錯覚を覚える程反動がくるが、それを無理やり地面に抑え込んで推進力とする。
最後のコーナーに入る直前で、1位の選手と肩を並べる事が出来た。
だが、前に入れない限りコーナーの外側を走らされ距離が延びてしまう。
治(このまま外回りで追い抜く!)
結局、治には長い距離を走ったとしても、全力で走るしか手段が無かった。
その甲斐あってか長い距離を走らされているのにも関わらず、直線に出た時にも横1列に並んだ状態であった。
短い直線を走る2人。
ゴールテープまであと10m……5m……3……2……1……。
ゴールを走り抜け、勢いのまま数十m進んでから止まる治。
何位だったのかは全くわからないが、とにかくやれるだけやった。
早く順位を教えてくれと待っていると、誘導員がやってきた。
治が案内されたのは、2位の場所だった。
治「あー、勝てなかったか……。」
クラスの勝敗なんて興味が無かったが、美佳に託された想いを達成することができなかったことを残念に思う治。
どう謝ったものか……、そう考えていると後ろから美佳に抱き着かれた。飛びつかれたと言った方が正しいかもしれない。
美佳「やったな治!優勝だぞ!」
治「え?いや2位だぞ?」
美佳「リレーではな!だけど総合順位なら2位以上でうちのクラスは学年優勝だ!私たち2人で1人ずつ抜いたんだから上々だろう!?」
治「あー……まあ……そうなのか……。美佳が喜んでくれたならよかった。」
賞賛しに来た美佳は、浮かない顔の治に気が付き不思議に思う。
美佳「嬉しくないのか?1位だぞ?」
治「それはまあいいんだけどさ、なんというか……リレーで勝ちたかったっていうか……。アンカーを託してくれた美佳を勝たせたかったのもあるけど、俺自身が勝ちたかった。だから今すごく悔しい……。」
美佳の中の治のイメージだと、そこまで順位の拘らない男だった。
だからこそ、目の前のブスっとしている治に違和感があるが、美佳からするとその違和感はとても喜ばしいものだった。
少なくとも、順位なんてどうでもいいと言い放つような奴よりはよっぽど好ましい。
美佳「じゃあ、来年もアンカー走るか?」
治「えー?それはなぁ……。その時は美佳も強制的に着き合わせるぞ?こんな疲れる事1人でなんてやってられるか……。」
美佳「約束だぞ?来年の楽しみが増えたな!」
そもそも来年アンカーに選ばれるとは限らないのだが、美佳の中では決定事項のようだ。
美佳と治が話していると、他のクラスメイト達も集まってきた。
色々話していたが、治の記憶にはあまり残っていない。
治は、とにかく疲れていた。生返事を返すだけで、とにかく早く帰って寝たい気分である。
よく考えると、今日は早朝から起きて弁当を作っていたのだ。睡眠時間が足りていない。
他のリレー選手もゴールしたようで、順位が確定すると早々に解放された治たち。
とりあえず観客席のクラスメイト達が集まっている所まで戻ってくる。
つい10分程前は、まさかリレーのアンカーにされるとは思っていなかったにもかかわらず、何故か今こうしてヘトヘトになっている。
そういえば、脚が攣ったという武田はどうなったのだろうか。
少なくとも見渡す限りにおいて奴はいないようだ。
奴のせいでこんなことになっているのにとも思ったが、流石にそれを本人に言うのも可哀想なので、胸に秘めておく。
麗奈「すごいじゃん!練習の時も思ったけど、本番の方がめちゃくちゃ速かった!」
花蓮「カッコよかったよ!」
聖羅「私だったら絶対に転んでますわ……。」
治「おかげで明日は絶対筋肉痛だ。」
可愛い女の子にストレートに褒められ、珍しく照れ隠しをする治。
その後、3年生のリレーも終わり、最終的な順位が確定した。
やはり、2年生の総合優勝は治のクラスだったようだ。
体育会系の生徒はもちろん、順位に興味が無さそうだったクラスメイト達まで大喜びである。
治は、流石に疲れてそれどころでは無いのだが、麗奈と美佳に両腕を掴まれ掲げさせられる。
成すがままだが、その程度のポーズでも周りは何故か盛り上がっていた。
その後は、校長の閉会の挨拶もそこそこに、スピーディに終わった。
皆疲れて早く帰りたいようだ。治にも気持ちはわかる。
観客席として並べられていたパイプ椅子を全校生徒で手分けして集め、運搬用の荷台に乗せる。
体育館のステージの下の倉庫に運び込まれるらしいが、それらは生徒会や運営委員会の生徒がやってくれるらしい。
他の生徒は、ここで解散となった。
カバンや、重箱を回収しに向かおうとしていると、麗奈たちが話しかけてきた。
麗奈「おつかれー。」
治「おつかれ。ほんとに……。」
花蓮「すごい、見たこと無いくらいげっそりしてる……。」
聖羅「肩でも貸しましょうか?」
治「いや大丈夫。というか、多分今聖羅の肩に体重かけたらそのまま2人で倒れ込むことになると思う。」
聖羅「練習初日を思い出しますわね……。」
競技にはあまり参加していなかったとはいえ、日中何時間も外で観戦するのも堪えたようだ。
その中で、何故か一人だけ元気なのが一番動いていた美佳なのだが。
美佳「帰りは一緒に帰ろう。荷物半分持つぞ。」
治「お願いするかな。中身は無いけど重箱は嵩張ってなぁ。」
美佳「あれだけ美味しい料理を作ってくれたんだ。それくらいはするぞ。」
美佳は、治が作った弁当がとても気に入ったらしい。
味もそうだが、何より量が多かったのがよかったと言っていた。
麗奈「あのさ、治は今回の体育祭どうだった?」
治「どうって?」
麗奈「感想とか。」
治「感想……?うーん、すごい疲れたけど……、初めて運動会とか体育祭を面白いと思えたかもしれない。」
麗奈「……うん、そっか!」
そう言ってほほ笑む麗奈。
何か笑う要素があっただろうかと不思議に思う治。
こうして、治が初めてパンを食べる以外の目的で参加した体育祭が終わった。
家に帰って、重箱を洗うとそのまま寝てしまった治が目を覚ましたのは、次の日の昼頃だった。
振り替え休日で月曜日が休みだったことに感謝し、またすぐ二度寝を決めたのだった。