1-8. 【閑話】少年は思う(2)(ソナタ視点)
ヒカリが屋敷に来て二週間が経とうとしていた。
彼女に初めて会った時は正直何も期待していなかった。
僕と同じ十二歳の女の子で、しかも孤児だという。本当に侍女という役目を果たせるのだろうか、僕は懐疑的な目を彼女に向けていたと思う。
それでも彼女を受け入れたのは同情を感じたからだ。
見るからに怯えており周りの状況を理解していない様子だった。恐らく大した説明もなく父に連れてこられたのだろう。それなのに要らないからと放り出してしまったら、ヒカリはどう感じるのだろうか。彼女のその後の人生はどうなってしまうのだろうか。そんな事を考えていたら、自然と彼女に手を差し伸べていた。
そんなヒカリに対する印象は、彼女と過ごした二週間で大きく変わったと思っている。
彼女はとても聡い子だった。
孤児とは思えない程に物事を良く理解している。孤児院での教育が良かったのだろう。
もちろん侍女としての教育は足りていない。けれど、飲み込みが早く仕事をすぐに覚えてくれた。今では安心して彼女に仕事を任せても良いと僕は思っている。
彼女は情に厚い子だ。
他者の心に寄り添える優しさを持っている。そして僕の両親に何処か似た雰囲気を感じる子だった。
両親に対して抱く違和感は今も拭えてはいない。だが、ヒカリと接する事でこれまでと違った両親との向き合い方が見つかるのではないか、そう思わせてくれる子だった。その意味では、彼女のお陰で僕も少しずつ変わろうとしているのかも知れない。
そんな事を考えながら開く気配のない扉を見つめていた。
「……遅い。まだ花壇の手入れをしているのかな」
家庭教師は既に帰宅しており勉強は一区切りついた。だからお茶を飲んで一息つきたいところなんだけれどね。
僕は立ち上がり、窓から少し身を乗り出してみる。ざっと中庭を見渡すと奥の方で人影を見つけた。
間違いない、彼女だ。あの銀髪の小柄な少女は花壇で何かの作業を行なっている。
「仕方がない。呼びに行くか」
窓を閉めた僕は扉の方向へ足を向けた。
◇
中庭の外れにある花壇へ足を向けると、銀髪の少女が大きな水瓶を持ち上げようとしていた。
しかしその水瓶は大人が両手で抱えるほどの大きさがある。彼女の細い腕では支えきれないだろう。
「ヒカリ。手伝うよ」
そう声を掛けると驚いた表情のヒカリがこちらへ向く。
彼女は表情を見れば感情の動きが手に取るようにわかる。それがなんだか可笑しくて自然と頰が緩むのを感じた。
「ソナタ様! いえ、そんな事は——」
「いいから! どこへ運ぶつもり?」
ヒカリの言葉を制して、水瓶の淵に手を掛ける。
うーん、かなり重いそうだ。彼女一人でどうやって運ぶつもりだったのだろうか。
ヒカリの指示を聞き、僕らは花壇の横に水瓶を運んだ。
「ソナタ様。ありがとうございました」
運び終えると、ヒカリが嬉しそうに微笑んだ。
この屋敷に来てから日を重ねるごとに彼女の顔色が艶やかになっているようだ。健康的で魅力ある笑顔を見せることが多くなったと思う。
「ところで、ソナタ様。どうしてこちらへ?」
彼女は小首を傾げると僕に問う。
いや、いくら自室で待っても君が来ないから迎えに来たんだけれどね。
「ああ、外の空気が吸いたくなってね。それにしても綺麗に咲いている。全てヒカリが植えたのかい?」
そう言うと視線を花壇に向けた。
小さい花壇一杯に色取り取りの花が咲き乱れていて目を楽しませてくれている。一人で管理するのは大変だろう。
「いいえ、私はこの花壇を維持しているだけです。ですが、期待していてください。来年も沢山のお花を咲かせてみせますよ!」
笑顔のヒカリはそう言って花壇の花を順番に指差しながら説明を始めた。
「このお花はヴィオローネ様が好まれるのですよ。隣は旦那様のお好きな花ですね。それから——」
父や母の好きな花か。知らなかった、いや知ろうとしなかったな。
父はどんな食べ物を好むのだろう。母の趣味はなんだろうか。恐らく僕よりもヒカリの方が詳しい。そんな距離感なのも良くなかったのかもしれない。
「ヒカリ、この花は? 赤い実がなっているようだけど」
花壇の脇に咲く小さな植物を見つけ、ヒカリに尋ねてみた。
丸みを帯びた果実は鮮やかな紅色をしており食欲をそそられる。
「ああ、いけませんね。その花は早く刈り取らなければ」
ヒカリはそう言うとこの植物を刈り取り始めた。
「これはトルムという植物なのです。赤い実には毒があって危険なのですよ」
トルムはグラス男爵領に自生している植物で、稀に子供が誤飲してしまう事故が起こるそうだ。
即効性の毒が含まれているため、適切な処置を施さないと命を奪うのだとヒカリは言う。
「ソナタ様はご存知ですか? もしも誤ってトルムの実を食べてしまった場合には、その葉を煎じて飲めば助かるのです」
「同じ植物でも毒となる部分と薬になる部分があるのか。それは興味深いな」
「ソナタ様も興味がおありですか? それから——」
そう言ってヒカリは様々な植物の解説を始める。
夢中になり過ぎて侍女としての務めを忘れているな、そう思いながらも楽しそうな彼女の様子を眺めていた。
第1章はこれで終わりになります。
次話から第2章がスタートです。