1-7. 【閑話】少年は思う(1)(ソナタ視点)
「父上! ソナタです」
古びた木の扉を二回叩くと、僕は父の執務室へ入った。
部屋の中央には来客用の黒い長椅子が向かい合う様に二脚。窓際には執務机で書類仕事に追われている父の姿があった。
執務室に置かれた家具は傷が目立ち、全体的に使い古された印象を受ける。領主という格を考えれば新調すべきところなのだが、あいにく当家にはそのようなお金が無い。
「ああ、ソナタか。そこに座りなさい」
顔を上げた父は長椅子に視線を向けると口を開いた。
「用件は手短に頼むよ。色々と立て込んでいてね」
促されるままに僕は長椅子に座った。
父の従者であるリュートがお茶の準備のために動き出す様子を見つめながら父に問う。
「使用人を解雇したと聞きました。何故ですか? そもそも解雇して大丈夫なのですか?」
一般的な貴族と比較してこの屋敷で働く使用人の数は少ない。にもかかわらず、半数以上を父は解雇してしまった。
残っているのは古株のリュートとチェローナ、リラの三名のみだ。とても屋敷の業務が回るとは思えない。
「心配するな。彼らの転職先はちゃんと見つけてある。誰一人として路頭に迷う事はないぞ」
父らしい答えに頭を抱える。
僕が心配しているのはそこではないのだけれど。
「父上。この屋敷はそれほど広くありませんが、それでも三人でやり繰りするのは難しいと思います。何故解雇したんですか?」
若干の苛立ちを感じながらぶつけた僕の質問に答えたのは父ではなくリュートだった。
「ソナタ様。当家の財政状況では多くの使用人を抱えることは困難です。旦那様も苦渋の選択だったのですよ」
「……だったら、民から徴収する税を引き上げるべきでは? 父上は未だに反対なのですか?」
王が治めているこの国の国土は広大で、王族だけでは全てを管理することは難しい。
そのため、王に代わって五十の貴族が分割統治している。その内の一つであるグラス男爵領を治めている貴族が父である。
そして五年前に各貴族が王へ納める税が引き上げられた。
貴族は領民から税を徴収し、王へ納めている。納める税が増えたのだから徴収する税も増やすのは自然な事ではないのだろうか。赤字での領地経営を続けられるほど当家に財は無いのだから。
「ソナタ。これ以上領民から税を徴収することはできん。近年の不作もあり彼らの生活は現状を維持するだけで精一杯なんだ。領民がいるから我々貴族は生きていける。その事を忘れてはならないぞ」
民が存在するから貴族が生きていけるのか。
貴族が存在するから民が生きていけるのか。
父は前者だと言っている。それは耳触りのいい理想だ。僕だって弱い存在を守る立場でいたいし、出来る事ならばその理想を信じていたい。
けれど、貴族であるグラス家が倒れてしまえば、物流や人流、経済など様々な面で領民は不自由を強いられる。貴族を守る事だって軽んじてはいけないと思う。
そして、当家は使用人を雇う事にも苦労するほど力を失いつつあるのだ。この先に待っている当家の未来は——。
「……分かりました、父上」
不満を溜息に含めて吐き出すと僕は会話を終わりにした。
今までも平行線だったのだ。恐らく今後も平行線なのだろう。
「ソナタ、お前が心配しなくても何とかするから大丈夫だ。あと、孤児を一人雇うことにした。お前の使用人となる予定だから覚えておくように」
疲労を隠せていない父の声を聞き、視線をそちらへ向ける。
使用人が増える事は歓迎すべきだが孤児で穴埋めが出来るのだろうか。
「孤児ですか……。別に急がなくても良いですよ。身の回りの事くらいは僕自身で出来ますから」
「それはダメだ! お前は領民の納めた税によって育ち、今を生きている。ならば、お前の時間は自分の為に使ってはならん。全て領民のために使いなさい」
「ですが——」
僕の反論を遮るように父は言葉を続ける。
「雇うのは街の孤児院にいる男児だ。あそこならば教育の心配もせずに済むさ。管理者には勤勉な性格の子供を頼んでいるから、屋敷でもよく働いてくれる事だろう」
「……そうですか。分かりました」
父の決意は固いようだ。成人していない僕が父の決定に口を挟むわけにもいかず、乾いた言葉を口にする。
嗚呼、グラス家の将来は暗い。そのことは子供の僕にも理解できてしまう。
それを黙って見ているのがもどかしくて別の話題を切り出すことにした。
「父上、もう一つお話が。先日お願いしていた『黒水』の件なのですが——」
最近、グラス男爵領の郊外で不思議な水が発見された。
粘土の高い黒い水は火をつけると永久に燃え続ける性質を持つ。薪に代わる新たな資源で当家にとっても新たな産業となる可能性を秘めたものだった。
しかし、王国内でも珍しいこの資源に対しては採取技術や資源活用方法、販路も確立出来ていないし、扱う技術者も不在だ。何もしなければ宝の持ち腐れとなってしまう。そのため、僕らは『黒水』と名付けて研究を進めていた。
「リュート。ソナタに現状を説明してやれ」
「はい、旦那様」
父の隣に立っていたリュートが口を開く。
「資源採取に関しては技術研究、人材育成いずれも進んでおります。しかし、その他は資金難で手を付けられていないのが実情です」
「そうか。実用化には時間がかかりそうだね」
予想していたが資金の問題が障壁となってしまっている。さて、どうするべきか。
何かを思い出した様子のリュートは、軽く咳払いをした後に言葉を続けた。
「そういえば、カランド公爵領でも不思議な資源が見つかったそうですよ」
王国に七つ存在する公爵家の一つ、カランド公爵の領土で不思議な水資源が発見されたそうだ。リュートの話を聞く限り、黒水で間違いないだろう。王国内でも稀少な資源なので協力関係を築く必要があるかもしれない。
一方で、公爵家という格上の存在と協力するのであれば、手柄を奪われない様に上手く立ち回る必要もある。そこも考えなければ。
「リュート。カランド公爵に情報交換を打診して貰えないか? 場合によっては共同研究も視野に入れて。父上、それでよろしいですね?」
父が頷いたのを確認し、僕は席を立ち上がり扉の方へ足を進める。
「ああ、ソナタ。今日の午後に孤児を連れてくる。時間を空けておいてくれないか?」
父の質問に同意を示した後、僕は執務室の扉を開けた。