1-6. グラス家の人々(3)
リラから合格を貰い、ようやくソナタ様の私室でご奉仕出来るようになった。
今日は初めてのお茶出しである。あんなに一生懸命練習したんだ。きっと上手くいくはず!
「……うん、今回は悪くない。十分美味しいよ」
二杯目のお茶に口をつけたソナタ様はそう呟く。
その言葉に思わず拳を握りしめる。及第点のお茶を淹れることができたようだ。ようやく一人前の仕事ができた気がする。
「随分と練習したんじゃないのかい? リラは厳しかっただろ?」
静かにカップを置くとソナタ様は微笑みながら答える。
確かにリラは厳しかった。細かい部分を指摘され、何度もやり直しさせられたと思う。でも彼女のお陰で知らない世界を知ることが出来たのは事実だ。リラにはとても感謝している。
「思っていたよりも飲み込みは早そうだ。これからも期待しているよ、ヒカリ」
そう言ってソナタ様は目を細めた。
ソナタ様に褒められた。努力が認められ、ようやくグラス家の一員になれた気がする。それがとても嬉しい。
しばらくは茶器の擦れる音だけが響く静かな時間が流れていた。
「ソナタ様。あの……」
主を退屈させてはいけない。心が安らぐ会話を提供するのもきっと侍女のお役目のはず。何か適切な話題はないだろうか。そう思い部屋を見渡してみた。
扉を背に立つ私の目の前には白い丸机があり、ソナタ様が席に座っている。その奥の大きな窓の隣には木製の作業机があり、数冊の本が重ねて置かれていた。
「ソナタ様は何をなさっていたのですか?」
「ん、今日は王国法を学んでいたよ。午前中は毎日家庭教師に来てもらって勉強を教わっているんだ」
茶菓子に手を伸ばすソナタ様の声を聞き、作業机に視線を向ける。
積み上がった分厚い本の背表紙には『法』という文字がかろうじて読み取れた。それ以外の文字は難しくて読めない。
「ヒカリは何をしていたの?」
「私は花壇の手入れをしていました。ヴィオローネ様とお約束したのです」
庭師不在の花壇は少しずつ荒れていく。それを嘆く奥様のために花壇の手入れが私の仕事になった。大変だけれどもやり甲斐のあるお役目だと思っている。
「ヴィオローネ様はとても素敵なお方ですね。旦那様もお優しいですし、ソナタ様のご両親は立派なお貴族様だと思います」
屋敷に来た日々を思い浮かべながらそう答えるとソナタ様の顔色を伺う。
しかし、中身が半分に減ったカップを凝視するソナタ様の表情は暗い。
「本当にそう思っているのかい?」
掠れた声を発したソナタ様は言葉を続ける。
「ヒカリ。グラス家がなんて呼ばれていると思う?」
そう言うとソナタ様は口元に自虐的な笑みを浮かべた。
重苦しくなる部屋の空気に、気が付けば私は両腕を抱える様に摩っていた。
「『優しい愚者』。周囲の貴族からはそう呼ばれて馬鹿にされているんだ」
領地に住まう平民を大切にする旦那様の行いは、周囲の貴族たちの目には奇妙に映るそうだ。
時として貴族としての利益を損なっても領民の利益を優先する姿勢が失笑の対象にされているのだとソナタ様は続ける。
「だから、僕は立派な貴族にならなければならない。その蔑称を払拭するためにもね」
そう答えるソナタ様の表情は力無い笑顔のままだ。どこか泣きそうな様にも見えた。
愛する家族が周囲に貶められている。その事実が旦那様たちとソナタ様との間に感じていた違和感の原因の一つだったのだろうか。
「貴族社会の事はよくわかりませんが……。少なくとも私は旦那様たちに拾われて救われました。こうしてお役目を頂き、充実した日々を過ごせています。それは紛れもなくグラス家のお陰です」
ソナタ様の目を真っ直ぐ見つめて私は口を開いた。その漆黒の瞳は僅かに揺らいでいる様子だった。
「私から見れば、旦那様もヴィオローネ様も、お優しくて尊敬できる立派なお貴族様です。ソナタ様はご両親の事がお嫌いですか?」
「いや……それは……」
口籠ったソナタ様は視線を手元に落とす。
私の問いを肯定しなかった。ソナタ様にも迷いがあるのかもしれない。ならば全力でその想いを否定しよう。
「ヴィオローネ様とお話ししましたがソナタ様の事をとても愛されている様に感じました。私は孤児で両親の顔も知りません。だから少し羨ましく思いました。ソナタ様はご両親の事を誇りには思えないのですか?」
貴族としてどう在るべきかなんて私には分からない。正解があるのかすら知らない。でもこれだけは言える。
親子は想い合っていて欲しい。家族を否定するような悲しい事は言わないでほしい。我儘かもしれないけれども私はそう思う。
「グラス家の皆様は私のような孤児にも心を砕いてくださいます。それが本当に嬉しく感じたのです。ソナタ様にはそれを知っておいて欲しい、そう願っています」
伝えたい事を言い終えると軽く息を吐いてソナタ様の様子を伺う。
しばらく沈黙を続けていた彼はゆっくり顔を上げると口を開いた。
「……そこまで言うなら……。じゃあ、僕の父上の自慢話を聞いてくれるかい?」
ソナタ様は耳を少し赤く染めながら上目遣いで問う。
その様子がとても愛らしくて思わず口元が緩むのを抑えられなかった。
「はい、喜んでお聞きしたいです。では、お茶が冷めてしまった様子ですので淹れ直しますね」
笑みを誤魔化す様に茶器の準備をしながら思う。
少しはソナタ様の心に寄り添うことが出来ただろうか。彼の憂いを晴らすきっかけとなれただろうか。
もっと彼の本心を知りたい。そして侍女として支えていきたい、そういう存在になることが出来たら嬉しいな。
ソナタ様から空のカップを受け取り、新しいお茶を注ぐ。
部屋には甘く暖かい空気が満ち始めている。そう感じた。