1-4. グラス家の人々(1)
「だから違うって! そうやって食器の音を立てたら優雅に見えないだろ? アンタ、動きが雑なんだよ」
「ごめんなさーい! でも、リラ! これ難しいですよ?」
ソナタ様の部屋を退室すると、すぐに侍女教育が始まった。今はお茶の淹れ方を教わっている。
先生役はリラという褐色の侍女だ。女性らしい体つきをした二十歳の女性で口調が少しきつい。けれど、上手に課題をこなせば甘いお菓子と共に褒めてくれるから頑張れる。
「指先にも気を遣って! ほら、また背筋が丸まってる!」
余計な事を考えていたらリラに叱られた。リラはやっぱり厳しい。ちゃんと集中しなきゃ!
「そうそう、やれば出来るじゃない。今のは良かったよ」
「ほんとですか? 良かったー」
「ああ。あたしの教え方が良いお陰だけどね」
そう言ってリラは豪快に笑う。
一見すると怖そうに見える彼女だが良い人そうだ。年の離れたお姉さんって感じで上手くやっていけそうな気がする。
「ヒカリ、慣れない事をして疲れただろ? 少し休憩にしようか」
「はい、リラ。じゃあ、お茶を淹れましょうか?」
「いや、いいよ。ヒカリの失敗作がここにいっぱいあるんだから」
リラの視線の先を追うと、既にお茶が注がれたティーカップが並んでいる。数えると十五個もあるんだけど全部飲むのかなこれ。
リラに視線を戻すと彼女は笑って頷いている。やっぱり全部飲むんだね。少しでも早く上手くなりたいなあ……。
◇
「うぅ、これも苦いです」
「自分で淹れたお茶だろ? 蒸らす時間が長すぎるから渋味が出るんだよ」
リラに改善点を教えてもらいながら五杯目のお茶を口にする。もうお腹がタプタプだが、中身の入っているティーカップはまだまだ残っていた。
「早くソナタ様にお茶出し出来るようになりたいなら、ヒカリはもう少し練習が必要だね」
顔をしかめながらお茶を口にするリラは言葉を続ける。
「ソナタ様は厳しい人だから、こんなのお出ししたら怒られるよ」
あれ? ソナタ様って厳しそうな人だったっけ?
優しそうな印象しかないのだけれど。
「リラ。ソナタ様ってどんなお方なんですか?」
六杯目のお茶を空にすると、私は疑問をリラにぶつけてみた。
少し考える素振りを見せたリラは口を開く。
「一言で表すなら天才だね。家庭教師の話では説明一つで十の事を理解するそうだ」
「天才?」
「ああ、あの年で既に領地運営を手伝っているらしい。ここだけの話、旦那様よりも仕事が出来るとリュートが零していたよ」
ソナタ様は私と同じ十二歳と聞いている。それは確かに凄いのではないだろうか。
「その分、他人に求めるものも高いというか、自分にも他人にも厳しいお方だね」
そうなのか。だったら、私も怒られないようにしっかり仕事をこなさなくちゃ。
「リラ。グラス家の事をもっと教えてください。私、来たばかりでよく分からなくて」
「良いよ。頑張ったご褒美だ。お姉さんが優しく教えてあげよう」
そう言って不敵な笑みを浮かべながらリラは言葉を続ける。
「グラス男爵家は当主の旦那様、奥様、それにソナタ様の三人家族だ。旦那様にはもう会ったんだろ? 奥様も同じくらい素敵なお方だよ」
「旦那様と奥様はどんな人なんですか?」
「二人とも、あたし達の様な平民にも心を砕いてくださる優しい方々だね。街の者たちも一家を慕っている。それに他領に比べてグラス男爵領は税率が低くて民が暮らしやすいんだ。だから、人々は旦那様のことを名君だと褒め称えているよ」
十杯目のお茶を口に含みながらリラの話に相槌を打つ。
一杯目と比べてこの辺りのお茶にはそれほど渋みを感じない。少しずつだが上達していたようだ。
「そんな方々なのだから、ヒカリは多少の粗相をしてしまったとしても怯える必要はない。グラス家はきっと笑って許してくれるはずさ」
笑顔で喋っていたリラは急に真剣な表情を作る。
「だからこそ、ヒカリには覚えておいてほしい。本来、お貴族様とは非常に恐ろしい存在なんだ。彼らの持つ権力の前では、あたし達の存在なんて些末な物として雑に扱われる。口答えしたり命令に歯向かったりしたら、その命がどうなるのか分からないんだよ」
貴族というものを私はよく知らない。どのような距離感で接すれば良いのかも手探り状態だ。
そして少なくともリラの表情や口調からは冗談や揶揄いの色は微塵も感じず、この話は事実なのだと直感が言っている。ならば、忘れないようにしないと。
「グラス家はお貴族様の中でも特別なんだ。それを絶対に忘れてはいけないよ」
「はい、分かりました」
「何だか真面目な話になっちゃったね。休憩は終わりにして次は給仕の練習をしようか」
そうリラに促されて、私は空になったティーカップを片付け始めた。
◇
あっという間に夕食の時間となる。それは私にとって初めてのお仕事の時が来たことを意味していた。
食堂には白い布で覆われた長机が置かれており、既に旦那様たちが着席している。すると、彼らの元に料理の載った台車が運ばれてきた。
私は机の上の白い皿を手に取ると、料理を取り分けてソナタ様の目の前に静かに置く。そして奥様に配膳しているリラにチラリと視線を向けた。彼女は薄く微笑みながら頷いている。うん、ここまでは問題なく出来ているみたい。
配膳を終えた私はそのままソナタ様の斜め後ろに立った。
「よし、揃ったな。それでは、収穫の神に祈りを捧げよう」
旦那様の声の後、一家の食事が始まった。
配膳が済めば私の役目の大半は終わりだとリラに聞いていた。後は一家の食事が終わるのを眺めていればよいはず。
リラに視線を向けるが彼女も私と同様に奥様の後ろで立っているだけだ。うん、きっとこれで大丈夫。
「ソナタ。学習の進度はどうだ? 教師の報告では順調と聞いているが」
「まずまずです」
旦那様たちが食事する風景を眺めていて気づいたことがある。
ソナタ様の反応が素っ気無いのだ。
「ソナタ。今日は楽しく過ごせたかしら?」
「普通です」
代わる代わる笑顔で話しかける旦那様たちとは対照的に、ソナタ様は難しい表情を崩さぬまま食べ物を口に運んでいる。
その対比が奇妙で私の印象に強く残った。