2-10. 旅立ち
旦那様たちの葬儀もつつがなく終わり、気が付けば彼らが亡くなって1ヶ月が経とうとしていた。
悲しみはまだ癒えない。そう簡単に吹っ切れるほど、私の中での彼らは小さい存在ではなかった。
でも日々少しずつ寂しさは薄れている気がする。彼らのいない日常に慣れ始めていた。それが良い事なのかどうか、今の私には判断できない。ただ辛い現実を直視したくなくて、忙しさに身を任せていた。
◇
「この部屋で最後ですね」
私物が残されていないかを確認し、最後の部屋を施錠した。
後ろ髪を引かれる思いから自然と独り言が溢れる。
昨日チェローナたちとはお別れの挨拶を済ませた。皆が職を辞めて故郷へ帰って行ったため、今このお屋敷にいるのは私とソナタ様の二人だけ。
そして私たちも今日ここを離れてフォルテ家に向かう。予定通りに進めば、その後にソナタ様の婚約の式典が行われることになっている。
「これでよし! ……本当にこれでお別れなのですね」
見回りを終えた私は、最後にお屋敷の扉を施錠した。
ソナタ様はフォルテ家の跡取り婿となるので、もうこのお屋敷に戻ることはない。それは同行する私も同じだ。ふと古い記憶が頭をよぎる。
私が孤児院を出てから7年経っただろうか。お屋敷に来てグラス家の皆と出会い、随分と楽しい日々を過ごすことが出来た。ここには暖かな思い出がたくさん詰まっている。そんな大切な日常と今日でお別れしなければならない。
古びた木製の扉をそっと触れる。掌に仄かな温もりを感じた。
「さようなら。私たちの家」
扉から静かに手を離すと、門の前で待っている馬車へ足を急いだ。
◇
「施錠は終わったかい?」
「はい、問題なく」
馬車へ乗り込むと、待っていたソナタ様に声を掛けられた。
彼の顔色はかなり悪い。青白く目の下には薄いくまが見えた。
「ソナタ様。フォルテ家へ移動する日程をずらしてお休みになられた方が……」
「ヒカリは心配性だな。僕は元気だし、馬車の中で少し休息をとるから大丈夫だよ」
私の提案にソナタ様は首を横に振る。そう言われてしまうと、侍女の身の私には何も言い返すことはできない。
この1ヶ月の間、ソナタ様は精力的に動いていたように見えた。
当主代理として領地運営を引き継いで付き合いのあったお貴族様との折衝を重ねたり、葬儀の手配に奔走していた。誰よりも働く彼の姿は頼りになる一方、睡眠を削る日も多かったと思う。一区切りついたのだから出来れば休ませてあげたかった。
「ヒカリこそ、少し休んでいいからな。この馬車の旅はまだまだ長いからね」
そう言葉を重ねたソナタ様は窓の外へ顔を向けてしまった。
視線の先を辿ると、遠ざかって小さくなっているお屋敷が見える。それを見つめる彼の澄ました横顔からは胸の内を察することは出来なかった。
ソナタ様はご自身の婚約に関して何を思っているのだろうか?
亡くなられたご両親に対する悲しみはもう癒えたのだろうか?
ご両親から受け継ぐはずだったものを全て手放すことになった現状をどのように感じているのだろう?
聞きたいことはたくさんあった。何度も尋ねようとして諦めた疑問が私の中で燻っている。だからと言ってこの場で質問する内容ではないことはわかる。
それでも彼の声を聞きたくて思わず話しかけていた。
「ソナタ様は——」
馬車の窓から視線を外した彼は、私の方へ顔を向ける。
その瞳は悲しみの色で染まっているように感じた。
「今更このようなお話をするのもどうかと思うのですが……私が同行しても本当に良かったのでしょうか?」
だから戯けた口調で話題を変えてみる。
返ってきた彼の声には呆れの色が混じっていた。
「……本当に今更の話だな」
苦笑するソナタ様だが、先ほどよりも何処か楽しげな雰囲気を感じる。
少し気分を上向きに変えられたことに安堵した私は、彼の続きの言葉を待った。
「本音を言えば……ヒカリをフォルテ家へ連れて行きたいとは思わない。その気持ちは今でも変わらないよ」
「ええ、存じております。私は何の技能も持たない平民です。頼りないとお考えになるのは自然なことだと思います」
「違う、そうじゃない。連れて行きたくないのは、ヒカリが嫌な思いをするからだ」
首を横に振って否定する彼の言葉に、私も首を傾げた。
彼の懸念するところが分からない。そう思って真意を尋ねてみた。
「嫌な思いですか?」
「そう。フォルテ家の屋敷で働く使用人には貴族が多い。僕らみたいな木端貴族が奉公しているからな。その中で働くことになるヒカリは一番弱い立場になると思う」
貴族社会において、家を継ぐのは長子が一般的だ。だから長子以外の子息の中には、フォルテ家のような高位貴族に奉公する者も多い。
そんな貴族ばかりの環境だから平民の私は歓迎されないだろう。ソナタ様はそのように考えているようだ。
「貴族社会では平民に対する差別意識が根強い。フォルテ家では理不尽な扱いを多く受ける可能性もある。できる限り僕が盾になるつもりだが、ヒカリのことを守り切る自信がないんだ」
「私は大丈夫ですよ。酷い扱いを受けたら倍にして相手に仕返ししてあげます。だから今更置いて行くなんて言わないでくださいね」
そう答えると軽く胸を叩いて笑って見せた。
私にとっては、行く先の扱いなど大したことではない。どんな仕打ちが待っていても耐えてみせる。それはソナタ様に同行すると決めた時に覚悟していた。
私の様子を見たソナタ様の口元が緩む。分かりづらいが彼が嬉しい時に見せる仕草だ。そして彼は口を開いた。
「ああ、ありがとう。……僕と一緒に来てくれて嬉しいよ。ヒカリが隣に居てくれさえすれば頑張れる。それもまた偽りのない僕の本心だ」
柔らかな響きを持った声だった。優しさを含んだ音色だった。その温かさが私の胸の奥に眠っていた想いを強く呼び起こす。
何だか目頭が熱くなり、景色が滲んで見えるように感じた。
「……何故、ここでヒカリが泣く? 僕は何か傷つける事を言ったかな?」
そう指摘されて目元に触れると濡れていた。そこでようやく自分が泣いていることに気が付いた。
慌てて拭うが、次々と涙が溢れて止まらない。
「ちが……違うんです。……グスッ……ソナタ様がちっとも泣かないから、私が代わりに泣いてるんです!」
泣き顔を見られて恥ずかしい。
感情を露わにすることは侍女として相応しくない態度だ。
そもそも何故自分は泣いているのだろうか。
頭の中で様々な考えが浮かぶが、今の私には全く整理しきれない。
気づけば口が勝手に言い訳を続けていた。
「大変なのはソナタ様だって同じじゃないですか! ご両親を亡くされてから弱音を吐くところを見たことがありません。たくさん辛い思いをされたはずなのに何故他人の心配ばかりできるんですか!」
そう。ずっと彼に言いたかったことだ。
この一月の間、彼は泣き言一つ漏らさず平然とした顔で走り続けていた。そんな彼の姿が心配で堪らなかったし、無理している様子を見ていられなかった。
一度開いた口は止まってくれなかった。私の唇が勝手に動き、更なる言葉を発する。
「それにフォルテ家のこともです。入り婿という弱い立場では肩身の狭い思いをされるってチェローナに聞きました。なのにどうして私の心配ばかりなんですか! ご自身の身も少しは案じてください!」
身分の低い余所者が、跡取りとして婿入りする。もちろんソナタ様に魅力を感じたから婚約が決まったのだとは思う。そうであってほしい。
しかし、貴族社会を知らない私でも彼の立場の危うさは分かる。後ろ盾が何もないのだ。それなのに当人は他人の心配ばかり。
そんな不満をぶつけても彼は首を横に振って拒否の意を示す。
「僕は大丈夫だよ。そんなに心配ならヒカリが僕の代わりに案じてくれれば良い。僕が前を向いて歩けるように後ろから支えてくれれば問題ないさ」
彼の言葉を聞きながら自分に何ができるのかを考えていた。
彼を支えたい。微力でも力になりたい。私に何ができるのだろうか。
「じゃあ、分かりました——」
そう答えるとその場で跪き、彼の手を両手で包み込むように握った。
「ソナタ様。私の人生を貴方に捧げます。一生をかけて貴方に仕えることを誓います。……だから、少しでいいので辛い時には私に弱音をぶつけてください」
私には自分の命しか持っていない。それ以外には何もない無力な人間だ。だから彼に捧げようと思った。
信頼しても良い人間が彼の傍にいる。その安心感だけでもいいから彼にあげたいと考えた。
「ああ、ヒカリの忠誠は確かに受け取ったよ。楽しい日々ではないかもしれないけれど、二人で支えあって頑張ろう! ……一緒に居てくれてありがとう、ヒカリ」
微かに震える声を聞き、顔を上げる。彼の頬に一筋の滴が流れ落ちるのを見た。
ソナタ様が静かに泣いている。
この人は泣き顔も品があって綺麗なんですね。彼の様子を見つめながらそんな場違いなことを考えていた。




