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優しい愚者〜身分違いの恋は許されますか?〜  作者: なか
第2章. ラメンタービレ(哀れに)
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2-9. 決意と別れ

 旦那様たちの死から一週間と少しの時間が経った。


 悲しみは時間が癒してくれる。そう言い切るには日が浅いものの、お屋敷は以前の明るさと平穏を取り戻しつつあった。いや、取り戻そうと皆が頑張っているだけなのかも知れない。

 本音を言えば、私はまだショックから立ち直れていないと思う。あんなに元気そうだった三人にもう会えないなんて、今でも信じる事ができない。悪い夢を見ているだけなんじゃないか。そんなことを考えてしまう。それでも気丈に振る舞うチェローナやリュートの様子を見て己を奮い立たせる。


 よし、お仕事をしよう。身体を動かせば余計なことを考えなくて済む。

 邪念を振り払うかのように首を左右に振った後、足を前に踏み出した。


 ◇


「ハンク! 何か手伝うことはありますか?」


 厨房に顔を出すとハンクが一人で食器を洗っていた。


「いや、もう終わるから大丈夫だ」


 顔を上げたハンクは首を横に振って拒否する。その表情はとても晴れやかなものだった。何か良いことでもあったらしい。


「そうですか。それにしても厨房が随分と綺麗になりましたね。整理整頓が苦手だったと思うのですが、何か心変わりでもあったのですか?」


 そう声を掛けながら厨房を見渡す。

 普段は調味料や調理器具が所狭しと並んだ雑然とした印象を受ける厨房だが、今は物が少なくなりスッキリした様子だった。普段の彼を思うと珍しい状態に感じる。


「ヒカリ、聞いて驚くなよ! もうすぐ俺は出世するんだ」

「……出世?」


 ハンクの言葉に思わず首を傾げた。

 彼は既にグラス家の料理長だ。出世といってもこれ以上昇進することはない。そんな疑問が私の表情に出ていたのだろう、彼は言葉を付け加える。


「ソナタ坊ちゃん……ああ、今は旦那様と呼ぶのが正しいか。さっき旦那様と話をしたんだよ。大貴族様に俺を紹介してくださるんだとさ」

「大貴族様?」

「そうそう。なんだったかなー。なんちゃら公爵の厨房だって聞いたけど」

「……もしかして、カランド公爵家ですか?」


 ソナタ様が厚意にしている貴族といえばアレグロ様だ。そう思い、家名を出すとハンクは大きく頷いた。どうやら正解らしい。


「ハンクが辞めたら厨房はどうするのですか?」

「問題ないらしい。この屋敷に貴族様は一人だけだからな。旦那様が何とかするっておっしゃってたぞ」


 浮かれた様子のハンクは呑気なことを言っている。

 しかし問題ないはずがないと思う。一人とはいえソナタ様は貴族だ。平民の私たちと同じ料理を出して良いものなのだろうか。

 それに、来客として他の貴族をお屋敷で持てなすこともある。その場合にはどうするつもりなのだろうか。ソナタ様の考えが読めず不安を覚える。


「そう言えば、旦那様がヒカリのことを探していたぞ」

「ソナタ様が? もっと早く言ってください!」

「ああ、悪い。今すぐ執務室に来てほしいってさ」


 執務室に呼ばれることなど初めての経験だ。お屋敷では一体何が起ころうとしているのだろうか。私の中で不安は一層濃くなる。


「分かりました。それから、ハンク! 暇な時で良いので料理を教えてもらえますか?」

「ヒカリが料理するのかい? いいけど、なんで?」

「それは……念のためにです」


 ハンクの問いを曖昧に返すとすぐに厨房を抜け出した。

 私に出来る事なんてたかが知れている。それでも出来ることはやれるようにしたい。そう思って。


 ◇


 執務室に入るとソナタ様だけではなく、チェローナやリュートも私のことを待っていた。室内は独特な緊張感に包まれており、皆の表情は暗い。あまり楽しい話ではないのかも知れない。


「ソナタ様。遅くなりました」

「ああ。皆に話があるからヒカリもチェローナの隣に並ぶように」


 そう促されてソナタ様の前に立つ。


「当家の将来について話がある。その後に自分たちの身の振り方について各々考えてもらいたい」


 そしてソナタ様の口から告げられたお話は信じられないものばかりだった。

 借金の話。フォルテ家との関係性。ソナタ様お一人では領地運営もままならない現状。どれも初めて聞かされるものばかりだった。


「そのような理由で当家は爵位を返上することになるだろう。当然、この屋敷を含めた領地も国王陛下にお返しする」


 グラス家のお取り潰し。

 そんな衝撃的な事実を目の前の彼は淡々と口にする。その表情や声色には一切の感情が含まれていないように見えた。その冷静な様子が私の心を大きく揺さぶる。


 ——どうして彼はこの状況でも自然体でいられるのだろうか?


 ——家族との思い出の詰まった、このお屋敷を失って悲しくはないのだろうか?


 ——旦那様から託された立場や領民たちを手放す結果に悔しさを感じないのだろうか?


 胸の奥から湧き出た激しい感情が私の口を自然と開かせた。


「待ってください! ……ソナタ様は本当にそれで良いのですか?」


 投げかけた疑問を前に、彼の表情が僅かに曇る。私たちに感情を見せたのは、この部屋に入ってこれが初めてだろう。

 ああ、やっぱり彼は悲しみを隠していたんだ。その事実に少し安堵した。


「ヒカリ! ソナタ坊っちゃまの話を遮ってはなりませんよ!」

「……あ。失礼しました」


 チェローナに窘められて私は口をきつく噤んだ。

 その様子を見たソナタ様は顔をチェローナに向けると話を続ける。


「それからもう一つ。僕の婚約が決まったよ。将来はフォルテ伯爵家へ婿入りすることになる」


 婚約の詳細を説明する彼の声を聞いていると自然と視線が足下へ落ちていった。


 ——ソナタ様の婚約


 予兆はあった。


 縁談の話が舞い込んで来ても不思議ではない年齢だし、実際にアレグロ様の来訪時には話題になっていた。乗り気ではないものの、ソナタ様自身も覚悟はしていたように感じる。

 だがこんなに急に決まるとは予想していなかった。あまりの展開の早さに私の感情が追いつかない。


「ソナタ坊っちゃま。付き人はどうなさるおつもりですか?」


 ソナタ様の説明がひと段落すると、チェローナが静かな口調に尋ねた。


 嫁いだ先にソナタ様の味方がいるとは限らない。そんな状況で不自由なく暮らしていくためには彼を支える理解者が必要だ。

 だから、嫁入りや婿入りする際には使用人を一人連れて行くことが慣例となっている。例外がなければ私たち三人のうちの誰か一人が同行することになるのだろう。


「ああ、その件なんだが——」


 そう切り出したソナタ様だったが、待っても続く言葉が聞こえてこない。

 顔を上げると彼は悲しみを押し殺すかのように唇を歪めていた。


 しばらく待っていると彼の口が緩み、微かに息を吐く音が聞こえた。

 そして姿勢を正した彼は話を続ける。


「まずはリュートとチェローナ。長い間、当家に人生を捧げてくれてありがとう。僕は二人を解雇するつもりだ。今後は自分の家族のために生きてほしい」

「しかし——」


 リュートとチェローナの二人が話を遮ろうとするが、ソナタ様は首を横に振る。


「ああ。心配は無用だ。退職金は用意するし、働き口が必要であれば紹介する」


 隣から呆れを含んだため息が聞こえた。チェローナのものだろうか。

 けれど呆れてしまう気持ちはとても理解できる。相変わらず私たちの主人は他人の心配ばかりだ。ご自身の身を案じることも忘れないでほしい。そんなところは亡くなられた旦那様に良く似ていると思う。


「次にヒカリだな。申し訳ないが二人と同じくヒカリも解雇する。ああ、待遇の良い働き口を探すから将来の心配をする必要はないよ」

「つまり、婿入りする際には誰も連れて行かないおつもりなのですね?」


 我慢できないといった様子で、チェローナが再び口を挟んだ。表情や声色に不満を隠そうとしていない。こんな彼女を見るのは初めてだと思う。

 そんな彼女に苦笑を浮かべるソナタ様は優しい口調で説明を続けた。


「そうだ。正直なところ、フォルテ家から僕らがどのように扱われるか分からない。恐らく良い待遇は期待できないだろう。だから誰かを連れて行くつもりはないんだよ」

「でしたら、尚更リュートをお連れになった方が……」

「いや、リュートもチェローナもいい歳だろ? 新しい環境で過酷な状況を味合わせるつもりは毛頭ない」


 リュートも加わり、しばらくは三人の口論が続く。それを黙って見守る。

 だが、全く折れる様子を見せないソナタ様に、渋顔の二人はとうとう引き下がる。ようやく結論が出たようだ。


 ソナタ様は顔を私へ向けると、ゆっくりその口を開いた。


「ヒカリ、そういうわけだ。今までグラス家を支えてくれてありがとう。ヒカリの存在は僕にとっても心強かったよ。だから新しい奉公先で新たな幸せを見つけてほしい」


 良い人に仕えることが出来たなあ、改めてそう思った。


 現在の状況はソナタ様が引き起こしたものではないはずだ。にも拘らず、最後まで使用人たちが困らないように心配りをしてくれている。本当に感謝しかない。

 一方で、ソナタ様自身は明日も分からぬ環境へ身を投じようとしていた。フォルテ家での待遇が期待できないのは私たちだけではなくソナタ様だって同じはず。だから一人くらい同行させたいと願ってもおかしくないはずなのに、彼はその選択を拒否している。


 姿勢を正すと、彼の黒い瞳を見つめながら答えを返した。


「嫌です! 納得できません!」


 そう答えると、チラリと隣のチェローナに視線を向けた。

 呆れた表情の彼女は渋々といった様子で首を縦に振る。どうやら続けても良いらしい。


「幼かった私を選択の余地を与えず勝手にお屋敷へ連れてきておいて、不要になったら捨てると。それがソナタ様のお考えなのですか?」

「いや……そういうつもりでは……」


 我ながら卑怯な言い方だと思う。こんなことを言われてしまったら、優しい彼は何も言い返せないだろう。でも今は彼の優しさを利用するしかない。


 明らかな狼狽を見せるソナタ様に畳み掛けた。


「でしたら、私をお連れください。お力になれるかは分かりませんが、少なくともソナタ様の傍で寄り添うことはできます」


 頼りになる使用人はリュートかチェローナのどちらかだろう。でも引退間近な彼らを新しい環境で酷使するのは心苦しいと思う、ソナタ様の考えには同意できる。私も二人には穏やかな日々を送ってもらいたい。


 だったら、無理矢理にでも私が彼について行けば良い。

 グラス家の人々にはたくさんの良い思い出をもらったし、返しきれないほどの恩も残っている。返すなら今しかない。


「私の人生を勝手に決めた責任を取ってください。そうでなければ私は納得できません」


 しばらくはソナタ様も抵抗する様子を見せていたが、やがて折れてくれた。私の粘り勝ちだ。


 こうして、私もフォルテ家へ同行することが決まった。

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