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優しい愚者〜身分違いの恋は許されますか?〜  作者: なか
第2章. ラメンタービレ(哀れに)
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2-8. 足掻く青年(2)(ソナタ視点)

 父上の死から一週間が経ち、フォルテ伯爵との会談の日を迎えた。


「お会いできて光栄です、伯爵。当主から貴方のことは色々と伺っております」

「ああ。私も君のことはグラス男爵から聞いているよ、ソナタ殿。彼とは親しい間柄だったから今回の不幸は大変残念だ」


 簡単な挨拶を交わすとフォルテ伯爵を執務室へ通す。ここが屋敷で最も高価な家具を揃えている部屋だ。客人を招くにふさわしい。とは言え、それはあくまでも当家の基準だ。

 案の定、目の前の長椅子に座った伯爵は部屋を見渡すと鼻を鳴らす。彼からすれば貧相な応接室に見えたのだろう。


 彼の反応を作り笑顔で受け流し、本題を切り出した。


「フォルテ伯爵。本日はどのような用件でご足労いただいたのでしょう?」

「ああ。実は生前のグラス男爵と口頭で仮契約していたものがあってね」

「仮契約……ですか」

「そう。正式な契約書を用意してきたので承諾を貰いに来たのさ」


 そう答える伯爵から一枚の紙を手渡されたので、手元の書類に視線を落とした。

 受け取った書類の形式は契約書の体裁がとられており、行末にはフォルテ家のサインが書かれていた。中身を読めばフォルテ家に都合の良い内容ばかりが羅列してあることが分かる。要約すればグラス家の保有する全てを差し出せといったところか。


「残念ながらこの内容では合意できませんね」

「おや? 優秀と聞いていたが、ソナタ殿は少し勉強不足のようだな。契約内容に口出しできるのは交渉責任者のみだ。君が取るべき正しい行動は黙ってその契約書にサインすることだけだよ」


 伯爵の言葉は正しい。

 この場で彼と対等に交渉できる権利をもつ者は交渉責任者のみ。つまりは当主もしくは当主代理だけであり、僕に口出しする権利はない。


 僕が当主代理でなければの話だが。


「ああ、挨拶が遅くなり失礼しました。新しく当主代理になりましたソナタ・グラスです。以後お見知りおきを」

「……なるほど。カランド公爵家に助力を求めたか」

「そういえば当主代理に限り、国王陛下の代わりに公爵家の者が認可することができるのでしたね。まさかそんな方法もあったとは。フォルテ伯爵のお言葉は大変勉強になります」


 ご名答。

 流石は公爵家に迫る程に力をつけている、フォルテ伯爵家の当主である。彼は馬鹿ではないようだ。


 そんな伯爵への返答に僅かな毒を盛ってみて、彼の反応を窺う。

 しかし、伯爵は冷静に作り笑いを浮かべたままだ。想定の範囲内といったところだろうか。


「少し君を過少評価していたようだな。いいだろう、合格だ。これから私たちの本当の交渉を始めよう」


 そう告げた伯爵は、先ほどの紙を僕の手から奪い取って目の前で握りつぶした。


 一つ、困難な状況を乗り越える事ができた。少なくとも当家が一方的に蹂躪されることはないと思う。

 ただし、交渉は始まったばかりで、こちらが圧倒的に不利な状況に変わりはない。だから気を緩めることは出来ない。


 ◇


 背後で侍っていたリュートに命じ、国王公認の仲介人を執務室へ呼び寄せた。

 貴族同士の交渉は国王の目の届くところで進めなければならない。王国の利に反する取引は禁じられているからだ。よって以降は彼らの監視下で行われることになる。


「当家からの貸付金について話を聞いているかな?」

「ええ。金貨1万枚を来年までにフォルテ伯爵へ返済する必要がある。そう理解しております」

「そうだね。君の認識で合っているよ」


 交渉が始まり、最初に伯爵から切り出されたのは借金の返済についてだった。

 この場の主導権は出来れば僕が握っておきたい。そんな思いを隠して、余裕を見せる伯爵へ言葉を続けた。


「フォルテ伯爵。恥を忍んでのお願いです。貸付金の減額を検討いただけないでしょうか?」

「聡い君なら理解しているだろ? 受け入れられない要求だ」


 僕らは予定調和の言葉を交わす。

 まずは困難な要求を告げた後に、相手に受け入れて貰えそうな要求を投げる。交渉術の一つだが、今回は有効だろうか。


 先ほどから不敵な笑みを浮かべている伯爵に向かって口を開く。


「では、返済期限の延長はいかがでしょう?」

「ほぉ。期限を伸ばせば返済可能である。そう考えているわけだな?」

「ええ。貸付先が返済不能になるよりは、フォルテ伯爵にも利のある話だと思いますよ」


 僕の提案に相手は考える素振りを見せた。

 一番の課題は短い返済期限だ。時間さえ稼ぐことが出来れば策を弄することができる。


「なるほど。『黒水』による利益を当てにしているのか。だが、事業化するのは2年後のはずだが?」

「……よくご存じで」


 思わず顔を顰めそうになるのを堪えた。ここは交渉の場だ。表情でこちらの心情を読まれるわけにはいかない。


 伯爵の言う通り、カランド公爵家と進めている事業が成功すれば借金返済に大きく近づく事ができる。

 しかし、事業開始は2年後。軌道に乗るまでにはそれなりの時間が必要だ。


「ああ、全てはグラス男爵から話を聞いているよ。愚かな時間稼ぎで私に利点はないな。君の要求は却下させてもらおう」


 とうとう舌打ちを止めることが出来なかった。楽しそうな様子の伯爵と目が合う。


 おかしいと思っていた。相手がこちらの内情に詳しすぎる。だから情報が漏れている可能性を危惧していた。まさかその情報源が父上だったとはね。

 そもそも、こちらの手札を読ませないようにした上で、相手の手札を可能な限り読むことが交渉の基本である。しかし、当家の内情は目の前の男に筒抜けだったらしい。それでは駆け引きも何もないではないか。


 遅れて溢れた僕のため息を見て伯爵は嗤う。


「しかし、ソナタ殿。私も悪魔ではないのだよ。君の置かれている状況には同情しているんだ。だから、君に救いの手を差し伸べても良いと思っている」


 急な話題変更に警戒感を強めて伯爵の様子を観察する。

 余裕を感じさせる所作。計算して作られたと思われる柔らかな表情。同情の色を含む声。交渉の場に慣れた様子はさすが優秀な高位貴族だと言えよう。悔しいが言葉以上の情報を得ることは出来ない。伯爵の胸の内が全く読めずに更に警戒感を強めた。


「私の末娘をご存じかな? 名をアマービレと言うのだが」

「……ええ。学園で何度かお会いしたことがあります」

「それならば話は早い。君と娘の結婚を進めたいと考えている。契約に合意してくれるのであれば借金返済は免除しても良い。どうかな?」


 静寂が辺りを覆う。


 伯爵の言葉の意味が分からない。

 彼は野心家の高位貴族だ。当然ながら家の繁栄に繋がる縁を求めるはずである。木端貴族でしかない僕との結婚に何の利点も見つからない。そんな婚姻を押し進めようと考える意図がまるで見えず、彼の様子を注視する。


「……当家に嫁ぎたいと。そういうご要望なのでしょうか?」

「いや、婿として君を迎え入れたい。そういう話だよ、ソナタ殿」

「フォルテ伯爵。お忘れかもしれませんが、僕はグラス男爵家の跡を継ぐ者です。ご期待には添えないかと」

「グラスの家はもう終わりだ。君ならそのくらい理解しているだろ?」


 グラス家の存続は不可能だ。突きつけられたその事実に返答を窮する。

 当主を失って大きく力を削がれたグラス家。そして返済不能な程の借金。跡継ぎの僕では目の前の交渉さえ上手く纏めることが出来ず、爵位の返上まで見えてきている。


 では爵位を返上すればどうなるだろうか。

 グラスの名を含めた全ては国王に接収され、僕は貴族ではなくなる。そのことはどうでも良い。それよりも僕を信じて支えてくれたヒカリたち使用人の未来はどうなるのか。父上を慕っていた領民たちはどういう扱いになるのか。不安は募る。


「それにただの婿ではない。フォルテの跡取り婿として君を当家に迎えたいと思っている。伯爵家の次期当主だ。悪い話ではないと思わないか?」

「何故そのお役目を僕に? フォルテ家の跡取り婿となれば引く手数多だと思いますが」

「娘のアマービレが君のことを気に入っていてね。可愛い末娘だ、想い人との縁を結んでやりたいと思ってな」


 彼の言葉の意味を吟味する。


 貴族の結婚は家同士の繋がりを深めて、共存共栄を目指すために行われる。決してそこには恋愛感情などという不合理な物は含まれない。だから彼の言葉には必ず裏があるように思えてならない。


「そんな表情をしなくても裏などないさ。そうだ、借金の免除とは別にもう一つ条件を付け加えよう」

「条件……ですか?」

「ああ。今回の件でフォルテは損害を受けた。よって当家は旧グラス男爵領の統治を陛下へ要求するつもりだ。その領地運営を君に任せようじゃないか」


 伯爵が言う通り、国王が接収したグラス男爵領はフォルテ家に管理を任される可能性は高い。その場合に旧領地を僕に任せると言っている。それが叶うのであれば仮にグラスの名を失っても、この地に残る人々を守れるのだから僕には魅力的な提案に感じる。


「悪くない……いいえ、かなりの好条件ですね」

「合意ということでいいかな。では、こちらの婚約同意書にサインを」


 そう言う伯爵から一枚の契約書を受け取った。

 契約書の内容に目を通して、伯爵の用意周到さに驚く。この場で提案を受けた内容が既に契約書に記されていた。彼にとっては予定通りに進んでおり、僕との婚約の話も初めから計画されていたものなのだろう。


「婚約期間は約1年間。君とアマービレが学園を卒業すると同時に結婚の契約に移行する。そういう内容の契約書だ。問題はないだろ?」


 手元の契約書を見つめながら伯爵の言葉を聞き、その意味を考える。


 結婚とは契約の一種であり、契約を重んじる僕ら貴族にとって無下に扱うことができないものだ。

 そして、国王の面前で儀式が行われる貴族同士の結婚は、その結びが永遠であることを国王へ誓うことになっている。故に、死別以外の理由で離婚することは許されていない。国王への誓いを反故にすることと同義になるからだ。だからもしも一方的に離縁した場合には、縁を切った側の貴族には物理的な死が与えられる。


 このように結婚というものが安易に破棄できない重い契約関係となっているため、貴族の婚姻はまず初めに婚約関係を結ぶことから始まる。

 婚約は結婚とは異なり、貴族同士の同意のみで成立する契約である。そしてお互いの同意があれば破棄することも可能だ。しかし、一方的な婚約破棄は許されない。それは貴族社会で信用を失うことを意味し、僕のような木端貴族が信用を失ってしまうことは貴族社会での死を意味する。


 そして伯爵の様子から、相手は婚約破棄に同意することはないだろう。

 つまり婚約同意書にサインした時点で僕の将来は決まってしまう。


「ソナタ殿。この契約は君にとって利点しか存在しない。悩む必要などあるか?」


 伯爵に促されて僕は婚約同意書にサインするためのペンを探す。

 ふと頭の中に一人の女性が浮かぶ。そばに居るだけで温かい気持ちを与えてもらえる彼女の姿だ。そんな彼女の表情が曇っている。瞳は濡れていて泣いているように感じた。婚約に同意しないで欲しい、そう叫んでいる気もする。どうして僕はこんな気分になっているのだろうか。


 その姿を振り払うように軽く首を振り、僕は右手にペンを握る。

 この契約は貴族である僕にとって非常に良いものだ。伯爵からこれ以上の好条件を引き出すことは困難だろう。それであれば迷う必要など一つもないはずである。


 僕はゆっくりと婚約同意書にペン先を落とした。


「賢明な判断だよ、ソナタ。君にはフォルテ家の次期当主として期待しているよ」


 顔を上げると伯爵は満足げな表情を浮かべている。その様子に何故か苛立ちを覚えた。

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