2-7. 足掻く青年(1)(ソナタ視点)
「金貨1万枚になります、ソナタ様」
疲れたリュートの声を聞き、手元の書類から顔を上げた。
父上が亡くなって一晩が経った。
気付けば徹夜での作業となってしまったが、父上の残した業務整理にはまだ時間が掛かると思われる。窓の外では陽が昇り始めており僕の眠気と疲労感のピークを迎えていた。
だから、リュートの言葉を聞き間違えていたのだろうか。そう視線に込めて彼の顔を見つめる。
リュートは首を横に振ると、同じ言葉を繰り返した。
「ソナタ様、言い間違いではございません。金貨1万枚。これが当家の抱える借金の総額でございます」
その声に僕は頭を抱える。何故、多額の負債を抱えている?
「リュート。この屋敷の評価額は?」
この屋敷はグラス家最大の資産だ。少々古びてはいるが、返済の足しになるのではないだろうか。
「高く見積もっても金貨千枚にも満たないでしょう。焼け石に水ですね」
祈る気持ちで尋ねた質問にリュートは首を大きく横に振った。
「返済期限は? すぐに返済しろという話ではないんだろ?」
「およそ1年後。ソナタ様が学園を卒業されて成人となる頃まででございます」
リュートの答えに思わず舌打ちが出ていた。
あまりにも負債額が大きく、返済期限は短い。客観的にみてこれでは返済不能と見做されてもおかしくはない。
貴族社会にとって契約は何よりも大事にしなければならない。それがこの世界のルールである。
そして金銭の貸し借りも契約だ。返済不能と判断されれば契約違反となる。その場合、国王陛下の裁量の元、当家には罰が下るだろう。待っている未来は爵位剥奪とグラス家のお取潰しだ。
「リュート、原因はなんだ? 何故、これほどの負債を抱えている?」
「10年前に引き上げられた税率のせいでございます。旦那様は赤字を補填するために借金を重ねておりまして——」
「王国への税の話だな。だから、領民から徴収する税を引き上げるべきだと進言したじゃないか。何も手を打たなかったのか?」
「返すお言葉もございません」
「はぁ、もういい。それより、今まで僕に報告しなかったのは何故だ? 恣意的に情報を隠していただろ?」
「旦那様のご指示でございます。まだ学生のソナタ様には苦労をかけたくない、そう思う旦那様の親心にございます」
リュートの答えにため息が溢れる。
苦労から遠ざけるため領地運営に僕を触れさせない。胃が痛くなる悪い話は耳に入れないように隠す。それが子供を思う親心だ。だから父上のことを責めないでくれと目の前の執事は言っている。
その結果が今の状況である。何がいけなかったのだろうか。嫡子として頼りなかっただろうか。子供を思うのであればもっと頼って欲しかった。そんな悩みを振り払うように話題を変えた。
「リュート、相手は誰だ? 父上はどこの貴族から借金した?」
「フォルテ伯爵家でございます。今回の外遊先となりますね」
ああ、眩暈がする。リュートの言葉に思わず頭を抱えた。
彼の話によれば、今回の外遊はフォルテ伯爵に借金の減額を嘆願することが目的だったらしい。
しかしフォルテ伯爵は野心家で強欲として有名だ。領民には重い税を課し、搾取によって蓄えた富を使って派手に動いていると聞く。どう考えても悪手である。野心家の貴族に情で訴えても望みを聞き入れてもらえるわけがない。父上は何を考えていたのだろうか。
さらに悪い話は続く。
フォルテ伯爵家は第二王子派を後援する筆頭貴族である。アレグロとの繋がりを強化しようとしている僕にとって非常に都合が悪い。アレグロはカランド公爵家の嫡子であり、第一王子派の筆頭貴族だ。このままでは政治的な争いにも巻き込まれそうな予感さえする。
好材料が何一つ見つからない状況に再びため息が溢れた。
「過去のことはもういい。大事なのは当家の未来だ。対策を考えるしかないな」
「ソナタ様。老体ながら精一杯助力させていただきます。ですから、何なりと申しつけください」
「ああ。今の僕では現状を把握するだけで精一杯だ。だから頼むよ、リュート」
リュートと会話しながらふと思う。
——優しい愚者。
社交界で父上に付けられた蔑称である。今回の醜態が広まれば、更に貴族としての評価を落とすことだろう。
一方で、領民からは名君として慕われ、敬われていた。彼らが明るく暮らしていられたのは父上の成した成果だと思う。
父上は愚者だったのか。それとも賢者だったのか。
愚問だな。そう僕は結論付けた。
◇
扉を二度叩く音が聞こえて顔を上げた。扉を開けて執務室に入ってきたのはチェローナだった。彼女も疲労困憊の様子に見える。恐らく徹夜作業で色々と動いてくれていたのだろう。
「ソナタ坊っちゃま。フォルテ伯爵家の使いの者から手紙が預かっております。この場で中身を読み上げますがよろしいですか?」
「ああ。頼むよ、チェローナ」
届いていたのはフォルテ伯爵家からの面会依頼だった。面会の時期は一週間後。手紙には父上の死を弔う挨拶と借金についての会談希望が記されていた。内容だけに断るのは難しい。
「リュート。お前はどう感じた?」
「そうございますね。いささか情報が早すぎるかと」
真っ先に浮かんだ疑問をリュートが代弁してくれた。
父上の死を知られるのが早すぎる。僕もそう感じた。
亡くなったのは昨日の話で、僕が知ったのは夕暮れすぎてからだ。
当主の死という機密事項を安易に貴族たちへ知られては困る。当然、当家の人間以外には伝えていないし、他の貴族たちが調べる時間もなかったはず。何故、フォルテ伯爵家は既に情報を入手しているのか。
「それからもう一つ。フォルテ伯爵家との会談では交渉を求められる可能性がございます」
「交渉責任者の問題だな。当主交代の手続きにはどのくらい必要だ?」
「国王陛下の任命が必要です。半年はかかるかと」
爵位は世襲制というのが慣例になっているが、厳密には国王に任命された者のみがグラス男爵を名乗ることが出来る。その建前を崩すことは出来ない。
よって、僕が父上の跡を継ぐためには、国王に許可を貰う必要がある。そのために王都へ出向いて様々な手続きや式典に参加することになるのだから、今すぐに僕がグラス男爵を継ぐことは困難な話なのだ。
「じゃあ当主代理の方はどうだ? 当家は当主代理の席を空けたままにしていただろ?」
「ええ、旦那様のご意向でそうしておりました。今からですと、手続きに1ヶ月ほどかかりますから会談には間に合いません」
貴族は国王から爵位と共に、土地と権利を預かっている。そして、その者が当主として『家』を興して国王の代わりに領土を統治する。それがこの世界の貴族である。
当主個人に権力が集中しているのだから、その当主が不在となってしまうと『家』が回らなくなってしまう。そのために『当主代理』という役割を設けて、当主不在の非常時には同等の権力を振るうことが許されている。当然こちらの手続きにも国王の許可が必要であり、『当主代理』が空席にならないようにしておくのが貴族の常識となっている。例えばカランド公爵家では、既に嫡子のアレグロを『当主代理』に置いていた。
しかし、当家はその常識すら守れていなかった。当主及び当主代理の両者が不在という危機的な状況で、フォルテ伯爵家との会談に臨まないといけない。
「はぁ。空席は問題だと言ったよな? 危惧していた通りの状況になったわけだが」
「成人するまで領地運営から遠ざけたい。そう願う旦那様の決意を動かすことはできませんでした。ソナタ様の進言を無駄にしてしまい申し訳ございません」
「……もういい。それよりフォルテ伯爵家だ。彼らの動きをどう見る?」
「当家は交渉責任者が不在の状況でございます。その隙を突く動きに見えますね。不利な要求を呑むことになるでしょう」
貴族同士で交渉を行う場合には、王国公認の仲介人監視下の元、両家の交渉責任者の間でやり取りを行うことになる。もしも交渉責任者が不在の場合には、相手の要求を全て呑まなければならない。それがこの王国でのルールである。
もっとも、そのようなルールを気にする貴族はいない。交渉責任者は当主あるいは当主代理が務めることになり、どちらも不在になる状況はあり得ないからだ。
しかし、当家はどちらも不在である。リュートの指摘する通りこの現状は非常に問題だ。
「それもあるが……この動き、作為的なものを感じないか?」
「……どういうことでしょう?」
「父上の死から会談が組まれるまでの速さ。当家の内情を把握しているかのような動き方。僕にはフォルテ伯爵の悪意を感じてしまう」
「……確かにおっしゃる通りですね」
そう答えるリュートの表情は曇っている。
彼の頭の中ではこう考えているはずだ。一連の動きには計画性が垣間見れる。何か目的があってフォルテ伯爵が動いているとしか思えない。しかし、彼らの目的が見えてこない。一体、当家に何を求めているというのだろうか。
現状では情報不足でこれ以上考えても答えに辿り着けないだろう。
ならば、もう一つの問題を片付けてしまうか。思考を巡らしている様子のリュートに話しかけた。
「リュート。アレグロに手紙を出しておいてくれないか? 二日後に学園で会おうという内容で」
「アレグロ様というとカランド公爵家ですか。……理由を教えていただけないでしょうか?」
「交渉責任者の問題を解決しなければいけないだろ? そのために彼らを利用させてもらおう」
「……承知いたしました。早急に対応いたします」
首を傾げながらも了承の意を示すリュートは、疲労のせいか察しが悪い。見ればリュートだけでなく、チェローナの顔色も青白く、目の下の隈は随分と濃くなっている。二人には負担をかけ過ぎてしまったかもしれない。
「二人とも。ここまでよく働いてくれた。今日は身体を休めてくれ」
「なりません。ソナタ様を差し置いて休むわけにはいきませんよ」
「そうですよ。休むべきはむしろソナタ坊っちゃま——」
「よく聞け! まだまだ正念場は続く。それなのに無理をして倒れられると僕が困るんだ。だからしっかり休んで明日からまた力を貸してほしい」
渋る二人に対して右手を上げて黙らせる。
本当によく似た老夫婦である。我が身よりも主を大事に思う様子は模範的な使用人だ。しかし、忠誠心は有難いが二人とも年齢を考えて欲しい。
ふと執務室の扉に視線を向けた。
本来ここにいるべきもう一人の使用人の姿をしばらく見ていない。彼女は大丈夫なのだろうか。
「チェローナ。ヒカリの様子はどうだ? 多少は元気を取り戻したかい?」
「遺体のそばで泣き明かしていたようですね。先ほど顔を合わせましたが酷い有様でしたよ」
ヒカリは当家の人々を家族のように感じていると言っていた。母上とリラには特に懐いていた様に思う。親を知らない孤児とも言っていたので親しい人間の死に触れるのは今回が初めての経験かもしれない。それなら強いショックを受けるのも致し方ないと思う。
「そうか。立ち直るには時間がかかりそうだな」
「いいえ、当家の危機です。叱りつけてでも立ち直らせますよ」
「いや、やめておけ。元気が戻るまではそっとしておいてあげて欲しい」
この屋敷で初めて顔を合わせた頃の、泣いていたヒカリの表情を思い出す。
彼女の悲しむ姿を見たくはない。明るい彼女に一番似合うのは笑顔だと思う。だから心の傷が癒えるまで休ませてあげたい。
そんな思考に囚われている僕の意識をチェローナの声が呼び覚ます。
「ソナタ坊っちゃま。少しはご自身の身を案じてください。そんな部分まで旦那様に似なくてもよいのです!」
「……父上に似ている? 優しい愚者と呼ばれた父上に?」
「他人に甘すぎる性格のことを言っているのです! 使用人のことなど捨て置きなさい」
チェローナからの説教は久しぶりだ。彼女は腰に手を当て、目を釣り上げている。その姿には威圧感すら感じてしまう。だが、声色は思いの外、柔らかで主への思いやりに溢れているように聞こえた。
「いいですか、ソナタ坊っちゃま。今、一番大変なのはご両親を亡くしたばかりの貴方なのですよ。ちゃんと涙を流しましたか? 心の整理に時間が必要ではないですか? わたくしは坊っちゃまのことが心配でなりません」
チェローナの言葉を咀嚼するように、己の胸に手を当てて考えてみる。
僕は今、悲しいのだろうか?
否だ。何も感じてはいない。そもそも悲しんでいる時間などない。
当家の危機が目の前にあり、この屋敷に貴族は僕一人だけ。やるべき事が山のように積まれているのだ。後ろを振り返っている時間など微塵もない。だから前へ進まなければならない。
ふと胸に当てた指先に硬い感触がした。昨日に街で購入した、銀色の石の首飾りである。
首飾りに触れた指が不思議と温かい。彼女から優しい気持ちを分けて貰った気がする。何故かそんな気分になった。




